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書籍と雑誌の要約と解説

そっと涙をぬぐってあげる

ステロイド禍被害者からの便り

装丁
そっと涙をぬぐってあげる――アトピー性皮膚炎治療で廃人となった若者達 そっと涙をぬぐってあげる――アトピー性皮膚炎治療で廃人となった若者達
江崎ひろこ(日本ステロイド軟膏禍第一原告)
かもがわ出版
ISBN4-906247-74-1
1990/03/01
¥1300
解説
昭和六十三年十二月、
『顔つぶれても輝いて』――ステロイド軟膏禍訴訟6年の記録――が、東京の一光社より出版された。

後々届けられた被害者をはじめ読者からの手紙は三百五十通余、電話は百八十件ほどあった。

*   *   *

この本に収録した被害者の声の数々は、平成元年六月末までにわが家に届いたものである。

目次
  1. ステロイド薬禍 – このすさまじきもの
    1. 和解、そして出版
    2. 私がちょっぴりの勇気をあげます
    3. ほとばしる思いを
    4. 現在の私の状態
    5. ホンモンを見分ける
    6. もうひとりぼっちじゃない!
  2. 医者のプライドは倫理にまさる
    1. なぜ説明書を守ってくれないの
    2. 「自由裁量権」なるもの
    3. 身動きできないのに健常者なのか
    4. みんな、もっと怒ろう
  3. 感動の日々
    1. 「医療事故情報センター設立準備会」
    2. 弁護士と依頼者の二人三脚
    3. 村井弁護士との運命的出会い
    4. うちとけるまでが大変だった
    5. 夢のジョイント・レクチャー
    6. 講演(採録)
  4. 薬害と歩んだ十三年
    1. 運命のかすかな足音
    2. 私はイナバの白ウサギ
    3. でもクラクなかった
    4. 訴訟が幸せを運んできた
  5. 「今日と医療過誤弁護団」設立

内容

ステロイド軟膏で顔が溶けた24歳女性[P.5-6]

某日。夕方電話がかかる。
出てみると、大阪府に住む二十四歳の女性からであった。

「本を読みました」と言ってから、彼女は自分の病歴を話し始めた。

「高校卒業と同時に全身に湿疹が出まして、
それ以来六年間、毎日全身にステロイドを塗りました。
今、片目は失明しています。残る片目も緑内障で視野狭窄があります。
それで、目を疲れさせないために手紙でなく電話にしたんです。
頭髪もほとんど抜けてしまって、かつらをつけてます。生理もありません。
首のリンパが腫れて数回手術しました。これ以上手術できないといわれています。
一ヶ月に一回は吐血してます。胃かいようらしいです。……」

私はすさまじい症状報告に、相槌を打つのが精一杯だった。
すがりつくような声ではあるが泣いてはいない。静かに彼女は言った。

「私、鼻と耳が溶けて、ないんです」

思わず私は聞いていた。

「鼻と耳がない!それで聴こえるの?呼吸はできるの!?」

「ええできますよ。穴はあいてますから」

どう返事してよいものやら、受話器を持ったまま私はうろたえてしまった。

頭髪がなく目が見えず鼻と耳は穴だけ――。
どんな顔か想像して、私はゾッとした。

<中略>

私は一番気になっていたことを尋ねた。
「六年間薬を出したお医者さんは、何て言ってるの?」
「ちょっと薬出しすぎたかなぁーと言ったあと、頭をかいて笑ってました

ステロイド皮膚炎の生徒に暴言を吐く教師[P.15-16]

「こんなことがあっていいと思います!?」

激しく憤りながら電話してきた主婦。

なんでも彼女の近所の女子中学生が一年以上登校拒否を続け、
親にも反抗し、どうにも手がつけられないというのだ。

その登校拒否の原因はというと、
ステロイド皮膚炎で真赤に腫れあがった顔で学校に行ったところ、
担任の男の先生が「きたない顔やなあ。なんとかならんのか」と言ったらしい。
女子中学生は大ショックを受け、それ以来自暴自棄になっているそうだ。
その上、もっと驚いたことには、家庭訪問に来たその教師が、

なんや理由は知らんが、いつまでも赤ちゃんみたいな行動はやめろ!」

そう彼女を叱ったのだという。

ステロイド禍で制服の着れなくなった女子中学生[P.18-19]

その子は中学三年生の女の子だった。

医者の指示通りステロイドを十年余塗り続けたら、全身ズルズルになった。
アトピー体質だったのに一番強いフッ素入りのステロイドを処方
(これは完全なる医者の失敗)されたものだから、
全身から吹き出る膿はものすごいものだった。

