バベルの図書館

書籍と雑誌の要約と解説

SIDSを乗りこえて

わが子の死、なぜ

装丁
SIDSを乗りこえて SIDSを乗りこえて
河野啓子&河野明
同時代社
ISBN4-88683-551-1
C0036
2005/06/30
¥1500
帯紙

うつぶせ寝で放置され、たった39日のいのちが奪われた。
一枚の写真から、病院側に過失を認めさせるまでの道のり。
両親が記した愛とたたかいの記録。

目次
  1. わが子の死、なぜ
    1. たった三九日のいのち
      1. 人生を変えた一本の電話
      2. やっと授かった子
      3. 生まれてきてありがとう
      4. 志保という名前
      5. 大雪の年
      6. 鼻づまりといきみ
      7. やっといい先生に出会えた
      8. まさか入院とは
      9. 最後の二時間
      10. ささやかな夢
      11. ミルクをあげてください
    2. 衝撃の一日
      1. 変わり果てた姿
      2. 志保は泣いていた
      3. 無視された電話
      4. 無言の帰宅
    3. 真実を求めて
      1. 当事者に会わせて
      2. 院長との面談
      3. 親がやるべきこと
      4. 担当看護師のはなし
      5. 発見時の状況
      6. 当直医のはなし
      7. 「はなし」から分かったこと
      8. 解剖医は超SIDS推進派
      9. 悲しい一言
      10. 閉ざされた扉
    4. SIDSってなに?
      1. SIDS診断の矛盾
      2. 窪田弁護士との出会い
      3. 井上さんの勝訴判決
      4. 赤ちゃんの急死を考える会
      5. SIDS学会
      6. 幸運
      7. 松井さんの勝訴判決
      8. 図書館通いの日々
    5. たたかう日々
      1. 証拠保全
      2. 専門家探し
      3. 佐藤教授との出会い
      4. 写真が物語るもの
      5. ついに提訴
      6. 裁判のキーワード
      7. 「現場検証」の提案
      8. 消灯後の現場検証
      9. 被告から出た石山教授の鑑定書
      10. 志保の人形
      11. 影の実験
      12. 同じ姿勢で実験
      13. ベッドの傾斜は安全か
      14. 娘の臓器を抱きしめて
      15. 佐藤教授の再鑑定
    6. 証人尋問
      1. 担当医師に対する証人尋問
      2. 担当看護師に対する証人尋問
      3. ゆがめられていく真実
      4. 変わる証言
      5. 病室のパラドックス
      6. 裁判長変わる
      7. 佐藤教授が証人
      8. 私たちの証言
      9. 「もっと言わせてください」
    7. 陳述書「SIDSの曖昧性」
      1. SIDSの定義
      2. SIDSと診断された症例の疫学的特徴
      3. SIDSと診断された症例は本当にSIDSだったのだろうか?
      4. 志保の死因はSIDSといえるか
    8. 最後の攻防
      1. 弁護団との合宿
      2. 流れを変えたい
      3. 和解決裂
      4. いよいよ結審か
      5. 裁判所からの宿題
      6. 昨日の敵は
      7. 最終準備書面の後の準備書面
      8. 風向きが変わってきた
      9. 分かれる司法の判断
      10. 立ちふさがる壁
    9. 運命の判決
      1. 判決前夜
      2. 感無量の日
      3. 壁は破られた
      4. 娘の人権守れた
      5. 東京都控訴断念
      6. 志保が残してくれたもの
  2. 【解説】原告の訴え、判決の合理性   志保ちゃん事件弁護団
    1. 志保ちゃん事件との出会い
      1. 河野夫妻の相談
      2. 志保ちゃん事件の特徴
    2. 事件の経過のあらまし
    3. 原告の主張のまとめ
      1. 最後の主張の視点について
      2. 死因について
      3. 病院の過失について
    4. 判決の要点
    5. 先に歩む人々の努力のうえ
  3. 【判決】〔抄〕
文献
  • 「SIDSってほんと?」赤ちゃんの急死を考える会[P.]
  • 「たった九ヶ月のいのち」真理子ちゃんの死をむだにしない会[P.]
  • 「菜穂へ、そして未来を絶たれた天使たちへ」櫛毛冨久美 小学館[P.]
  • 「乳幼児突然死症候群とその家族のために」仁志田博司著 東京書籍[P.110]
  • 「ゆりかごの死」阿部寿美代著 新潮社[P.110]
  • 「厚生省心身障害研究平成六年度・八年度研究報告書」厚生省[P.51]
  • 「乳幼児突然死症候群(SIDS)診断の法医病理学的原則に関する提言」
    (文部省科学研究費補助金研究成果報告書平成一一年三月)[P.52]
  • 「乳児人形モデルによる再呼吸シュミレートから見た寝具の危険性の検討」船山眞人
    (平成一〇・一一年度科学研究費補助金研究成果報告書)[P.]
  • 「小児内科」三〇巻四号(一九九八年四月)東京医学社[P.109]
  • 「小児看護」二二巻一号(一九九九年一月)へるす出版[P.]
  • 「小児科診療」六三巻三号(二〇〇〇年三月)診断と治療社[P.108]
  • 「ペリネイタルケア」一九巻五号(二〇〇〇年四月)メディカ出版[P.]
  • 「保健の科学」四三巻四号(二〇〇一年四月)杏林書院[P.]
  • 「NEWSWEEK日本版」一九九七年一〇月二二日号[P.112]
  • 「Arch Dis Chaild」1990;80[P.112]
  • 「日本SIDS学会雑誌」第三巻一号(二〇〇三年)[P.113]
  • 「SIDS家族の会会報」二七号(二〇〇一年一月)[P.113]
  • 「臨床のための法医学」朝倉書店[P.162]
  • 「うつ伏せ寝赤ちゃんはスクスク育つ」杉山四郎 二見書房[P.166]
  • 「検視ハンドブック」高津光洋 南山堂[P.]
文献
  • 【脱字】・脳の一部にみられるグリオーシスは低酸素性の脳組織変化と考えられ、特定の疾患を示唆する所見ではない→読点欠落

