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書籍と雑誌の要約と解説

川崎病にかかった小さな命

生後たった2か月の赤ん坊が川崎病になった!

装丁
川崎病にかかった小さな命 川崎病にかかった小さな命
清水彰・清水秩加(川崎病患者の両親)
かもがわ出版
ISBN4-87699-286-X
1996/11/25
¥1600
目次
  1. 出会い、結婚
    1. 出会い
    2. 半学生、半社会人
    3. 卒業へ向けて
  2. 妊娠
    1. 春のためらい
    2. 待ってくれない小さな命
    3. 母子手帳は夫婦の成績表
    4. 卒業したい!
  3. 出産、引越し
    1. 天使の泣き声
    2. マタニティー・ブルー
    3. 引っ越し
    4. どうしたの?
  4. 闘病
    1. 川崎病……
    2. H医大へ転院
    3. まさか……お願い、生きて!
    4. 兵庫県立こども病院へ
    5. 春のおとずれ
  5. 障害児子育て
    1. 川崎病の落とし物
    2. 二つめの小さな命
    3. バイバイ、右手の手袋
    4. ひとりの人間として
文献
  • 大江健三郎『恢復する家族』[P.165]

内容

なかなか診断のつかない川崎病[P.91-100]

引っ越しの荷造りが順調に進む中、夕方、茉耶があんまり長い時間起きないので、
どうしたのかなと、そこで初めて作業の手を止めた。
顔をのぞきこんでみたが、まだ寝ている。なんだか様子が変だった。
寝ているというよりも、グッタリしているように見えたのだ。

とりあえず熱を計っておこうと、体温計を脇にはさんでやった。それでも起きない。
37度8分。あかちゃんの体温は、37度5分までは平熱だが、それを少しこえている。

わが子の発熱に免疫のない私たちは、焦る気持ちをおさえ、
平熱よりちょっと高いだけだから、朝まで様子を見てみよう、ということにした。

夜の間ずっと、茉耶はグズグズ言いっ放しだった。
下がるだろうと信じていた体温は下がらず、それどころか少しずつ上っていった。
明け方、38度をこえた。

歩いて二分ぐらいのところに個人病院があり、そこへ連れて行った。
女性の医師だった。生後二か月では、まず病気をしないものなのだが……と首をかしげた。
服をめくっておなかを見てみると、小さな小さな赤い湿疹ができていた。
よく見ると、体全体に広がっていたのだ。
熱のことばかり気になっていたので、この湿疹のことは気づかなかった。
医師は、首をかしげたまま、
「水ぼうそう」か「三日ばしか」か「風邪」の疑いがある、という診断をした。
「とりあえず、風邪薬を出しておきますから、
のませておいてください。明日、また見せにきてください」と言われた。

*   *   *

「まだ熱が下がらないので、心配になって……」と言うと、
医師は朝と同じように首をかしげたまま、体にできた湿疹をジッ見ていた。
湿疹の真ん中に、小さな水疱ができているので、やはり「水ぼうそう」かもしれない、と言われた。
しかし、こんなに小さいあかちゃんが「水ぼうそう」になるなんて聞いたことがないしねぇ、
とまだ首をかしげたままだった。

いよいよ自分の手に負えないと思ったのか、医師は他の病院を紹介しはじめた。
そこは小児科専門だと言う。それなら、最初から紹介してくれたらいいものを……
とイライラしながら診察室を出た。
待合室で待っていた母と、紹介された病院に走った。

*   *   *

かなり年をとっている医師は、大きな虫めがねで茉耶の湿疹を見はじめた。
医師が虫めがねを持っている姿ほど、恐ろしいものはない。全身に冷や汗が吹き出した。
そのうえ、『六法全書』を三冊ほどくっつけたような分厚い医学書を取り出し、
その虫めがねで何かを調べだしたものだから、私の恐怖心やら不信感やらは、もう爆発寸前。
すると、医学書を見ながら、聞いたこともない横文字系のとんでもない病名を言い出した。
かと思うと、突然、電話をかけ始めた。
相手は、他の病院で医師をしている息子。
私たちが診察室から早く出たくて、ジリジリあとずさりしている所へ、その息子はやってきた。
息子は、茉耶の湿疹をしばらく診たあと、
「『川崎病』ではないだろうか?」と言った。
ここへ来て、あまりにもいろんな病名を言われたので、その息子の言う病名も疑い、眉をひそめた。
結局、様子を見ることになり、また明日来るように言われた。
誰が来るものかと思いつつ、やっとこの病院から解放されたことにホッとし、足早に病院を出た。
彼が、「救急病院のW病院に行こう」と言い、タクシーに飛び乗った。

