バベルの図書館

書籍と雑誌の要約と解説

ミッチェル・メイ・モデル

「スピリチュアリティ」と「ビジネス」を高い次元で融合した男

装丁
ミッチェル・メイ・モデル ミッチェル・メイ・モデル
Mitchell May Model
ミッチェル・モーゼス・メイ(全米で五指にはいるヒーラー)
Mitchell Moses May
VOICE
ISBN4-89976-112-9
C0011
2007/05/16
¥1900
「ビジネス」の世界と「スピリチュアリティ」の価値観を融合し
大成功した新しいタイプの経営者、ミッチェル・メイ。
全米屈指のヒーラーであり、大企業も注目する会社の経営者でもある。
「個人の日常生活」と「ビジネス」と「スピリチュアリティ」は
別々のものではなく、一直線上のものだった。
ミッチェル・メイが、よりミッチェル・メイになっていく全過程を
くわしくインタビューした初の書。
その生き方が、私たちの生活とビジネスのモデルにならないか。
解説
本書は、二〇〇六年十月に初来日したミッチェルに、
株式会社ヴォイスの喜多見龍一さんが
同月十六日・十七日の二日間にわたって行ったインタビューの全記録です。
本文中にもありますが、この本がミッチェル・メイの初めての著作になります。

≪中略≫

彼は、これまでも何度かメディアの求めに応じてインタビューに答えたことはありましたが
(その一つが、全米を代表する十四人のヒーラーのインタビュー集
「ヒーリング・スピリット」で、彼はその表紙を飾っています)、
一切、著書を出そうとはしませんでした。
その間、彼は意図的に沈黙を守ってきた経緯があります。
そんな彼がシナジーカンパニーを創業してから、
すでに十五年の歳月が流れ、彼は再び語り始めました。

目次
  1. 2006年10月16日インタビューⅠ
    1. 10月16日 その1
      1. 神は細部に宿る
      2. スピリチュアリティの遺伝子……両親と祖父から受け継いだもの
      3. トランスフォーメーションの時代に生まれて
      4. カルマの法則を知るビジネスマンは誰でもよきビジネスマンです
      5. 霊性の旅路……「グレート・スピリット」を追い求めて
    2. 10月16日 その2
      1. 1972年9月21日 午前11時 豪雨の交通事故
      2. 魂の完全性をみつめた修道女
      3. 運命の邂逅……ジャック・グレイとの出会い
      4. ヒーラーと患者から「師」と「弟子」へ
      5. 最後のレッスンが一番難しいと前にもいっただろう……
    3. 10月16日 その3
      1. ジャックの遺言
      2. 物質界というのは、スピリチュアルな世界が見える形で存在しているものです
      3. 癒しの“グリーンフード”が誕生するまで
      4. 本来の自分自身を表現すること。それを邪魔するものはすべて手放さなくてはならない
  2. 2006年10月17日インタビューⅡ
    1. 10月17日 その1
      1. スピリチュアリティとビジネスが出会う場所
      2. スピリチュアリティを現実界に「翻訳」する
    2. 10月17日 その2
      1. ヒーラーからビジネスマンへ……二十一世紀ビジネスの可能性
      2. 起業……シナジーカンパニーができるまで
    3. 10月17日 その3
      1. 最もよい答えは、お客様の方からやってきます
      2. やるとなったら、完全にやらなくてはならない
      3. お金というのは、エネルギーの表現にすぎません
      4. 静かなる挑戦……持続可能なビジネスモデル
    4. 10月17日 その4
      1. 正直者は、先駆者になれるか
      2. 子育て以上に難しい仕事はありません
      3. 新しいビジネスモデルの意味と役割と影響力
      4. 大企業にオーガニックビジネスは可能か……買えるものと買えないもの
      5. アマゾンで始まった「世界を救う」プロジェクト
      6. ミッチェル・メイのビジョンと将来
    5. 10月17日 その5
      1. 肉体はスピリットの現れ、スピリットの表現だと思います
      2. スピリチュアル・ビジネス・プラクティス……ミッチェル・メイの一日
    6. 10月17日 その6
      1. 最大の試練を最高のチャンスにする
      2. 「成功」の方程式は存在しない
      3. 私の夢はすべての人に生きた「スピリット」の存在を知ってほしいということです

内容

ミッチェル・メイの家族構成[P.18-20]

喜多見 ご兄弟はいらっしゃいますか?