解説

SIDSを窒息死の免罪符にされた河野志保ちゃん裁判の記録。
『菜穂へ、そして未来を絶たれた天使たちへ』がSIDS防止キャンペーン以前なら、
『SIDSを乗りこえて』はSIDS防止キャンペーン以後に位置づけられる。

概要

1998年1月18日、
東京都八王子小児病院に「胃の軸捻転」で入院させていた
生後39日の娘・志保が死亡した。

不信な点が多く窒息死が疑われたため河野夫妻は裁判を決意する。
2年間を勉強と資料集めに費やし、そこからさらに4年間をかけた裁判の末、
2004年4月28日に勝訴。

判決内容は「SIDSか窒息死のいずれの場合であっても病院側に過失がある」
というもので窒息死と認定されたわけではなかったが、
SIDS裁判史上初めて管理責任が問われた画期的なものだった。

要点

・解剖する前からSIDSと決め付けられた。P.29-30
・うつぶせ寝でもあおむけ寝でもSIDSのリスクはあまり変わらないと嘘をつかれた。P.44-45
・警察に届けると詳しい解剖結果を知ることができないと騙されて病院での病理解剖を了承させられた。P.46
・担当解剖医(国立精神・神経センター医師高崎幸男および慶応大学医学部病理学教室教授秦順一)も被告側鑑定医(帝京大学法医学教室教授石山晃夫)も皆死亡状況を一切考慮せず解剖の結果だけで診断している。P.48-49_79-80
・解剖医は病院から窒息はないと聞いているからSIDSだと言い、病院は解剖しても何も見つからないのでSIDSだと言う。P.49
・厚生省はうつぶせで窒息しないとしているが文部省はうつぶせでは安易にSIDSと診断してはならないと警告している。P.51-52
・圧迫された所は蒼白になるので口と鼻の周りに死斑がなければ窒息死したと判断できる。P.66-69
・硬いマットレスを使用していたがその上にベッドパット、防水シーツ、バスタオル2枚を敷いていてうつぶせ寝には不適切な状態にあった。P.74
・いままではSIDSと診断されれば即無罪という状況だったがこれを機に管理責任が問われるようになった。P.141

要約

父・明47歳(東京都羽村市の高校数学教師)、
母・啓子46歳(東京都葛飾区の高校図書館司書)。
出産(帝王切開)の11年前に結婚。5年前に流産。P.11-13

志保が生まれて来た時、感謝の気持ちが湧いてきた。私たちのところによくぞ生まれてきてくれましたP.14

志保という名前の由来は一年前に亡くなった夫の母・志まえ。P.15

1997年12月暮れから産後の風邪が一向に治らず風邪薬を飲み始めたため、
母乳への影響を考慮して粉ミルクに切り換え、しばらくして志保に風邪が移る。P.16-17

元旦になっても治らず鼻づまりがひどくなる。P.17
1998年1月2日、八王子小児病院に救急で診察してもらい鼻水吸引と内服薬を施される。
5・6・7日と連日通院。レントゲンで軽い肺炎と診断されたが治療を続けているうちに軽快。
9日になると快方に向かうがいきみが目立つようになる。
内科や産院で相談してみても「赤ちゃんはいきむものです」と言われるだけだった。P.18
15日、啓子の風邪が完治してので母乳再開するも噴水のように吐き出す。
16日、いきみが良くならず再診察したところ便秘と診断され浣腸。P.19

17日、左足の付け根が固くなっていることに気づき、産院の一か月検診に連れて行くとヘルニアと診断。
八王子小児病院外科を紹介され診てもらうと、
ヘルニアはいきみの結果であり、いきみは胃の軸捻転による便秘が原因との診断を受ける。P.20-21

「胃の軸捻転」はうつぶせ寝で簡単に治るものの、
「自宅でいきなりうつぶせ寝にするのは危険」ということで入院させる運びとなった。P.22

1998年1月18日、病院から緊急事態の知らせ。病院に着くと乳幼児突然死症候群と告げられる。P.29-30

5時50分に心肺停止の状態で発見され、P.31午後に病院内で解剖された。P.33

家族だけでの葬儀。P.34

1998年1月22日、A医師が病院を代表して焼香。P.35

1998年1月27日、院長と面会。P.36
事故当日は一人の看護婦が二つの部屋を担当していた。
モニターは誤報が多すぎるということで取り付けていなかった。P.37

