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書籍と雑誌の要約と解説

薬害ヤコブ病

『映像90 薬害ヤコブ病(1998-1999)』の書籍化

装丁
薬害ヤコブ病――見過ごされた警告 薬害ヤコブ病――見過ごされた警告
毎日放送特別報道部(井本里士)
かもがわ出版(生命と環境21)
ISBN4-87699-491-9
1999/12/25
¥1900
目次
  1. 異変
    1. 突然の発症
    2. 七年前の手術
    3. 闘病日誌
    4. 転院
    5. ヤコブ病宣告
  2. 薬害の兆し
    1. 新聞記事
    2. 硬膜移植
    3. 調査開始
    4. 四度目の入院
  3. 厚生省研究班
    1. 狂牛病パニック
    2. 研究班設置
    3. 予期せぬ副産物
    4. 鈍い反応
    5. 高い発症率
  4. アメリカからの警告
    1. 京大病院
    2. 勉強会
    3. 初症例と警告
    4. 中間報告
  5. 薬害ヤコブ病訴訟
    1. 証拠保全
    2. 厚生官僚との面会
    3. 提訴
    4. 緊急回収命令
    5. 第二の薬害エイズ
  6. ドイツでの実態
    1. 二つの疑惑
    2. 新たな情報
    3. 死の空白
    4. ブラックマーケット
    5. 硬膜密売事件
    6. B・ブラウン社の反論
  7. こころの叫び
    1. 二人目の提訴
    2. 甘ったれ病
    3. 一四年後の発病
    4. 涙の陳述
  8. 厚生省の責任
    1. 社会的な責任
    2. 見過ごされた警告
    3. わずか一例
    4. 遅発性ウイルス研究班
    5. 生かされない教訓
  9. 証人尋問
    1. さかのぼる責任
    2. 予見可能性
    3. 個別の因果関係
    4. 糾弾されたメーカー
    5. 覆った有用性
    6. 揺らいだ権威
  10. 資料
    1. クロイツフェルト・ヤコブ病等に関する緊急全国調査研究班研究報告書(抜粋)
    2. ヒト乾燥硬膜移植の既往をもつ症例一覧
    3. B・ブラウン社への質問事項と回答
    4. 薬害ヤコブ病関係年表
文献
  • NHK取材班(桜井均)『埋もれたエイズ報告』
  • 櫻井よしこ『エイズ犯罪 血友病患者の悲劇』
  • 保田行雄・川田悦子『薬害エイズはいま 新しいたたかいへ』
  • 浜六郎『薬害はなぜなくならないか』
  • リチャード・レーシー『狂牛病 イギリスにおける歴史』
  • リチャード・ローズ『死の病原体プリオン』
  • 日経メディカル『狂牛病のすべて ファクト・ブック』
  • 石原洸一郎『狂牛病パニック』
  • 片平列彦『ノーモア薬害(改訂版)』
  • 山内一也・小野寺節『プリオン病 牛海綿状脳症のなぞ』
  • 中島昭夫『使い倒そう! 情報公開法』
  • 毎日新聞社『厚生省の「犯罪」 薬害』
  • 厚生省『クロイツフェルト・ヤコブ病診療マニュアル』
  • CJD薬害訴訟を支える会『こころの叫び~薬害CJD被害者 命の証(第2版)』
  • 朝長正徳・桶田理太『神経病理学 基礎と臨床』
  • 大阪HIV訴訟弁護団『薬害エイズ国際会議 大阪HIV訴訟弁護団発行資料集』
  • 近畿弁護士連合会人権擁護委員会『薬害発生の構造 薬害派生の防止と適正な救済に向けて』

内容

谷たか子の闘病日誌(1996年)[P.10-45]

視覚異常(3月末)[P.10-11]

たか子さんはまず目のかすみを訴えはじめた。

一週間もたたないうちに今度は物が二重に見えたり、
色のトーンを淡く感じるようになっていく。

<中略>

不思議に思ったたか子さんは、眼科や産婦人科をいくつも受診するが、
「まったく異常はない」という診断が下りるだけだった。
しかし目のかすみはひどくなる一方で、その後、頭痛やイライラ感も併発しだす。

方向音痴(4月24日)[P.11-12]

たか子さんは郵便局に出かけた。
自宅から三〇〇メートル足らず、歩いてニ、三分のいつものコースだ。
ところがこの日は、途中で行く先が分からなくなってしまい、
ちょっとした錯乱状態に陥ったのである。