メ イ 兄がふたり、姉がひとりいます。

喜多見 お父様は、なにをしていらした方ですか?

メ イ 建設用のクレーン機器や窓ガラスの清掃機、
コンクリート製造機械、掘削機械、そうした建設用の機材の設計、製造、販売をしていました。

喜多見 そのビジネスは、一番上のお兄さんが引き継がれた?

メ イ 一番上の兄は、今、私のシナジーカンパニーのCFO
(最高財務責任者)をしています。でも、最初は父の仕事に携わっていました。
しかし、父が引退したときに、その事業を売却しました。

喜多見 そうですか。お父様はどんな感じの方でしたか?
厳しい方だったのか、優しい方だったのか?

メ イ 大変厳しい人でしたね。また、とても知的な人です。
彼は、MIT(マサチューセッツ工科大学)に最年少で入学した生徒のひとりでした。
国際金融の博士号も持っていました。
とにかく仕事ばかりしている人でしたから、
小さい頃は私が望むように父に会うことはできませんでした。

喜多見 じゃあ、一緒に遊んだという記憶はあまりないのですか?

メ イ そうですね。ありません。
ですからその分、私は、今は自分の子どもとはよく遊んでいます。

喜多見 お母様はどんな方なのでしょう?

メ イ すごく慈愛深い人で、また感受性が豊かで、
私には今でも優しくしてくれます。

デモの欺瞞[P.37-38]

ベトナム戦争反対のデモなどに参加しました。
それとマーティン・ルーサー・キング牧師の公民権運動ですね。
また、貧しい人たちの生活向上のためとか、原爆反対、核実験反対のデモ。

あるデモのときに、私個人にとって大きな転機となる瞬間があったんです。
二つありました。

一つは、デモの指導者たちの人間性です。
彼らは、慈悲や愛情から運動に参加、指導しているようには見えませんでした。
彼らの根源にあるのは怒りだと思いました。
怒りに駆られて活動を煽っているように見えました。
実はそういう人たちは、違った形の権力を求めていることがわかってきました。
自由を叫びながら実は熱心に、真剣にもう一つの権力を求めている、そんなふうに見えました。
多くの意味で、彼らは反対している側の人間とあまり変わりませんでした。
これは私を本当に悩ませました。

二つ目は、ワシントン州シアトルで、ものすごく大きなデモがあったときのことです。
五万人規模のデモでした。
当時は、今よりも政治的に反対を表明し活動する人が多くいました。
今では、もうこの規模でのデモは行われませんね。

突然、デモ隊が高速道路を閉鎖しました。
そして、参加者はみんな警官たちに罵声を浴びせていました。
警官たちは、ただ自分の仕事をしているだけです。
それなのに、その尊厳を傷つけられるような浴びせかけられている。
これは絶対によくない、と思いました。
自分が目指しているものとはまったく違うという感覚が拭えなかった。

そのとき封鎖していた道路に救急車が来ました。
救急車が来ているということは、そこには大きなトラブルがあるわけです。
誰かが心臓麻痺になったかもしれない、
大きな病気の人、大ケガの人がいるかもしれない、
みんなその緊急性に気が付いていました。
でも、誰も道路のバリケード封鎖を解こうとはしなかった。

そのとき、自分は無実の人に危害を及ぼすようなことに係わっていた
という事実に気が付いたんです。
自分が自覚しているかいないかは関係がない。
自らの狭い正義感を貫こうとすることが、未知の他者、それも未知の弱者を傷つけている。