特に顔と首がひどいため、冬でも夜眠る時、毛布がかけられない。
部屋をガンガン熱くして、
首回りを大きくくくったTシャツを五枚も重ね着して眠るそうだ。

またセーラー服が着られなくなったので、やむをえずTシャツで通学しはじめたところ、
さっそく担任教師が医者の診断書を提出するように言ってきた。
医者が書いてくれた診断書には「アトピー体質」とのみ書かれてあったという。
酒皶様皮膚炎(ステロイド軟膏長期連用で生じる皮膚病名)と医者は書かなかった。
自らの医療ミス発覚を恐れたのだろう。

ちなみに、この女子中学生は通学はしているけれども、
級友達から「異常体質人間」と呼ばれているという。

人間性の欠落しているB開業医の妻[P.31-32]

訴訟中も和解後も開業医の奥さんの私達家族に対する暴言・嫌がらせ的行為は続いた。

昭和六十三年一月五日夕刻には、某新聞に私の顔写真入りで訴訟のことが載ったことについて、
彼女は知人に「あんな顔写真まで平気で載せて、どういう神経なんやろね。
ひろこちゃんってチョット頭がおかしんやね」と言っていた。

また私が金目当てで和解にホイホイと応じたと思っているのか、
買物に行く私の母と出会うと、彼女は立ち話をしている連れの主婦相手に、
チラッ母を見ながら「アッハハハハ……」と大声で高笑いをするのだった。

ステロイド禍の口止め料を渡された宇治市の老婆[P.32-33]

某日。宇治市のおばあさんから電話があった。
ひどく興奮している。イッキにしゃべり出した。

「ひろこさん? 私、あなたの本読んだわ。
私、二十年間皮膚科に通って薬をもらって顔に塗っていたの。
だんだん皮膚がブヨブヨになってきて、血管が浮くようになって、その頃片目失明してね。
医者に薬のせいだろうって言ったんだけど、違いますの一点ばりなの。
そんな時あなたの本を見つけて読んだら、やっぱり薬のせいだった。
だから私、医者にこの本つきつけて、これでもまだ否定するんですかと言って迫ったのね。
そしたら、ちょっと待ってと言って、その場で十万円くれたわ」

ステロイドを保湿クリームだと言って塗らされた40歳主婦[P.33-34]

四十歳の主婦だと言った。

ステロイドを八年間全身に塗布。今は全身膿でズルズル。
服も着られず、裸でバスタオルの上にころがっている。
一時間に一回はかゆくて掻きむしり、今度は血まみれになり、
痛みのためにケイレンしながら泣くのだという。もう体力も気力も限界。
「死にたい」と電話の向こうでつぶやいたあと、彼女はイッキに泣いた。

平凡な一主婦を地獄に追いやったものは何なのか?

原因を聞いてまた私は絶句した。

近所の皮膚科医が道で出会った時に、

「奥さん、肌がカサついてるね。しっとりするクリームあげますよ。毎日必ず塗りなさい」

こう言って、<>八年間出し続けたというのだ。
しっとりするクリームはもちろんステロイド軟膏だったわけである。

今、その皮膚科医は彼女と出会うのを恐れてか、彼女の家の前を通らないという。
しかし決して謝りはしないのである。

今は服も着られない。
バスタオルの上にころがっていても、
バスタオルに接触している体表面はたちまち破れてジュルジュル膿が流れ出す。
彼女は言った。

空中に浮かんでいたい気持ちです」

ステロイド禍裁判の原告を治療したがる皮膚科医[P.36-37]

本出版後、私が大変立腹していることがある。
あまた来る被害者の電話に混じって、
私を治療したいと申し出る皮膚科医がかなりいるのである。

「あなたを必ず治してみせる。どんなに重症でも治る」と、彼らは言いきる。

その言葉を聞くたびに、私は「ひきょう者!」と受話器に向かってどなりたい衝動にかられる。

私が裁判中はウンともスンとも言ってこなかったのに、
裁判が終わってしまったら、このザマだ。
もう証人席へひっぱり出されないとなると、
この超重症患者を自分流のやり方で治療してみたいという野心がわく。
もし万が一、治せでもしたら学会へ発表し、一躍大出世できるではないか。
治らなかったら、異常体質だと言って患者のせいにすればいいのである。

私は怒りを抑えて静かに言った。

「どんな重症でも治せると今おっしゃいましたね。
その言葉を、これから始まるステロイド訴訟の証人席で言ってくれますか?
私はコソコソするのは嫌いです。世間の人が見守る中で治療して下さい。
あなたの名前教えて下さい。原告の人に知らせたいので……」