*   *   *

私たちがむかったW病院は、茉耶を産んだ正木助産院の近くになる。

医師は、茉耶を診察したあと、ていねいに病状について説明しはじめた。
二か月のあかちゃんは、普通熱は出さない。
が、熱が出ているので、悪い病気になっているのには間違いない。
考えられる病気は、悪性の風邪、肺炎、髄膜炎、川崎病、尿毒症。
そのうちのどれかだと思う。
早速、検査をしていくので、入院してください。ということだった。

21日晴れ。引っ越しの日。
熱は依然として下がらず苦しがり、湿疹もさらに赤味を増しひどくなった。
昼ごろに、昨夜診てくれた主治医が、検査結果を説明しにやってきた。
やはり、川崎病の疑いが強い、ということだった。

川崎病で生死の境をさ迷う[P.102-137]

22、23日と茉耶は落ち着いていた。
24日。このころから、咳がよく出た。唇は赤く、舌はザラザラ。
この日の主治医の話では、順調にいけば2週間ほどで退院できる、ということだった。
昨日診てもらった心エコーと心電図は異常がなかった。
ただ、川崎病の場合、治ったあとも定期的に検診する必要があるので、
芦屋の家の近くにあるH医大への転院を勧められた。
H医大は、主治医の出身校。手続きしやすかったこともあるのだろう。
私たちは、何のためらいもなく、医大ということで安心して転院することに決めた。

25日。H医大へ転院。

<中略>

26日。発病以来あった熱がやっと下がっていたのに、ここへ来てまた上がったままになっていた。

<中略>

28日、主治医に心臓が少し大きく見えたことを知らされた。

<中略>

31日。昨日診てもらったエコーの結果、普通のあかちゃんより血管が少し太くなっている部分がある。
貧血状態が続いているので、鉄分を増やす薬も使う。
便から菌が発見されたが、抗生物質を打っているからたぶん大丈夫――ということを淡々と説明された。

<中略>

2月1日。熱が下がってきた。
手足のむくみもなくなってきたように見えた。

<中略>

2日。熱も上らず、すやすやよく眠る茉耶。
が、手と胸に、あの不気味な湿疹がまたでてきた。

3日。血の検査結果は良好で、便からの菌もなくなった。
湿疹はひどくなり、手足・胸いっぱいに広がった。
薬で抑えられていた川崎病の湿疹がまたでてきただけで、心配ないとのことだった。

4日。この日ぐらいから、茉耶は変な咳をしていた。

<中略>

5日。顔にまで湿疹がでてきた。

<中略>

6日。咳は肺炎からではないかとレントゲンを撮ったが、そうではなかった。
今、いろいろな菌が入りやすいため、合併症を起こしやすいのだ、と言われた。
咳の原因はわかっていない。
湿疹が大きくなり、ところどころ水疱もできていた。
タンがかなりからんで咳もひどくなる。
吸入や吸引をすると少しおさまるが、これも気休め程度の処置だった。

7日。咳とタンがひどく、眠れない。
何度も吐くので、薬がのめずにいた。

<中略>

8日。インフルエンザにかかっていたことがわかる。

<中略>

9日。夜になると咳は続き、吸引のくりかえし。

<中略>

10日。夕方、主治医に別室へ呼ばれた。
心不全の症状が出ている。
心臓の膜のところに水がたまっている。
心臓の血管が4ミリに拡大している。
と、予想もしなかったことを言ったのだ。

<中略>

11日。茉耶はひっきりなしに咳をして苦しんでいた。
私の母がこの日面会に来た時、茉耶の右手を握り、
「こっちの手、冷たいよ。ちょっとおかしいんとちがうやろか」
と言うので、触ってみると確かに冷たかった。特に指先が。
主治医に聞きたいが、11日と12日は連休で、まったく診察はなかった。

<中略>

13日。心臓が、先週より大きくなっていた。
右手が冷たいことを言うと、点滴をずっとしているからだ
という答えが返ってきただけだったので、それで納得させられた。

<中略>

14日。主治医にまた別室に呼ばれた。不吉な予感。
主治医は、いつものごとく淡々と
昨日の心エコーの結果を説明しはじめた。
心臓の内部にも水がたまり、心臓の血管は12ミリになり、
一番心配していた動脈瘤ができていた。