もうこれ以上、こうしたデモやボイコットには参加するべきではないと思いました。

真実の意味での祈り[P.51-52]

ある日、きっと、これが「はじめて」の祈りだ、と思えた瞬間がありました。
それはとても素朴な経験でした。
なんの方程式もなく、まるで、自分が素っ裸になったような感じでした。

その祈りというのは、私が生命の根源を知ることができるならば、
どんなことでもやります、あらゆることに身を任せます。
服従し、従順に生きますという祈りでした。
私たちは、よく祈るときには、なにを受け取りたいかということを祈ります。
なにを手放したいかではなくて。

そのときの私の祈りは、私が本当の意味で、その生命の根源を受け取るために、
なにを手放せばいいのでしょうかという祈りでした。
祈りは聞き入れられた、率直にそう思いました。
その祈りがかなうだろうということを私は知っていました。
でも、どんな形で起きるのかは分からなかった。
しかし、今振り返ってみると、
それがどのようにということを知らなかったことはよかったです。
知っていたら生きるのが大変だったでしょうから。

毎日毎日、私は祈っていました。
本当に心から祈りました。
そうすると、驚くようなことが起こり始めました。
どこからともなく、人々が私に会いに来るようになったのです。

交通事故の一部始終[P.68-78]

喜多見

それで、事故はどういう感じで起こって、ミッチェルさんはどうなったんですか?

メ イ

走っていたのはハイウエーでした。
フリーウエーみたいな一方向の道路じゃなくて、対向車線がある高速道路のようなものですね。
雨がひどく降っていました。
私は、サンドイッチを作っていました。
みんなに食べてもらうために。

喜多見

車の中で?

メ イ

そうです。軽食を食べるために。スイカも食べました。

喜多見

時間は何時ぐらいだったんですか?

メ イ

たぶん午前十一時ぐらいだと思います。
その日はいつもと変わらない普通の日でした。
特に虫の知らせもなにもなく乗っていました。
当時は、農業に携わっていたため、
夜明けから日没後もずっと仕事をするような毎日が続いていて、へとへとだったんです。
みんな仕事がすごく大変だったものですから、
珍しくその日は休みを取って音楽を聴きに行こうということになって、
みんなも、ワクワクしていたんです。

あの瞬間、私の人生があんなふうに変わるなんて、まったく予想もしていませんでした。

喜多見

対向車とぶつかったんですか?

メ イ

対向車ですね。
後で警察の報告で分かったのは、対向車は時速百六十キロを出していたそうです。
さすがにアメリカでもスピード違反です。
もうコントロールが効かなくなってしまっていた。

喜多見

雨で?

メ イ

雨と、おそらく飲酒運転だったと思います、運転手は若い人で。
一九七二年ですから、アメリカの車は大きかったんです。
もうほとんど戦車みたいな。

今でも鮮明に覚えてるんですが、事故が起きる寸前、私は瞬間的にビジョンを見たんです。
サンドイッチを作っていたのですが、突然、あるビジョンが見えたんです。
車が向かってくるというビジョンでした。
こちらに衝突してくるというビジョンが見えました。

すると、私の体は自動的に反応しました。
東洋の伝統で「腹」(はら)という思想がありますよね。
深く物事を「腹で分かる」といいますよね。
「腹」は身体に表現された魂のようなものです。
頭でなくて、魂で認識する、それを「腹で分かる」というわけです。
それは、不足なく、完全に理解し、肉体はそれにおのずと従うような理解です。
私はそう理解しています。
だから、理解したときはなにかが即時に変わり始めるわけです。
当時はもちろん、「腹」という言葉を知らなかった。
しかし、そのときのことを思い出すと、私の身体が「腹」に満たされたというか、
「腹」が前面に出てくるというか……そんな感じでした。

喜多見

なにかが強くわき出る、そんな感じでしょうか?