1998年2月5日、看護師および医師と面会。
医師は硬いベッドでは窒息はないという認識。P.44-45

話から顔の向きと呼吸を確認していなかったことがわかった。P.45

警察に届けると、両親は当事者になるので、詳しい解剖結果を知ることはできません。
病院で解剖すればすべてお話できます
という説明を信じて病理解剖を了承。
解剖は高嶋幸男医師(八王子病院内科医師知人、厚生省SIDS研究班メンバー)
によって事故当日の午後に行われた。P.46

解剖所見は英語で書かれ、結論だけ日本語で「脳には特に死因となる所見はなかった」。
1998年4月30日、国立精神・神経センターの高崎幸男医師を訪問。P.48-49

1998年5月18日、脳以外の臓器の病理検査を担当した慶応大学医学部病理学教室教授の秦順一を訪問。
秦順一の見解は、「SIDSと鼻腔閉塞による窒息は区別できません。
これは形態学の限界です。臨床の先生から窒息はないと聞いていますので、
『SIDSの可能性』としました」
その一か月後に出た病院の正式見解は、
「解剖しても特に死因となるものはありませんので、死因はSIDSです。
SIDSは病気ですから、病院に責任はありません」P.49

SIDSの診断基準は矛盾している:P.51-52
厚生省研究班「単にうつぶせだけで鼻口閉塞による窒息が起こるとは考えにくい」(1994年)。
文部省研究グループ「うつぶせの場合、安易にSIDSと診断してはならない」(1999年)。

1998年2月19日、夫の職場の先輩である小川原教諭から窪田之喜弁護士を紹介され、
同事務所の齋藤展夫、佐藤融、木村真実を加えた弁護団を結成。P.54

1998年3月23日、ニュース「うつぶせ寝訴訟勝訴」:
SIDS訴訟初の全面勝訴、多摩市井上湧介、生後3日で植物人間、7か月後に死亡。
1998年5月10日、テレビ朝日サンデープロジェクトがSIDS問題を報道。
テレビ局への問い合せを通じて「赤ちゃんの急死を考える会」事務局長櫛毛冨久美と接触。P.55-56

1998年夏、「赤ちゃんの急死を考える会」(霞ヶ関の弁護士会館)に参加。
2000年2月、「赤ちゃんの急死を考える会」で小冊子『SIDSってほんと?』を作成。
全国の法医学者やSIDS研究者に郵送、厚生省に要請して記者会見。P.56-58

1999年2月、「日本SIDS研究会(現・日本SIDS学会)」(大阪)に参加。P.58-59

休憩時間に大阪府監察医河野朗久医師に出会い、
病院側が警察に届け出なかった法律上の間違いを指摘される。P.60
2000年3月9日、神戸・松井まどかちゃん裁判勝訴。P.61

2年間は図書館でSIDSの勉強と資料集め。P.62-63

2000年9月11日、証拠保全。P.64

元厚生省SIDS研究班長・仁志田博司の研究所を訪ねる。
そして法医に写真を見てもらったほうがいいと助言される。P.65-66

1998年12月18日、杏林大学医学部法医学教室の佐藤喜宜を訪問。
死後3時間前後放置されていると写真判定。
1999年5月、意見書依頼。P.66-69

1999年10月、意見書完成:P.69
①死亡推定時刻は午前三時一〇分から二〇分
②死因は鼻口部圧迫による窒息とするのが妥当
③医師法第二一条の義務違反
④腹臥位のずさんな管理

2000年3月6日、東京地裁八王子支部に病院の管理者である東京都を提訴。P.70
2000年5月10日、東京地裁八王子支部401号法廷で第1回目口頭弁論。P.71

2000年12月、現場検証申請書を提出するが快諾されず。P.73-74
2001年6月、被告が弁論準備の席に病院で使っているのと同じ
マットレス、ベッドマット、防水シーツなどの寝具を持ち込み、
これならうつぶせ寝でも窒息しないと主張。
バスタオルを2枚使っていたのに1枚とごまかそうとする。P.74
2001年7月、裁判長が被告病院での進行協議を提案。P.75

2001年9月18日、現場検証。
常夜灯だけでは薄暗く、ベッドで寝ている赤ちゃんが呼吸しているかどうかわかるわけもなかった。
志保の頭と同じ重さのだるまを載せてみたら鼻のあたりが沈み込むのがはっきりわかった。P.77-78

2001年1月、東京都が帝京大学法医学教室石山晃夫教授の鑑定意見書を提出。
顔面の変色は上胸部まで達していることからうっ血であって死斑ではなく、
脳幹グリオーシスの存在はSIDSの可能性を示唆するという。P.79-80

2001年5月、うつぶせ寝には適さない服装だった事を証明するため等身大の人形を製作。P.80-81

さらに上胸部の変色帯は影であることを実験して証明。P.81-82

2002年6月26日、八王子小児病院から臓器を受け取り組織標本再鑑定:P.84-85
・上大静脈のうっ血であれば、上胸部より上部の臓器・組織に高度の血量があるはずであるが、剖検所見にその記載はない。
脳の組織標本でも中等度の血量しか認められない。
・肺の所見は志保が生前に肺に炎症をきたしていたことを示し、ニ週間程度以前からの風邪症状と一致する。
肺胞内に細泡沫状の液状物の充満が認められる。
・脳の一部にみられるグリオーシスは低酸素性の脳組織変化と考えられ、特定の疾患を示唆する所見ではない。