ようやく家に戻ってきたたか子さんの話に、夫の三一さんは耳を疑った。

「お父さん、きょう大変やったんよ、とたか子が言ってきたんですわ。
すぐそこの郵便局へ行こうと家を出たのに、郵便局を通りすぎてずーっと歩いていたらしいんです。
自分が何の目的で歩いているのか、分からなくなったと。
少しして、ハッと正気に戻り、郵便局で用事を済ましたらしいのですが、
ずっと体調が悪かっただけに、このときは本人もびっくりして相当ショックを受けた様子でした」

それからというもの、たか子さんの症状は日に日に悪くなり、
五月になると家の中の方向すら分からなくなっていた。

悪夢(5月26日)[P.9]

「きょう怖い夢みてん。真っ暗でな。まわりが暗くて何も見えへんねん。
お母さんの記憶を消そうとしよんねん。
真っ暗なのに“チーン”と仏壇のリンを鳴らす音がした。
きのうと一緒、背筋がぞっとするような音。
人が消える。看護婦さんも消える。人の声が聞こえる」

音過敏(6月1日)[P.19]

三一さんがたか子さんをトイレへ連れて行こうとしたときのことだ。
三女のまり子さんが持っていた茶碗を何かの拍子で落としてしまった。
“ガチャン”という音にたか子さんは異様な反応を示す。

「お父さん、まり子を助けてえー。まり子を助けてえー」

びっくりした家族全員がとっさに家中の窓を閉めた。
たか子さんは泣き叫びながら何かにとてもおびえているような表情を見せた。
幻覚症状が始まったのだ。

幻覚(6月21日)[P.40]

幻覚症状の出た二カ月くらいはとてもひどいものでした。
急にたか子の目つきが変わっていくんです。目が光るような、そんな形相です。
ウオー、ウオー、ウオーと、ものすごい声で叫びながら布団の上を逃げ回りました。
たか子の脳がまるで獣に襲われているかのようにおびえ、泣き叫んだのです。
だいたいは五分程度でおさまりますが、その後たか子は疲れきった様子でぐったりとしました。
こんな幻覚症状が一日に何回も出るんです」

不眠(7月2日)[P.45]

たか子は神経の関係か、ピクピクして眠らない。

病院の隠蔽体質[P.21_39_43]

滋賀医大病院の外来で週に一度診察しているから、
何かあったら来なさい、と言われていたんです。
私は前の手術と関係があるんじゃないかとずっと思っていましたので、
詳しく調べてほしい、とお願いしたんです。
でもそう言ったとたん、この医者の顔色がパッ変わって、
そんなこといろいろ言われるのは迷惑や、と言われました。
関係ない、の一点張りでした。

*   *   *

あとで分かったことだが、佐藤氏を班長とする厚生省の研究班は、全国調査の過程で、
大津市民病院や滋賀医大病院にも調査票を送付して、
協力を依頼していた(全国調査については第3章に詳述)。
ところが両病院ともこの時点では、
たか子さんの症例について研究班に報告していなかった。

*   *   *

大津市民病院の執刀医が事情を説明するため谷さん宅を訪れた。

<中略>

たか子が受けた八九年の手術の際の資料を調べてほしいと何度もお願いしました。
その結果カルテをようやく見せてもらったのですが、
今度は、コピーはダメだ、ほしかったら証拠保全しなさい、とか、
出るところに出ましょうか、などと口走られました。
権威ある医者が、弱い立場の患者に対してやれるものだったらやってみろ、という態度でした。
たか子がこんな状態になって、家族みんなで苦しんでいるときに……

硬膜売買スキャンダル[P.124-125]

【DER SPIEGEL 1993 No49】

奪い尽くされて墓場へ

ドイツの病院では、はっきりとした法的根拠もないまま、
こっそりと死体組織が売りさばかれている。
遺族は欺かれ、病院の職員たちは賄賂をにぎらされている。
利益を得ているのは、硬膜、骨および臓器を加工している製薬会社である。

その小太りの男は、二、三週ごとに、
いつもお決まりの曲がりくねった道を通ってカッセル市立病院の地下室へと向かう。
白いフォルクス・ワーゲン・パサートに乗って、
彼はさも当然のごとく職員専用の駐車場に入っていく。
その駐車場は、一般の人は利用できないものだ。
そして人目につかない車両進入口に車を乗り入れる。
そこには葬儀社の霊柩車が何台か停車し、積み荷を待ち受ける。