メ イ

そうですね。「腹」が、私の肉体になにをすればいいかを教えてくれたんです。

私の隣には女性が座っていました。彼女が車を運転していました。

私は突然、隣で運転していた女性の体を持ち上げて後部座席の方に投げたんです。
彼女は、私が狂っているんじゃないかと思ったと思いますよ。
結果的にはそれで彼女は助かるんですけど……。

喜多見

そのビジョンを見てから衝突までは、何秒とか何分とかどのぐらいあったんですか?

メ イ

直後です。

喜多見

向こうからぶつかるだろう車が来ているのを見ていたのですか?

メ イ

いいえ、サンドイッチを作っていたわけですから。
雨がひどくて、だから、視界が悪くて、見えなかっただろうと思います。
彼女を後ろに投げて、ほんの一、ニ秒後、実際の衝突が起きました。
私たちの車の前面に対向車が突っ込んで来たんです。
彼女が座っていた運転席は、完全につぶれてしまいました。
対向車は斜めから、前面をえぐるようにぶつかったんですね。
彼女が座っていたところは、跡形もなくて、
もし彼女がそこに座ったままだったら、おそらく命はなかったでしょう。

その衝撃があって、どのくらい経ったか分からないんです。
十秒なのか、一分なのか分かりません。
私は目を覚ましました。
腕は動いたけど、それ以外の体は動かすことができませんでした。
当時私は、身体を鍛えていましたから筋力も強かったんです。

その状況から自分が抜け出すことができないことにまず驚きました。
その瞬間は、なんの痛みも感じませんでした。
怖くもありませんでした。
でも、ほかの人たちが泣き叫んでいるのが聞こえました。
そして、自分が血だらけになっているのが見えました。
自分自身をはじめて眺めてみたときに、
まず、大きなケガだなということは分かりました。
次に体のいろいろな内部のものが外に出ているのが見えました。
そしていくつもの骨が体から突き出しているのが見えました。
それから、いろんなところに金属片が突き刺さっていました。
また、のどを貫通して口から出ている鋭利な物体に気が付きました。
次第に自分の置かれている状況を認識し始めてきました。
ちょっとこの言葉は後で編集してもらいたいんですが、「くそっ」って思いましたね。
そのとき思ったんです。
ああ、もうこれからはなにもかも、前と同じではなくなるな、二度と元通りにはなれないなと。
それ以降の記憶はないんですね。

救急隊員の人たちや医師団の人たちに後から聞いたんですが、
私を救出するのに四十五分かかったそうなんです。
鉄を焼切るバーナーや切断する特別な器具を使って脱出させたそうです。

ぶつかってきたその車はちょうど、私を押しつぶしたわけです。
これも私が後でいわれたんですが、出血多量で一度、心臓停止の状態になったそうです。
鼓動が止まり、一度「死亡」を宣告されています。
そのまま救急病院に運び込まれ、心臓マッサージをされて、心臓がもう一度動き始めました。
私自身はまったく記憶がありません。

また、そこで輸血もしてくれたようです。
献血をしてくれたのは、緑もゆかりもない、その地域に住む人たちでした。
その人たちが、そのときに血を分けてくれなければ、今の私はありません。
蘇生の直後だろうと思うんです。
医師たちが私の目を覚まそうとしました。
目を開けると、いきなり医師はこう言いました。

「足を切断します。いいですね?」

砕けた骨が四十ヶ所以上あると言われました。
ほとんど破壊的なまでの骨折でした。
それだけでなく、皮膚から飛び出した状態になっている骨が多かったんですね。
肺にも穴が開いていました。
加えて、かなり深刻な合併症を併発していました。