2001年10月24日、証人尋問:A医師
2001年12月19日、継続尋問:A医師
うつぶせ寝の危険性の認識について、当日の看護状況について、
ミルクの時間について、胃の軸捻転治療におけるうつぶせ寝の危険性について。P.87-92

2002年2月27日、証人尋問:B看護師
看護記録について、夜間のミルクについて、巡視について、発見時について。P.92-99

2003年4月9日、証人尋問:両親
誕生から入院まで(啓子)、病院との話し合いと研究者とのやりとり(明)P.103-105

陳述書「SIDSの曖昧性」を提出。P.108-113

弁護団と裁判の節目に合宿。八合目論が提起される。P.117-118
最終合宿では石山再意見書がベッドに右頬が接触していたことを認めたため一同色めき立つ。P.118

2003年夏、最終準備書面の作成に入る。
2003年9月、「うつぶせ寝事故の再発防止の提案」を作って和解に臨む。
2003年10月1日、和解決裂。P.121-122

2003年12月4日、最終準備書面が完成(総頁数85)。
2003年12月10日、結審延長。早期発見しても救命が可能な証拠を提出するように求められる。P.122-123

以前SIDS学会のロビーでもらったベビーセンスの資料の中に、
早期発見して救命できた15事例の調査一覧表を見つける。P.126

2004年1月14日、結審再延長。被告は約束に反して証拠ではなく上申書を出してきた。

2004年2月4日、結審。
被告がホームモニターを批判する文献を出してきたため、後日反論書面の提出が認められた。P.129

2004年3月19日、TBS「ニュースの森」シリーズ・赤ちゃんが危ない(全5回)。P.130

2004年3月25日、石井まひろちゃん裁判勝訴、小山和ちゃん裁判敗訴。P.131-132

判決を前にこれまでのSIDS裁判をふりかえる。P.133-134

2004年4月28日午後1時10分、勝訴判決。P.139

この判決は死因が窒息かSIDSであるかを問わず、
うつぶせ寝に対する注意義務を怠ったとして被告病院の管理責任を認める内容で、
「SIDSは病気であり、管理責任はない」というこれまでのSIDSの壁を打ち破った。P.141

2004年5月6日、都議会議員117名全員に「控訴しないようにという要請書」を送付。
2004年5月12日、東京都から控訴断念の知らせ。P.143-144

2004年10月、東京都病院経営本部に事故再発防止を要請するが拒否される。
このため配達証明付郵便にて要請書を郵送。P.144-145

この判決を今後同じような事故をくり返さないための再発防止に役立たせることが、
残された私たちの使命である。
P.146

内容

家族だけでの葬儀[P.34]

家族だけのお通夜、そしてお葬式。
志保は、かわいいぞうさんの絵の小さな棺におさめられた。
私たちは志保のそばから離れることができなかった。
二人の涙で志保の命が吹き返さないものかと願ったが、
そんな奇跡がおこるはずはなかった。

私たちは、お互いをつっかえ棒のようにして、
あまりにも受け入れがたい悲しみに耐えるだけだった。

モニターは誤報が多すぎるということで取り付けていなかった[P.37]

「モニターを付けておけばよかったと思いますが、モニターは誤報が多すぎます。
何事もないのにピーピー鳴って、看護師がそれに慣れてしまう。
また、看護師からもいろいろ苦情も出ていて、(モニターは)付けなくなっています」

院長のそんな説明を聞きながら、私たちはなんともやりきれない気持ちになった。

医師は硬いベッドでは窒息はないという認識[P.44-45]

M医師「自分のこれまでの経験と病院の硬いベッドでは
窒息死の可能性が非常に少ないと思われます。
しかし、窒息死ではないと言い切ることはできません。
当日失礼な言い方をしたかもしれません」

「U先生はどう思われましたか」

U医師「私も、自分のこれまでの経験からSIDSだと思いました」

「病院では窒息死は起こらないという過信があるのではないですか。
窒息はあり得ないのですか」

A医師「たとえ下を向いていても、こちらが驚くような姿勢でいても、
子どもは息をしているものです」

最後に、『乳幼児突然死症候群とその家族のために』(仁志田博司著)と
『ゆりかごの死』(阿部寿美代著)というSIDSに関する二冊の本を見せながら、夫は言った。
これらの本は、SIDSのことを少しでも理解しようと、私たちが読んでいた本である。

「A先生は当日の説明で、
SIDSはうつぶせ寝でも仰向け寝でもリスクはあまり変わらないとおっしゃっていましたが、
私の読んだ本では、ほとんどうつぶせ寝で起こっているのですがどうですか」

A医師「それらの本は、何らかの意図があって書かれたものだと思います。
厚生省からSIDSの報告書が出されていますので、後でお送りしましょう」

しかし、後日、A医師から送られてきた平成八年度の厚生省SIDS研究班の報告書においても、
「うつぶせ寝がSIDSの危険因子である」ことが指摘されていたのである。

1998年4月30日、国立精神・神経センターの高崎幸男医師を訪問[P.48-49]