受話器の向こうで息をのむ気配がし、一呼吸おいて電話は切れた。

化粧品かぶれからが発端でステロイド皮膚炎になった20代女性[P.49-50]

私は「ステロイド皮膚炎」と診断されてから今年で六年になります。
お医者さまからは「もう一生治らないだろう」と言われています。

私の場合は、化粧品かぶれが原因でお薬を使うようになりました。
今思えば、お薬など使わなくてもお化粧さえやめていれば
自然に治っていただろうと思える程度のものでした。
お医者さまからは、ただお薬を渡されるだけでお化粧に対する注意は一言もありませんでした。
結局、お薬をつけては化粧をするというくり返しを三年間も続けてしまいました。
二十三歳から二十六歳までのことです。

途中、お薬の副作用について尋ねたことはあるのですが、
「大丈夫です」とうお医者さまの言葉を信じ、安心しきっていました。

ある日、私は、鏡に映った自分の顔を見て心臓が止まりそうになるほど驚きました。
皮膚はうすくなってブヨブヨで顔中真赤……
というよりぶどう色と言った方がよいくらいで、とても自分の顔とは思えませんでした。
いろいろな文献を読んだ結果、私はお薬の副作用だと確信しました。
あわてて別の病院に行って診てもらったところ、やはり「ステロイド皮膚炎」と診断されました。

お医者さまに対しては激しい憤りを感じましたが訴訟を起こす勇気もなく、
とうとう泣き寝入りをしてしまいました。

お薬を止めた反動はすさまじく、あなたが本に書かれた状態とほとんど同じです。
私の場合は発熱も伴うことが多く、体中がバラバラになってしまいそうな脱力感に悩まされました。

毎日、死ぬ方法ばかり考えて過ごしていました。
実際ビルの屋上に立って飛び降りかけたことが何度もありました。
もし、手元に安定剤があれば、私もきっと飲んでいたにちがいありません。

あれから六年。
顔の状態は一進一退で好転するきざしはありません。
毎日、無神経な人の言葉に傷ついたり、
無遠慮な人の視線に心がいつも不安定で揺れています。

薬害被害者を狙った宗教勧誘[P.71-72]

昭和六十二年十月、私の「感謝の運動会」というエッセイが、京都新聞「こまど」欄に載った。
薬害で顔がつぶれ失明宣告も受けたが、
区民運動会に参加して町内の人達の温かい心に触れ感謝している、
といった内容だったが、掲載後読者から手紙、電話が殺到した。
その七割が宗教勧誘だったのである。

滋賀県から三時間かけて何度もやって来た人もいた。
しかしすでにM教に入信している私にとって、
そんな勧誘は既婚者に見合い話を持っていくようなもので、無駄なことなのである。
彼女らは断られると一様に捨てゼリフをはいて去り、
二度と私の身を案じようとはしなかった。
何を言えば人が怒り、傷つくかわからぬ人に人救いなど、しょせん無理なのであろう。

一年後本を出版した私に「おめでとう」と言ってくれた人は、
一年前に勧誘してきた人の中にはひとりもいなかった。
彼女達は自分達の宗教の信者が増えればそれでいいのだった。
入信する気のない人間に、もう用はないのである。
信者を増やすために不幸な人を目の色変えて捜す。
見つかれば食事時でも来客中でもおしかけて帰らない。
悲しい姿である。

被害者に対して冷淡な宗教家[P.77-79]

私が裁判をしていることを知った某宗教の何人かの主婦は、
とんでもない! と私を非難しはじめたのである。

「あなたが何も先頭に立って、薬の恐ろしさを世間に知らせる必要はないと思うけど。
段々広まっていくものだから。それに薬害に遭わなきゃならない人は、それだけ業が深いんだから。
あなたは薬害に遭うことで業が消えたんだから、それを感謝してればいいのよ」

「私はそうは思いません。
ステロイドの恐ろしさを知らずに長期連用している人には、やっぱり教えてあげるべきだし、
世間に声を大にして訴えるべきだと思う。
じゃ、サリドマイド児の親が『腕のない子を授かってありがたい。業が消えた』と言って、
皆黙ってたらよかったんですか。もっともっと被害児が出ればよかったと言うんですか」

「人に薬害を教えても教えても、ミソギを受ける人は受けるんだし、黙ってればいいのよ」

そう言っているうちに、ヨチヨチ歩きの幼児が階段のほうへ歩いていった。
するとその主婦は「危ない!!」と叫んで、その子を抱きよせたのである。
この身勝手さ!