医師団が言うには、命が助かる見込みがあるとしたならば、
それは足を切断するしかないということでした。
きわめて深刻な損傷で、まず出血が止まらない。
骨も損傷していたんですけれども、神経の損傷も大きく、
これはもう治らないだろうといわれました。
もう二度と自分の足で立って歩くことはできない。
そう言われました。

私は、そのときのことをよく覚えてるんです。
ああ、自分の祈りが今かなえられている、
祈りが実現しているという強い認識があったんです。

祈りが事故の原因になったということではありません。
私は、確かに自分のすべてを投げ出しますと祈ったわけですね。
一切合財、すべてを投げうちますと。
実際に、それが実現したわけです。

そこで私は思ったんですね。
もし、そうであるならば、私が治る、癒される可能性があるとしたら、
それはもうスピリットの力によるしかないな。
というのは、身体的、物理的には、もうなにもできませんというふうに医師団は言ってたわけです。
また、私も自分の状況が理解できて、医学的にできることはなにもないだろう、
医師団の言うことに間違いがないだろうとも思っていたんです。

喜多見

ほかに乗っていらした五人の方は、どうなさいました?

メ イ

幸いほかのみんなはまったく無事でした。
軽いケガはしたかもしれませんし、小さな骨折くらいはあったようですけど、
ギプスを付けて、翌日には仕事に戻れる状態だったそうです。

喜多見

そうですか。ところで、ぶつかってきた方はどうでしたか?

メ イ

車はつぶれちゃったんですけど、こちらも無傷でした。
この事故で、私以外は誰も深刻な傷を負うことはありませんでした。

喜多見

そんなことってあるんですかね。足は、どちらの足を?

メ イ

この右足ですね。両足やられたんですけど、特に右足がひどかった。

喜多見

今でも、なにか体に入っていたりするんですか?

メ イ

今はもうありません。

喜多見

ケガ以外にはどんな状況だったんですか?

メ イ

傷口が全部開いていましたので、感染症がすぐに始まりました。
感染歯あっという間に血液にまで広がりました。
この感染の原因となる病菌が、血液に入ってしまうと本当に厄介なんです。
なんの手の施しようもなくなるタイプです。

また、不幸なことに、私の感染症の治療に使われていた抗生剤はすごく危険なんですね。
副作用が強い。この抗生物質は最大でも六週間しか使えないものでした。
それ以上の投与は腎臓の機能の不全を引き起こすことが分かっていました。
また、当然のことながら、肝臓もやられてしまいます。

医師団は、とにかく感染の拡大を防ぐために通常の服用量の二倍から三倍の量を使っていました。
でも、まったく効かなかった。
この抗生剤と感染症の結果、敏感な神経系がだんだんやられてきたんですね。
目はほとんど見えなくなってしまって、耳もほとんど聞こえなくなっていました。

また、もう一つの試練は、灼熱痛という神経の激痛に耐えなくてはならなかったことです。
これが一番苦しかった。
灼熱痛は現代医学で知られている限りで最も激しいタイプの痛みなんですね。
皆さんも歯医者さんへいって、神経がすこし出ているところに触れられると痛みを感じますよね。
あれが全身くまなく行き渡っている、そんな感じです。

ミッチェル・メイの死生観[P.87-88]

いろいろな意味で、私はもうこの世に存在しなくなるときを楽しみにしています。
どういう意味かというと、死は、生命の終わりではなく、
個としての「ミッチェル」の状態というのがなくなるということですよね。
でも、それはすべての終焉を意味しているわけではない。
なにかのはじまりかもしれない。
むしろ、私はそうであることを強く確信しているんです。

ミッチェル・メイと出会う事を予知したジャック・グレイ[P.95]

母が連絡する二日前に、ジャックは、モス博士に言ったそうです。
「連絡が来る。助けを必要としている青年がいる。その母親から連絡が来る」
そう言ったそうです。
ジャックは、私を助けることになるということを知っていました。
モス博士が、母にこのことを伝えたとき、母はそれをどのように理解していいか、
まったく分からなかったそうです。