「SIDSと窒息はどう違うのですか」夫が質問した。
「SIDSと気道閉塞による窒息は病理解剖上違いがでません」

話しているうちに、高嶋医師は、
志保が生まれてはじめてうつぶせ寝にされ、
ミルクも水分も与えられていなかった状況などまったく知らなかったことがわかった。

私たちは窒息かどうかを調べてもらいたかったのに、
何のために解剖したのかわからなくなり、
高嶋医師の言葉に失望した。

帰り際、高嶋医師が言った。

「こんどのことは忘れて、早く次のお子さんを」

悪気はなかったのだろうと思う。
だが、子どもを亡くしたばかりの私には耐えられない言葉だった。
もう這い上がれないような気分だった。

「私にはもう次はありませんから」

そう言うのが精一杯だった。

「やっと授かったのに。志保のことを忘れるなんてできないのに」

私は心の中でさけんだ。

志保の命があまりにも軽く扱われているようで悲しかった。

1999年2月、「日本SIDS研究会(現・日本SIDS学会)」(大阪)に参加[P.58-59]

ちょうど志保が亡くなって一年が過ぎた一九九九年二月、
大阪で「日本SIDS研究会」(現・日本SIDS学会)があると聞いて、
いてもたってもいられずに休暇をとって二人で大阪に出かけた。

このときのメインテーマは「SIDSと窒息」だった。
SIDSに関係している小児、法医、病理の研究者が参加して、
活発な議論が行われていた。
志保を病理解剖した高嶋医師も参加しており、
会場で私たちの顔を見てびっくりしていた。

ある研究者が東京都監察医医務院の統計を発表していた。
「解剖したすべてをSIDSと診断した医者から一人も診断しない医者までいる」
と報告しているのを聞き、医者によってこんなにも考え方に差があることに愕然とさせられた。

また、「口蓋裂手術の後、
鼻にはガーゼが入り手足には抑制帯がつけられてうつぶせで発見、
蘇生されたものの重度の障害を負った事案でも、
裁判でSIDSとなり病院に責任はないとなった判例」が紹介されていた。

会場から「このケースは医療側にとってラッキーな判決だ」
という声があがっていたのが印象的だった。
これが医療機関の本音なのだろうか。
自らは真実を明かさない姿勢に驚いたし、
こうした事態に積極的に真実を解明しようとしない裁判所にも強い憤りを感じた。

2000年3月9日、神戸・松井まどかちゃん裁判勝訴[P.61]

松井さんは、阪神淡路大震災後の震災処理のため、
生後四か月のまどかちゃんをはじめて保育園に預けた二時間後、
うつぶせ寝で亡くしていた。
判決は、SIDS裁判では初めて、司法解剖でのSIDSという診断を否定し、
死亡状況などから窒息を認定した。

松井さんは海外の文献にも詳しく、SIDSについて非常によく勉強されていた。
裁判当初からずっと死因論争を避けて管理責任を争点にしたことなど、
SIDS裁判の進め方を私たちにアドバイスしてくれた。

2年間は図書館でSIDSの勉強と資料集め[P.62-63]

高校の学校司書をしている私が、いつも生徒に言っていることがある。

「まだ高校生だから実感はないかもしれないけれど、これから大人になって、本当に困難な問題にぶつかった時には図書館に行きなさい。
図書館はかならずあなたの力になってくれるし、
きっと解決の糸口も見つけられるはずです」

そういう私自身が、わが子の死の真相を知るために図書館に救いを求め、
その日から図書館通いの日々が始まったのである。

夫と私は休暇をとって、都立図書館や国会図書館に何度も足を運んだ。
国会図書館では、医学の専門雑誌や目録で本を探しあててから、
その本を閲覧するのに並び、その日から図書館通いの日々が始まったのである。

夫と私は休暇をとって、都立図書館や国会図書館に何度も足を運んだ。
国会図書館では、医学の専門雑誌や目録で本を探しあててから、
その本を閲覧するのに並び、複写のために並び、
文献のコピーが出来上がってくるのを待たなければならなかった。
それに一度に出してもらえる本は三冊までと決まっていた。
それを二人で何回も往復する。
そうして丸一日かけても、
証拠として使えそうな論文が一つか二つしか探し出せないときもあった。

元厚生省SIDS研究班長・仁志田博司の研究所を訪ねる[P.65-66]

「SIDSを起こしやすいといわれるうつぶせ寝の管理が、
適切であったかどうかを問うことはできます。
モニターをつければ、SIDSも理論的には防げるはずです。
本件の死因については、病理の専門家であればSIDSの範疇に入れるでしょう。
なんとか話し合いで解決できればいいですね」

そして最後に、もう一度志保の写真を見ながら、
「一度、この写真を法医の専門家に見てもらったほうがいいですよ」
と、アドバイスしてくれた。

1998年12月18日、杏林大学医学部法医学教室の佐藤喜宜を訪問[P.66-69]

以前読んだ阿部寿美代さんの『ゆりかごの死』という本の中で、
SIDSの診断に非常に慎重な研究者として紹介されていた
杏林大学医学部法医学教室の佐藤喜宜教授を思い出した。

杏林大学は多摩地区の司法解剖を担当している。
もしあの時警察に届けられていれば、
志保も佐藤教授に解剖してもらっていたかもしれない。
勇気をふりしぼって佐藤教授に電話をすると、
教授はこころよく資料を見てくれると約束してくれた。