地階に下りたその訪問者は、よく勝手をわきまえた様子で、納棺室と呼ばれる部屋に通じる扉を開ける。
その部屋は病院で亡くなった患者を解剖した後、遺体搬出の準備をする場所である。

「品物を受け取りに参りました」

額の禿げ上がったその男は、いつも通り入念に取り揃えられた死体組織を受け取る。
今回は硬膜が40枚。どれも死体解剖の際に摘出されたものである。

最後に彼は、ポケットから現金を取り出し、一枚ずつ数えながら揃えていく。
一二〇〇マルク、すなわち硬膜一枚あたり三〇マルクを置いて、その場から姿を消す。

「さようなら、また近いうちに会いしましょう」

カッセル市の場合と同様、ドイツ国内ではいたるところで、
こうした死体組織がこっそりと、大量に売りさばかれている。

ベルリン州立ベルショー病院のインタビュー[P.133-136]

二月一二日午前九時、ベルリン州立ベルショー病院の院長、エッカルト・ケットゲン氏は、
コーヒーを勧めながら改めてこちらの取材意図を窺ってきた。

私たちは当初、
同病院内で解剖助手を監督する立場にあった病理学部長のブルームケ氏に取材を申し込んでいた。
解剖助手が行った闇取引の実態を一番よく知る立場だと判断したからだ。
しかしブルームケ氏が秘書を通じて取材を断ってきたため、
次善の策として病院長にインタビューを要請したのだった。

<中略>

「九四年のことです。
ベルリンの厚生省から私のところに問い合わせがありました。
はじめ私は“硬膜の闇取引”の事実はないと否定しました。
この病院では八五年からそうしたことを禁止していたからです。
ところが厚生省は検察庁の情報を入手していました。
その情報では、この病院から三〇〇〇以上の硬膜が
B・ブラウン社に渡っていたことになっていたのです」

ケットゲン氏は一息つき、眉をひそめて続けた。

「まともな企業が闇取引をするなんてとても信じられず、何かの間違いだと思っていました。
厚生省と協議した後、私はB・ブラウン社に連絡をとりましたが、話し合いはうまくいきませんでした。
そしてその後、子の病院の解剖助手がB・ブラウン社の社員から賄賂を受けとっていたことが分かり、
即刻、彼を解雇したのです」

<中略>

「B・ブラウン社のリストは頻繁に改ざんされていました。
この病院に対する記録に、ほかの病院から購入した硬膜が記録されているなど非常にいい加減でした。
どれほどばかげたことをやっていたかという例を挙げましょう。
八九歳で亡くなったあるおばあさんの死因が“流産”になっていたのです。
とても信じられないことでした。
結果としてB・ブラウン社からリストは提出されましたが、
まともに死亡診断しているものは一切ありませんでした。
私の病院で確実に言えることは、大変な感染症で亡くなった人であってもきちんとした診断をせずに、
違法な形で硬膜を取られてB・ブラウン社に渡ったということです」

解剖助手の供述調書[P.139-140]

【ベルリン諸病院の解剖実施の件 (九四年三月二四日)】

私は一九八七年までの一五年間、
解剖と標本作成を行う解剖助手としてベルリン市内のさまざまな病院に勤めました。
引退後も全般的な様子についての情報は絶えず得ていました。

大病院では一日、五体から一三体の解剖が行われます。
亡くなった人の九九%は解剖されますが、遺族の承諾はほとんどありません。
老若を問わずほとんどすべての遺体が死因を確かめるために“完全に”解剖されます。

“完全に”とはこういうことです。
頭蓋の切開、脳、脳下垂体、硬膜の摘出、胸骨の切断、全臓器の摘出、
大腿部の骨の摘出、全体の七五%では脊柱の摘出も行ないます。
基本的に遺体は“クリスマスのガチョウ”のように徹底的に利用し尽くされます。
骨と脊柱を取り去ったあとには木片やほうきの柄を詰めます。

脳下垂体(三〇~五〇マルク)、硬膜(三〇~五〇マルク)、
すい臓(五~一〇マルク)、睾丸(約五〇マルク)は製薬会社に売られます。
B・ブラウン社は一番の得意先でした。
解剖助手は給料が安いので、違法だと分かっていても皆やっているのです。