傷つかないジャック・グレイの体[P.103-104]

ジャックは言いました。普段はこんなことは絶対にしない。
でもこうでもしなければ、ここにいる誰も私を信用しないだろう、
だからここで一つの「経験」をしていただきたい。
そう、そこにいた医師たち、私の両親、そして私に向かって、
彼はポケットからライターを取り出しました。
それからライターに火をつけて、自らの手をその炎の上に置いて、言いました。
人は、炎に手をかざして、必ずしも火傷するとは限らない。
痛みを感じる必要などない、と。

言葉が悪いんですが、正直言いますと、
「ああ……ちょっとイカれた奴が来たな」と思いましたよ。
ライターにトリックがあると思ったんです。
子どものときに、ろうそくの上に手をかざして、
どのくらい持ちこたえられるかという遊びをやりましたね。
私はそんなことだろうと思っていました。
でも、そういう遊びとは違ったんです。
彼は炎の上で、手をじっと動かさない。

父は合理主義者ですから、じゃあ、自分にもやらせてみてくださいと言ったんです。
結果はいうまでもありません。
父はやった途端に、声を上げて手を離してしまう。
医師がやっても、もちろん同じでした。
でも、ジャックはずっと手を置いていられた。
一分、二分、三分、まったく燃えないんです。
毛の産毛さえも焦げない。内心思いましたね。
「うん、この人、かなりいけるかも」って(笑)。

それから、バーベキューなんかで使う串がありますよね。
医師たちがいるところで、腕をまくし上げて、その串を腕に刺したんです。
反対側から串の先が出ちゃった。貫通したんです。
普通に話しながらですよ。それで、彼はこう言うんです。

「どうしましょうか。血の流し方です。
ざっと流すか、それとも、血を流さない方がいいですか。
それとも、一滴だけ血を流しましょうか?」

そこにいた誰もが言葉を失いました。
彼は、一滴一滴、したたり落ちるようにしてから、
次に、ざぁーっと流れ出るのを見せてくれました。
そして、急に止める。
それで串を引き抜くんです。
「さあ、見て。目を離さないで」とジャックが言うと、
数秒間で見る見る傷が閉じていくんです。
二分もすると、傷跡すら残らない。

ジャック・グレイのヒーリング[P.105-108]

彼は、ユダヤ教の詠唱を始めました。
それまでは、ああいうのはまったく聞いたことがなかったんですね。
ものすごく低く、深い声で、何度も何度も何度も、
部屋全体の密度がものすごく濃くなったというか、熱気を帯びたという感じでした。
そのときちょうど看護師さんがなにかの薬を持ってきたようで、
何度ドアを開けようとしてもドアが開かなかったんです。

同時に、彼は頭のまわり、そして体全体をなぞうるように手を動かしました。
UCLAの大学病院、アメリカのトップの医学校です。
医師たちがいるところで、老年にさしかかったひとりの男が、瀕死の男に手をかざしている。
普通じゃない光景ですよね。
ジャックは、その日の夕方六時から翌朝の六時までそれを続けました。
私は、途中で気を失ってしまいました。

それ以前は、私はほとんど眠れない状態だったんです。
後から考えると、ジャックがヒーリングをしてくれている間は、
一切、鎮痛剤を使いませんでした。モルヒネを使っていなかった。

翌朝の六時、ジャックは私に言いました。
自分はこれから仕事に行かなければならない、今晩六時に戻ってくる。
忘れないでほしい。
ミッチェル、私は一日中、君とずっと一緒にいる、そう言ってくれました。

もちろん、彼は物理的には私の近くにはいません。
でも私は彼の言葉通り、一日中彼がそばにいてくれる、
そんな存在感を感じることができました。
ときには、姿が見えると言いたくなるようなときすらあったほどです。
その晩、彼は約束通り、また戻ってきて、前と同じようなことをしました。
それで、朝六時になると、また仕事に行きます。
三日三晩、彼はまったく眠らず、一晩中私を癒し、日中は仕事をしていたわけです。