一九九八年暮れの一二月一八日、私たちは、佐治弁護士と一緒に、
三鷹にある杏林大学の研究室をたずねた。
中から、長身でダンディな佐藤教授があらわれやさしく迎え入れてくれた。
このときはじめて教授の顔をみて、テレビによく出ている先生だと知り、
私たち一同はびっくりした。

佐藤教授は、以前、東京・東村山市の産院で
一晩に二人の新生児が死亡した事件の司法解剖を担当して、
当直の看護師の居眠りをしていた事実を解明したことや、
ホテルニューオータニの託児室で起こった事件で原告側の意見書を書いたものの、
残念な判決だったことなどを話してくれた。

それから佐藤教授は、
私たちが持って行った志保の全身写真を食い入るように見つめた。

「お子さんは亡くなって三時間前後放置されていましたよ。
全身前面の死斑の状況からわかるのです。
これは志保ちゃんが最後に残したメッセージなのです」

佐治弁護士と私たちは驚いて顔を見合わせ、返す言葉もなかった。

佐藤教授は医学界にいながら、病院関係者でも間違ったことがあれば
はっきりと指摘するという正義感にあふれた先生だった。

中略

佐藤教授は、素人の私たちにもわかるようにていねいに、
志保の解剖前に撮られた一枚の写真の説明をしてくれた。

「写真の全身前面にみられる赤紫色に変色しているところが死斑です。
人間が死亡すると循環機能は停止するので、
血液が重力に従って体の低位へと移動し、
皮膚を透かして認めることができます。
これが死斑です。
乳児の場合、死斑は死後三時間前後で体位を換えると
最初に現れた死斑が消えることなく残り、
新たに低位となった部に死斑が現れます。
これを両側性死斑といいます。
志保ちゃんは写真と解剖時の所見をあわせれば
両側性死斑が形成されていた時期と考えられますから、
死亡時刻は発見の前三時間前後となるわけです」

教授はさらにつづけた。

「死斑は圧迫されたところには現れません。
圧迫されたところは血管がつぶされていますので、
血液が流れ込まないので蒼白になるわけです。
志保ちゃんの顔面には、蒼白部が額から、
両まぶたの上、鼻、右の頬部、口唇周囲、そして下顎にみられます。
これはこの部分がベッドに密着していたことを意味します」

陳述書「SIDSの曖昧性」を提出[P.108-113]

一、SIDSの定義

SIDSの定義としては、国際的には、
「一歳未満の乳幼児の突然死のうち、
その死亡が生前の病歴や健康状態から予知できず、
死亡時の状況や精密な解剖検査によっても死亡の原因が説明できないもの」
とされており、またわが国では、
「それまでの健康状態および既往歴からその死亡が予測できず、
しかも死亡状況および剖検によってもその原因が不詳である、
乳幼児に突然の死をもたらした症候群」とされています。

いずれにしても、死亡児の健康状態、死亡状況および解剖結果を総合して、
虐待や窒息など犯罪や事故の可能性、および肺炎など他の疾患の可能性を否定しt、
はじめて診断することができる除外診断名なのです。
したがって、除外する範囲を小さく考えれば、
いくらでもSIDSの範囲を拡大することができることから、
SIDSは非常に曖昧な概念であるということができます。

二、SIDSと診断された症例の疫学的特徴

「新生児のSIDS」(「小児科診療」六三巻三号)は、
全国の産科施設をもつ病院において発症し
SIDSと診断された症例についてのアンケート調査(以下「全国調査」)
を基に記述された論文です。
この論文の中で、SIDSの発症時間帯は、
「わが国の報告によると、
判明している八例全員が午前二時~午前八時の間であり、
全国調査でも三七例中二〇例が午後一一時~午前七時までの深夜帯であった。
このように深夜から早朝にかけておこりやすいのは、
病棟に勤務するスタッフが少なくなるからであろう」(三三四頁)と記述され、
また、「全国調査では、SIDS/ALTE七三例のうち、
母親同室中のものは二例にすぎず、
七二例は母児別室すなわち新生児室内の発症であった」
「多くの施設の新生児室では夜間の看護者の数は少なく、
母児同室のほうが目が行き届きやすいために、
SIDS/ALTEが少なかったのではないかと思われる」(三三四頁)
と記述されています。

SIDSはよく見ていれば発症を防ぐことができ、
看護が手薄なときに起こるというのであるならば、
これは病気というよりむしろ事故・過失に極めて類似したものと考えることができます。
つまり、これまでSIDSと診断された症例の中に
事故や過失が含まれていた可能性があることを示しています。

「わが国のSIDSの疫学」(「小児内科」三〇巻四号)は、
家庭において発症したものも含めて、わが国のSIDSの疫学的検討を行った論文です。
この中にも、「SIDSの発症時刻については、
朝方から午前中に発見されることが多い」(四六六頁)と記述されています。

さらに興味深い点として、「SIDS症例の出生順位については、
第二子の割合が多く、母親の年齢については若年の母親が多い傾向がある。
とくに、第一子SIDS症例の場合には対照と比べ
一九歳以下の母親の割合が多かったとの報告がある」(四六七頁)
と記述されています。