――ほうっておいてその子が階段から落ちたら業が深いってことじゃないの?
他人が知らずに劇薬を使っていても知らんぷりなのに、友人知人の子供なら救いの手を差しのべる。
誰にでも平等に愛の手を差しのべるのが、本当の宗教人ってものじゃないの?――

<中略>

人間はたとえ宗教を信じていても、年をとると憶測で物事をきめつけたがるのだろうか。
私に説教をした人は皆80歳以上の、そして入信後十年以上たっている人達であった。

「アンタ、裁判なんかしたらせっかく浄まった魂が汚れてしまうえ。
ちょっと注意しといてあげよう思うて」

老婆のこの言葉に私は体が震えるほど怒りを感じた。

「私が憎しみ恨みで裁判をやったとでも思ってるんですか!
人救いのためにひたすら頑張ってきたんです。
自分だけ浄まってノホホンとしていようとは思いません。
全国の被害者に勇気を与えることだって神の御用だと思います。
入信させることだけが目的じゃないと思いますよ」

<中略>

宗教を信じていない人からはどんなにけなされてもいいと私は思っていた。

が、実際は全くその逆だった。

私の訴訟の目的をしっかりと理解し励ましてくれた人は皆無神論者であり、
勝手な憶測をして、裁判イコール憎しみと判断し私を叱責したのは皆、
さまざまな宗教のベテランといわれる信者であった。

全身麻痺患者の顔の上にはゴキブリが乗る[P.87-88]

数か月前に知り合った全身マヒの女性。
彼女の前でいつだったか愚痴ったことがあった。
「かゆくって、かゆくって、爪でバリバリ掻きむしってるの。もー気が狂いそう!」
「でもいいね、あなたは。自由に動く手があるから、かゆい所をすぐ掻ける。
私なんか手が動かないし、顔がかゆくても頭がかゆくても、シカメッ面をするしかない。
看護婦さんに掻いてもらってもこちらの思うところを掻いてくれないし、よけいにイライラしちゃう」

彼女はさらに言葉を続けた。
「もうすぐ夏ね。病院の夏はイヤだ!」
「クーラーがきれるから?」
「ちがうの。夜、ゴキブリが顔の上に乗っかって降りないのよ」
「手は動かないし払いのけられない。ナースコールも押せない。
声は気管切開してるから大きな声が出ない。顔を動かすこともできない。
少しぐらい顔をしかめても、ゴキブリ君はじっとしてるよ。
人間の顔だとも思ってないんだろうね。
あなた、かゆい所にパッと手をやれるでしょう。感謝しないとね」

こんな人もいるのかと私はショックだった。
彼女が別世界の人のように思われた。
寝たきりって退屈だろうけど体はラクだろうなんて考えたこともある私。
彼女が神々しく見えた。

医者は薬の説明書を読まない[P.96-97]

ある時、某講座でひとりの医師が講演をし、
私もほんの少し体験談をしゃべらせてもらうことになった。

その時、その医師が言ったのである。

「説明書を守らない医者? ほとんどの医者がそうだよ。
ステロイド大好きっていう医者がもいれば、漢方薬に凝る人もいる。
二十年、三十年とステロイド使ったっていいんだよ。
訴えられた時に不利なだけ。それが嫌な者は説明書を守るでしょう。
説明書ってのは、製薬会社が訴えられた時に自分を守るために書くもので、
医者が絶対守らねばならないものじゃない。自由裁量権ってあるでしょう。
要は医者と患者の考え方がピッタリ合えば、トラブルも起きないわけだよ」

B医院の悪行[P.98-100]

昭和五十五年暮れ、祖父の目の白い部分が黄色くなっていることに家族の者が気づき、
B開業医の診断をあおいだ(それまで祖父は十五年間、
高血圧の治療にB医院へ通院していて、いわばホームドクターだった)。

しかしB医師は、なんともないという。
そのうち祖父はますます悪化。全身真黄色になった。
S病院のベッドがあくまで自宅待機しているようB医師に言われていた
(これもこちらから「黄ダンじゃないですか?」と尋ねて、
やっと事の重大さにチョッピリ気づいてくれたのである)が、
もう待てず、S病院の外来診察を受けたのだった。