三日目の晩、ヒーリングが終わって、私が目を覚ましたときに、痛みは完全に消えていました。
壊れている骨とか神経の状態、感染の状態はまったく変わっていない、
でも痛みは消えていました。

≪中略≫

その後も、彼は、ずっとヒーリングをしてくれました。
そんな日々が続くと、ズタズタだった神経がだんだん再生してきたんですね。
骨もだんだん治ってきました。

ジャック・グレイの病態透視[P.108]

ニ、三週間後、ジャックが私の両親に言いました。
ぜひ、医師団に伝えてほしい。
骨の断片が、足の一部に残っている、
感染症を食い止めるにはこの骨を取り除かなくてはならない、そう言ったんです。
また、この骨が手術でなくては取り出せない大きさだということも付け加えました。
彼は、自分はミッチェルの足の中を見ることができる、確かにその骨が見える、
大真面目にそう言ったんです。
医師たちまるで取り合ってくれませんでした。
こちらは最新鋭の機械でちゃんと調べている。
レントゲンも撮っている、そんな馬鹿馬鹿しい話には付き合えない、そう言ったんです。

ジャックは、それでも私の両親と一緒に懸命に頼んでくれました。
どうかお願いだから、手術をしてほしい、一つの若い命がかかっている。
もし、自分の指摘が間違っていたら、もし自分がいう骨が見つからなければ、
この場から追放してもらって構わない、そう言ってくれました。

紆余曲折があって、検査という名目で手術が行われました。
ジャックが言ったとおりでした。
骨があったんです。まさにその場所に。
そして骨は取り除かれました。
それ以降、感染症は次第に治まっていきました。

水道水を霊水に変えたジャック・グレイ[P.108-109]

私が苦しんでいた感染症というのは、
血液中、特に骨の中に菌が侵入してしまった場合は、
決して良くならないんですね。

ジャックは、その晩、手術の後で、水道水をコップに入れて持ってきて、
彼の手の中にそのコップを十分か十五分ほど包み込むようにしていました。
そして、私にその水を渡して、全部飲むようにと言いました。
飲んだ途端に、私は気を失ってしまいました。
翌朝、目を覚ましたとき、すべての菌は、私の体から消えていたのです。
それ以降は、まったく感染症の症状はありませんでした。

ジャック・グレイの長距離テレパシー[P.116]

こんなことがありました。
ジャックは、とても頑固な人でした。
ある出来事があって、私は彼の言っていることが納得できなかった。
よくよく考えるとやっぱり馬鹿馬鹿しい、そう思ったんです。
そのとき、電話のベルが鳴りました。
ジャックからです。
「君は、なにかい? そんなに私の言うことが馬鹿馬鹿しいのかね」、そんな感じです。

何もしないという業(わざ)[P.130-131]

多くの人は、なにもしないというと、本当になんの行為もしないことだと思ってしまう。
でも、人は、自分の力ではなにもできない、なにもしないと思っているときに、
なにか別の力がそこに現われるんです。
しかし、自分の力でなにかをやろうとすればするほど、
自分自身で可能性を制限していることを知らないのです。

ジャック・グレイのサイコキネシス[P.133_137-139]

喜多見

休憩前は、ジャックさんが亡くなる直前のところまでお話いただきました。
その後のお話を聞かせてください。

メ イ

……もう一回感じてみようとしているところです。
もう一度感じてみようと……(沈黙)。

≪中略≫

翌朝は、試験だったので、学校に行かなければなりませんでした。
試験の最中、文字通り、私を誰かが引っ張って、壁の方に投げ飛ばしたような感じがしました。
私は教室を飛び出て、車のところに走っていって、
本当に狂ったように運転して、病院に行きました。
エレベーターに乗りました。そのときです。
私は大気圧のような、風の力で、くるっと巻き上げられたんです。
三回、私はこうして「くるっくるっ」と竜巻に巻き込まれるように上方に向かって回転したんです。
浮かんでしまったということですね。

喜多見

ミッチェルさんの体が?