大阪府監察医の河野朗久医師が以前観察したところによると、
第一子と第二子以降の子どもに対して母親が注意して子どもを見る回数は、
育児の慣れから、第二子以降の場合は第一子の場合に比べて圧倒的に少ないとのことでした。
また、若年の母親、とくに一〇代の母親が育児に未熟であることは当然の事実です。
つまり「SIDSは第二子の割合が多い、若年の母親に多いという傾向」は、
SIDSの発症が育児の不注意や未熟さに関係していることを意味しているのです。

また、この論文の中では、
リスクファクターとしてのうつぶせ寝についても、
「SIDSと睡眠時体位の関連を示唆する報告は
欧米では一九六〇年代より散見されたが、
一九八〇年代後半になりその関連を証明する報告が相ついだ。
同じころ筆者らもわが国においてもSIDS症例の発見時体位の七一%がうつぶせであり、
正常同年齢の睡眠時体位に比べて明らかに効率であることを報告した。
……また、吉永らの「SIDS家族の会」に対するアンケート調査の結果でも、
SIDS症例の通常のうつぶせ寝が四九・四%、
うつぶせ・あおむけ両方が一〇・五%であり、
発見時体位うつぶせが七八・九%と高率であった」(四六七~四六八頁)
と記述されています。

うつぶせ寝について、東京女子医科大学の仁志田博司教授は
「うつぶせ寝のお母さんとあおむけ寝のお母さんの両者を隠しカメラで観察したところ、
うつぶせ寝のお母さんはあおむけ寝の赤ちゃんのお母さんよりも
児のそばを離れる時間や回数が多いことがわかった」
(「乳幼児突然死症候群とその家族のために」五八頁)と指摘しています。
SIDSの危険因子であるうつぶせ寝についても、医学的理由はべつにして、
子どもをよく見ていない、見ることができないことが関係しているのです。

さらに、うつぶせ寝とともに、
厚生省が危険因子としてとりあげた児の周囲での両親の喫煙についても、
赤ちゃんの周囲で喫煙するという不注意な行為を行う親自体、
育児に配慮を欠いた親といわざるを得ません。

以上、疫学的な分析によると、SIDSと診断された症例が、
病院での杜撰な看護体制や親の育児の未熟さ・不注意い関係していることがわかります。
つまり、これまでSIDSと診断された症例の中に、
杜撰な看護体制や育児の未熟さ・不注意に起因する
事故・過失が含まれていた可能性があることを示しています。

三、SIDSと診断された症例は本当にSIDSだったのだろうか?

一九七二年、アメリカの医師スタイン・シュナイダーは、
ホイト家に生まれた五人の子どもの死をもとにして、
「SIDSは遺伝性の障害であり、
睡眠中の呼吸停止によって起きると定義づけた」
論文を発表し、その後のSIDSの研究に大きな影響を与えました。

しかし、一九九五年、
ホイト家の五人の子どもは母親によって殺害されたことが明らかになりました。
この事件は、SIDSが犯罪の隠れ蓑になっていたことを端的に示しています
(「NEWSWEEK」一九九七・一〇・二二「子供の『突然死』に潜む殺意」五四頁)。

イギリスの医師デービット・サウソールは、
「SIDSの可能性があるとして病院に運ばれる乳児の三分の一は虐待の犠牲者だ」
「SIDSによる死者の五~一〇%は乳児殺しの犠牲者ではないか」
と推測しています。
SIDSの権威として知られる医療機関
マサチューセッツ総合病院のトーマス・トルーマンも、
「呼吸停止で連れてこられる子どもの三分の一は虐待の犠牲者だ」
と結論づけています。
(「NEWSWEEK」一九九七・一〇・二二
「子供の『突然死』に潜む殺意」五四頁、五五頁))

また、『Unnatural sudden infant death』(Arch Dis Child 1999;80:7-14)は、
イギリスの刑事裁判所および家庭裁判所において、両親に殺害されたと判断された、
生後一週間から一六か月の乳幼児八一名(五八名は生後六か月以前に死亡)
の臨床上の特徴を検討した論文です。
この論文の中で、両親に殺害されたと裁判所において判断された八一名のうち、
四二名がSIDSと診断されており、
二九名が他の原因による自然死と診断されていたと報告されています。
そしてその結論として、SIDSという用語は訂正されるか、
破棄されるべきであると提案されています
(『Unnatural sudden infant death』七頁)。

わが国においても、最近、
保育園の経営者が業務上過失致死罪で有罪の判決を受けた「ちびっこ園」では、
これまで二一人が死亡、うち一四人がSIDSであったという事実。
司法解剖でSIDSの疑いと診断された後、
園長による虐待しが判明した香川県の藤島事件。
裁判によって司法解剖のSIDSという診断が否定され、
窒息が認定された神戸市の松井事件や長崎県の山根事件の判例。
病院がSIDSと主張したにもかかわらず、
刑事裁判で死亡状況から看護師が業務上過失致死罪で有罪判決を受けた井上事件の判例。