<中略>

だっこして母乳を飲ませると、日に日に吸う力が弱くなっているのがわかる。
この日は一段と弱かった。
角膜はざらつき、目も焦点が定まらないようで、
白目をむくことが多くなり、ほとんど見えていないようだった。
なのに、生きたいと言わんばかりに私にしがみつき、
体をよじらせながらすごい勢いで、オッパイを口で探していた。
ちょっと飲むと力尽き、休憩、また探して飲む。
そんなくりかえしをしていると、看護婦が入ってきて、
「口からほとんど飲めてないようなので、鼻からチューブを入れ、そこから流し込みます。
母乳は搾って、母乳パックとかに入れて持ってきてください」と言い、
いきなり鼻の左の穴にチューブを突っ込んだ。
主治医は言わなかったが、この時から、茉耶はキトクだった。

<中略>

15日。たくさんの医師が病室に入ってきた。
その中のひとりが、茉耶の胸に聴診器をあてた。
例のA大学の心臓専門の医師だ。
ここでは主治医は、気の弱いモミ手のネコ。
これまでの経過と現在行っている治療を手みじかに、それもオドオドと説明した。
心臓専門の医師は、ふんふんとうなずきながら、
「それでいいです。あと、利尿剤をもう少し増やしたほうがいいですね」
と自身たっぷりの表情で述べた。
黄門さまのような笑顔を残し、スケさんカクさんをたくさん引き連れ、堂々と去って行った。

<中略>

16日、昨日薬も処置もかわったはずなのに、心臓の大きさは変わっていなかった。
茉耶は、グッタリしたまま泣き声も一段と小さくなった。

<中略>

転院の17日。

<中略>

冠動脈には、茉耶の体の中で一番大きな動脈瘤ができ、
もうすでに血栓ができているようなので、ウロキナーゼという血栓を溶かす薬を大量に入れる。
アスピリンは、今までと同じように投与し、利尿剤をもっと多く入れていく。

<中略>

やがて茉耶は、鄭先生の適切な処置と自らの生命力でもって、峠を越した。
おとついより昨日、昨日より今日と、少しずつよい方向に向かっていた。

<中略>

5月1日、3か月半の壮絶な入院生活にピリオド。

H医大のナースハラスメント[P.111]

顔にまで湿疹がでてきた。
ある看護婦は「マヤちゃん、どうしたん。そのひどい顔」と言って、笑いながら去っていった。
あんまりな表現に、こっちは言葉も出なかった。

助けようという気持ちの感じられない現代医療[P.119]

茉耶だけが診察室へ連れていかれ、私たちは診察室の前で待っていた。
そこへ見るからにインターン生とわかる男性がやってきて、
マニュアル通りにこれまでの経過をヒアリングしはじめた。
インターン生にとっては、これもひとつの実習なのだろう。

ようやく経過報告が終わり、しばらくして私たちは診察室へ入れられた。
その中の光景を見た瞬間、体中に寒気が走った。
広い部屋の中央に診察台がポツンと置かれ、
そのまわりを白衣を着たインターン生が取り囲んでいるのである。
その中には診察台に置かれた茉耶を見て、心なしか微笑んでいるような顔もあった。
現代医学をもってしてもその原因が解明されていない「川崎病」の茉耶は、
彼らにとってめずらしい研究対象であったかもしれない。
何より信じられなかったのは今、
目の前で苦しんでいるひとつの小さな命をなんとかして助けてやらねば、
という雰囲気がまったく感じられなかったことだ。
医療に対して崇拝にも近い気持ちを抱いていたのがこの時、一瞬にして壊れてしまった。

指のコンプレックス[P.144_149-150_154_156]

川崎病は茉耶に、大きな大きな落とし物をしていった。
左右の冠動脈に瘤をつくり、左右の脇の下、左右の足のつけねにも、動脈瘤をつくっていった。
左右の足のつけねは、退院の前に消滅したが、あとは治る見込みがなかった。
右手の親指を除く四本の指は、第一関節から上が壊死、心臓の左心室の一部の筋肉も壊死させた。
心臓全体は、あの壮絶な闘いで、普通の子どもより大きくなってしまった。