祖父をひと目見たS病院の医者は叫んだ。

「こんなになるまで、なぜ放っておいた!」

「近所の医者が自宅待機していろと言うから一か月待ってたんです。
でもシビレを切らしてこちらの意志で来ました」

その医者は信じられぬといった顔で黙りこんだ。
すぐさま祖父は入院となったが、胆道ガンの手遅れで手術ができず、二か月後他界した。

この入院中、驚いたことが二つあった。

一つは、
祖父がB開業医から処方されていた一日二十七粒の薬が、S病院では三粒になったこと。

もう一つは、
祖父が十五年間服用していた高血圧の薬のことを主治医に話すと、
主治医は「この患者さんに高血圧の薬はいらない」と言って、
スッパリやめさせたことだった。

薬をやめた祖父の血圧は上がるどころか、以前よりも下がって平均値に落ち着き、
本人も服用中の胃の痛みがすっかり消えたといって喜んでいた。

この光景は私をゾッさせた。

十五年間祖父はいったい何を飲まされていたのだろうか。
週に一度のB医院通院のたびに、
祖父はひとかかえもある薬の大袋をもらって帰ってきたものだった。

「どーすんの、そんなにもらってきて」と私が言うと、
「行ったらもう作ってあるんや。三度三度のむと胃が痛いと言っても、
一生のみ続けなあかんて奥さんが言わはる」と祖父。

しかしのめないものはのめない。
少しずつ薬が残っていき、どうにもならず、
枕のようなかさになった薬は全部ゴミ箱行きとなった。

かゆみ分布[P.170-171]

六十二年夏からあとニ年ほどは、夜寝る前に一度顔を掻きむしっていた。
少し血や膿は出るが三十分もすれば止まり、
それからは朝までほとんどかゆみを感じることなく眠れたのである。
いわば、毎日一回の顔掻きは、私にとっては日課のようなものであった。

それがだんだんかゆくなくなってきたのである。

眠る前に“掻こうかな”と思う。
が、かゆくないのに掻くこともないか……となる。
思いきって掻きむしらず眠ってみた。
一回、夜中に掻きむしったが、あとはずっと掻くことなく夜明けを迎えることができた。

私の日課から“顔掻き”が消えたのである。

ところがそれと時を同じくして、今度は体がかゆくなってきたのだ。

肩、脇、腕、そけい部、太モモ、かゆくなる場所はすべて、
M教で教わる体の毒素の流れる急所(指圧の急所と似た場所もある)であった。

一番強烈なかゆみは首だった。

生理用ナプキンで血膿対策[P.172]

知人の教えで、生理のナプキンを当ててサージカルテープで押さえると、
ナプキンは面白いほど血膿を吸ってくれる。
しかしナプキンはかなり分厚い。
そんな時新発売となったのが、サラサーティ(おりもの専用シート)だった。
厚さ2ミリという超薄型。
まるで私のために企業が開発してくれたようで嬉しい。

無神経な第三者の訪問[P.179-180]

メロン。

大好きなくだものだが、
数年前からはメロンを見るたびに苦笑してしまうようになった。

事の起こりは昭和62年秋であった。

京都新聞「こまど」欄に、顔がつぶれて失明の可能性も高い云々
というエッセイを載せてもらった途端、
読者から手紙と電話が殺到し、同時に宗教勧誘の訪問客が相ついだ。

そんな中、ひとりの年配の女性が訪ねてきたのである。
宗教勧誘ではない。応対に出た私の顔をくいいるように見ている。

「どんなご用件ですか」

と私が問うと、その婦人は

「ハイ。“どんな顔か見たくて来ました”」

何のためらいもなく、そう答えた。

びっくりして私の次の言葉が出てこなかった。
寺町今出川から、朝刊を見てすぐにとんできたという。
午前11時頃だった。彼女は

「フーン、薬でひどいことになるものですね。
ありがとうございました。気が済みました」

と言い、メロンを一個置いていった。

<中略>

ところが、そのメロンがズルズルのブヨブヨだったのである。
食べ頃を何日も経た、半分腐りかけたメロン――。

人間って恐ろしいと思った。
そして、この婦人にしろ、被告の医者にしろ、
これほどみにくいものを見なければならない私の業というものを考え、
悲しくなった。

化粧品会社員はステロイドに詳しい[P.189]

驚いてしまうのは、医者がこんなにステロイドについて無知で、
全国に顔のつぶれた人間をたくさん作ってしまったのに、
化粧品会社の人達がものすごくステロイドについて勉強していることである。

被害者でもないのに、みんな私と対等にステロイドについての話ができるのだった。

またアトピーの肌にステロイドを使い過ぎた患者は容易に治らないことも皆知っていた。
化粧品会社の人を講師に招いて医者の勉強会を開いたらいい。
いや、開くべきだと思う。

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