これらの事件は、わが国においてもこれまで、死亡状況を慎重に検討することなく、
安易にSIDSと診断されてきたという事実をあきらかに示しています。

本件の病理解剖を担当した高嶋医師が構成メンバーになっている
日本SIDS学会症例検討委員会においても、
「この症例検討委員会でも、これだけ検討をかさねてきて、
はっきりと「これがSIDSです」と結論づけた症例はなかった」
(日本SIDS学会雑誌第三巻七三頁)とのことです。
また、日本SIDS学会の元会長である仁志田博司教授が
「SIDS家族の会」の会員に対して、その会報の中で
「赤ちゃんとご家族が同じ部屋にいるあいだに悲劇が起こったなどというように、
とても窒息事故とは考えにくい状況で赤ちゃんを亡くされたというデータを集めたい」
(「SIDS家族の会会報」No.27 五頁「会員のみなさまへのお願い」)として、
本当にSIDSと考えられる事例を探しているという事実もまた、
これまでSIDSと診断された症例の中に、
SIDSとは診断できない症例が多数含まれていたことを裏付けています。

八合目論が提起される[P.117-118]

この八合目論は、
「赤ちゃんの急死を考える会」の弁護士たちで作る
「赤ちゃんの急死訴訟研究会」で、
森岡さんの「真理子ちゃん裁判」を手がけた瑞慶山茂弁護士が命名したものだ。
それは原因が「窒息」であっても「SIDS」であっても、
結局ともに「低酸素状態」という、
山にたとえれば「八合目」を必ず通ることから、
低酸素状態を防止あるいは早期に発見すれば救命できるではないかというものであった。

これは、裁判の争点を死因の問題からうつぶせ寝の管理
という問題に移すことができる可能性を意味しているのである。

2004年3月19日、TBS「ニュースの森」シリーズ・赤ちゃんが危ない(全5回)[P.130]

TBS「ニュースの森」は、二〇〇四年三月一九日から五回にわたって、
シリーズ「赤ちゃんが危ない」という企画で、
うつぶせ寝の危険性を特集して放送した。

番組の中で、アメリカのセントルイス子供病院ブラッドレー・サッチ医師が
指摘していた。

「うつぶせ寝で頭を回転して危険を回避する能力は学習して得られるもので、
日頃うつぶせ寝に慣れていない子をうつぶせ寝にするのは危険である」

また、東北大学医学部法医学教室の舟山眞人教授は
実際に布団を使ってうつぶせ寝の実験をした結果を説明していた。

「うつぶせ寝の場合、硬い布団でもバスタオル一枚を敷くと、
炭酸ガスが溜まって危険な状態になる」

専門家がうつぶせ寝の危険性を口をそろえて力説することなど、
数年前には考えられないことだった。
さらに番組では、
三月と四月に判決を控えている千葉の石井さん、埼玉の小山さん、
そして私たちの裁判を特集として取り上げてくれた。

放映に先立ち、私たちは半日がかりでこの取材を受けていた。
「事故当日の状況」「志保の解剖時の写真の意味」「SIDSの矛盾」
を二人で一生懸命説明したのだが、
番組は「高齢出産―母の悲劇」というタイトルで、
母親の悲しみに焦点を当てたものになっていた。

判決を前にこれまでのSIDS裁判をふりかえる[P.133-134]

志保の事故が起こった一九九八年以前で、
私たちが知っている原告勝訴の判決は二件のみであった。

その一件は、松戸の森岡さんの「真理子ちゃん裁判」の一審である。
この事件は、刑事裁判で担当保母の罰金刑が確定したものである。
民事裁判でも地裁では、窒息を認定し保育園の過失が認められていた。
しかし高裁になり松戸市の責任とSIDSをめぐる議論になって逆転敗訴し、
最高裁での確定まで二五年という歳月を費やしたものの、結局原告敗訴になってしまった。

もう一件は、静岡の「河西桜子ちゃん裁判」である。
この事件は解剖されずに、担当医が死亡診断書に死因は窒息と記載したため、
原告勝訴になっていた。

その他の事件はすべて、横浜の櫛毛さんのように、
司法解剖で窒息と診断された事件であっても、被告側がSIDSを主張すると、
裁判所はきまって「SIDSの可能性もあり、窒息とは断定できない」、
「窒息の証拠がたりない」として、原告敗訴が続いていた。

この流れにストップをかけたのが多摩市の「井上湧介ちゃん裁判」である。
しかしこの事件は母親が第一発見者で、
湧介ちゃんの顔が真下を向いていたのを確認したという特殊性があった。

保育園の事件は、
神戸の「松井まどかちゃん裁判」、長崎の「山根愛也加ちゃん裁判」で、
SIDSという司法解剖の結果を否定し、窒息が認定され原告勝訴となっていた。
この二つの事件は、
第一発見者の保母が正直に「顔が真下を向いていた」と証言していたのだ。

さらに、二〇〇四年三月二五日の二つの判決においても、
勝訴判決があった千葉の「石井まひろちゃん事件」では、
水枕とバイブレーターという物証があった。

逆に、埼玉の「小山和みちゃん裁判」は、死亡して発見され、
死斑や死後硬直がでており、放置された時間が圧倒的に長いにもかかわらず、
「死因はSIDSであり、保育園に責任はない」として、
長時間放置という管理の問題は完全に無視されてしまっていた。

これらの判決を見ると、勝訴している裁判はそれぞれ有力な物証や証言が存在していた。

物証がない限り、SIDS裁判はまだまだ高いハードルを越えなければならないのだろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です