B・ブラウン社の硬膜密売釈明[P.144]

●準備書面(大津訴訟 九八年九月二一日付)

硬膜は医療機関によってあくまで無償で提供されたものである。
ただし硬膜提供者(ドナー)に関する資料提供および
摘出後の適正な保管等提供されたサービスに対する実費として、
二〇マルクから三〇マルクが病理学者およびその助手に支払われた。
これらの金員は硬膜の対価としての性質を有するものではない。

病理関係者および助手に支払われた金額は「賄賂」というようなものではなく、
実費の支払いにすぎない。

甘ったれ病と診断する精神科医[P.156]

(母・公栄さんの手記より)

病院に行くと「何でもない、どこも悪くない」と言われ、
(直幸は)そのうちに耳があまり聞こえなくなり、
目もまぶしくなり、さらに歩けなくなってしまいました。
口もあまり開かず、よく話せなくなってしまいました。

目が、耳が、口が、足が、大きな病院で、
かかりつけの病院で検査をしても、「異常なし」と言われ、
それでも病院に連れて行くと、精神科にまわされました。
状態を先生に伝えても、先生から返ってくる言葉は「甘ったれ病だよ」。

「甘ったれ病」という疾病名は問題外として、この医師が吐いた“許せないひどい言葉”。

「シャブをやっているんだろう」

ヒロ(仮名)の症例[P.162-164]

小樽市内の高校に入学した九八年五月末、
いつも元気だったヒロくんが「疲れた、疲れた」と訴え出した。
中学校と比べて通学時間が長くなり、周囲の環境も変わったためだろうと、
当初両親はさほど気にかけてはいなかった。

ところが一ヵ月もしないうちにまっすぐ歩けなくなってしまう。
中学時代のヒロくんはバスケットボール部に所属し、
三年間無遅刻無欠席を通すほどまじめな生徒だった。
高校も休みたくないと、よろめきながらも必死になって登校しようとしたが、
その姿を見かねた母親が学校を休ませた。

「初めの頃、息子は本当に学校に行きたがっていました。
でもその後あっと言う間に悪くなっていったんですよ。
食事もお箸が持てないからフォークで突き刺して食べていたんですけど、
ある日手づかみでないと食べられない、
それでその次の日はもうこちらから口に運んでやらないと食べられない。
そんな具合にどんどん悪化していった。
何がなんだか分からない、どうしちゃったんだろうって」

ヒロくんのケースも初めのうちは病名が分からず、
一一月になってようやくヤコブ病と宣告された。
東京に単身赴任していた父親も札幌に戻った。

「本当に金槌で頭を殴られたような感じでした。
二、三カ月くらいは放心状態っていうんですか、
ボーっとしたまま何をやっているのか分からない状態が続いていました」

ヒロくんは、わずか一歳半で脳に悪性の腫瘍が見つかり、
脳外科手術を受けていた。硬膜が移植されて一四年後の発病だった。

<中略>

「発病して一ヵ月くらいですかね。
左右の違いが分からなくなって、しゃべってもロレツが回らない。
そして寝たきりになりました。
オムツをつけてね、本人はいやだとずいぶん言ってましたよ。
自分自身でうすうす感じていたのか、僕、治らないんでないの、
なんでこんなことになったの、って言いました。
何言ってんの、絶対治るよ、ってこちらも必死になって声をかけました。
本当につらかったんです。でもそれがあの子がしゃべった最後の言葉となりました」

Kの症例[P.166]

九八年九月二一日、大津地裁の大法廷。
この日、大阪府八尾市に住む女性、Eさんが証言台の前に立った。

「私は夫であるKと九二年一二月に結婚式を挙げ、
婚姻届を提出しました。九四年九月には長男をもうけております」

三四歳の小柄なEさんは、小さな声を震わせながら手元の陳述書を読みすすめる。

(原告意見陳述より)

九五年八月、夫に異常な症状があらわれはじめました。
「家がいがんでいる」と言って、家の中で体育座りをしたり、
「人がエイリアンに見える」
「俺の手の指五本あるか」と私に尋ねたりしました。
また、歩くとすぐに右にずれてしまい、
地面に線があると階段があると思い込んで段差がないにもかかわらず登ろうとするのです。
家の中を手探りで歩くようにもなりました。

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