メ イ

エレベーターのなかで数十センチ上がったんです。
三回ぐらい。
ジャックの入院していた病院のエレベーターの中です。

喜多見

そのとき、誰もエレベーターに乗っていなかった?

メ イ

誰もいませんでした。幸いなことに(笑)。

喜多見

今は監視カメラがあるから、監視官が見ているんだろうけど(笑)。

メ イ

身体が下りて、そして、エレベーターのドアが開きました。
今度は、病院の電気が全部消えたんです。停電になった。
機械、証明と、すべての電気が消えました。五秒ぐらい。
私は本能的にいつもの病室じゃなくて、集中治療室の方に行きました。
本来なら、集中治療室に入るには特別な許可証が必要なんです。
ドアを開けたとき、女性の看護師が、だめです、入れませんと言いました。
数秒間の沈黙がありました。
ほかにも何人か看護師がいたんですが、なぜか分からないんですけれども、
誰も私を止めることができないということが、みんな分かったような感じでした。
私は、彼が寝ている部屋にまっすぐ歩いていきました。
ベッドにジャックがいて、担当の医師と看護師がそこにいました。

三分前に亡くなりましたと言われました。
私がエレベーターの中であの「風」に巻き込まれたときでした。

シナジーカンパニー社員の志望動機[P.261-262]

シナジーカンパニー働くために遠方からわざわざ引っ越してきた最近の人たちは、
彼らも私たちも、とても満足しています。
ほとんど全員が同じことを言ってくれていますね。

彼らは前職において、いい仕事をしていたけれども、
その会社のミッションや存在価値がよく見えなかったといいます。
彼らにとっては、自分がやっていることが、なにか価値あることで、
世界に貢献していると思えなくなってしまったわけです。
一日八時間、十時間と仕事をして、つまり人生の三分の一以上を使っているものの、
誰にもその仕事の価値を十分に認めてもらえない。
それだけでなく、人々がよくなるための「進化」に貢献している感覚も得られない。
そういったことにかなり落胆してしまったんです。

ミッチェル・メイの兄[P.263]

今、最高財務責任者(CFO)をしている私の兄は、もともと顧問だったんです。
顧問として年に数回、彼のアドバイスを求めるだけだった。
彼は、フォーチュン誌(全米有数の経済雑誌)の「Fortune 500」に入る、
要するに、大手優良企業のCFOでした。
これはなかなかの社会的な地位だと思います。
兄弟として電話で彼と話したときに、彼が、なんだか満足していない、
幸せそうじゃないという感じがいつもあったんです。
いわゆる社会的な「成功」はしていたんですが。

彼は今、六十二歳ですけれど、彼の年齢になって、
もっと若い人たちに自分がやってきたことを伝えていきたい、
伝えていくべきだと感じていたんです。
彼は、シナジーカンパニーのような会社に貢献したいと言い始めたのです。
自分が今までやってきたスキルも生かせるし、彼が好きなことだし、
ビジネスマンとして十分に経験も訓練も積んでいる、そう言ったんですね。

瞑想[P.313]

大切なこと、人生の本当の秘密は、日中、何回も瞑想することです。
五分、ときには十秒でも構いません。瞬間的にであっても、
じっと自分の中心的部分(センター)とつながりをもっていられるようにすることです。

朝に瞑想しただけでは、それは、朝食だけ食べて、昼や夜を抜いたようなものです。
すくなくても食事の回数と同じように瞑想を行う、常にこのサイクルの中にいる必要があります。

私の祈りは、私が学び、理解する必要があることに対して、
自分がオープンになりますように、希望を開くことができますようにという祈りです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です