*   *   *

「なぁ、なぁ、おばちゃん、この子指おかしいの?なんで、爪ないの?なんでーなんでー」
近所の四歳の男の子は、私たちが買い物に行こうとすると、めざとく見つけ、しつこくつきまとった。
自分とは違う手をしていることが不思議で、ただ素直に聞いてきただけ。
子どもは、言うこともすることもストレート。
なんの悪気もないのはわかっていながら、「うるさい子やなぁ」と、私は無性に腹が立っていた。

*   *   *

自分の右手と左手の違いに気づき始めたのは、三歳の時。
「こっちのおてて、こっちのおててとちがう」と、突然言われ、ドキン。
集団生活の中で、手を使っていろんな遊びをするようになって気づいたのだろうか。
「そうだね、違うね。こっちのおてては、あかちゃんの時、
しんどいしんどい病気してこんなおててになった。
でも、こっちのおててでも、いっぱい遊べるし、大丈夫」
って言うと、三歳の茉耶は、「うん!」と元気な返事をした。

それからしばらくして、友だちの手との違いにも気づいた時には、以前の説明では納得しなかった。
「こんなおてていやや!」と言いながら、
保育園に持っていくコップの入った袋を左手に持ち、ガンガン右手をたたいた。
三歳の子がこんな行動をとるとは、夢にも思わなかった私は、
「やめよ、大丈夫やから、なっ、みんなと違ってても、大丈夫……」
涙をこらえながら声が震える。
両手で茉耶の右手を包み、さすりながらなだめた。
これから先も、こんなこと、きっとたくさんあるだろうなって思いながら、
泣いちゃいけないと力が入る。
つらいのは、茉耶。その茉耶を、支え応援してやるのが私の役目なんだ。
泣き虫ママ、返上!って、心に誓った。

*   *   *

友だちと違う右手が、気になって仕方ない五歳の茉耶。
目に見える右手に対するコンプレックスが、成長するにつれどんどん大きくなる。
夜、布団の中で
「こんな手いややな。左の手みたいになったらいいのにな」とつぶやく。
「大きくなったら、まーるくなった指を削って、
左の手みたいになるような手術したいって思ったら、やったらいいし。
でも、今はまだこれから大きくなっていくところやから、手術はでけへんやろ。
今、茉耶に大事なんは、この指で、いろんなことしてちゃーんと動くようにしとくことなんや」
と、また言い続ける日々。

それを聞きながら、茉耶はやるせない悩みとたたかっていた。
まさか、この年で、まわりの子どもたちの言葉に、傷つけられているとは。
誰も、誰も、気づかず……。
この年ごろの子どもたちは、人とは違うことを、おかしいと思いはじめる。
集団で活動する中、おとなたちの見えないところで、
異常な集団心理が交差していたよう。
自分たちとは違う手をした茉耶に対し
「ヘーンな手」「宇宙人みたい」「なにもできへんやろ」
と、言葉でいじめはじめた。
家でよくあばれ、未生を泣かすことが多くなった。家庭内バクハツ。

茉耶に「保育園、おもしろい?」そう聞いた時、
今まで耐えていたものが、耐え切れずあふれだし、涙ながらに訴えはじめた。
つらかったね、って右手をさすりながら、茉耶の心の傷をさする。
「みんなに、茉耶のことわかってもらわんとあかんな。
だから、先生と相談して話し合ってもらおうね」
そう言うと、いったん「うん」と言ったのに
「あれ(みんなが「ヘーンな手」とか言ったこと)はウソやったんや。だから、先生には言わんといて」
と前言撤回。自分にすっかり自信がなくなっている茉耶が、しがみつく。
どうやら、みんなで話し合う情景が頭をよぎったようだ。
ちょっと強引に誘導したけど、なんとか茉耶は、話し合うことを了解した。
先生にことのなりゆきをすべて話すと、
自分のクラスでそんなことがあったのかと、かなりショックを受けていた。
話し合いには、私たちも出席した。
彼は、茉耶が最初に病気になったことから話し、
みんなとはちょっと違う体になったことを簡単にわかりやすく説明した。

私たちの横で、後ろ向いたりうつむいたりしながら、
自分のことが話されているのを、必死で耐えている茉耶がいた。
他の子どもたちは、ほとんどが真剣に聞いていてくれた。
何気なく言った言葉で、傷つくことがあるということに気づき、
言葉をつまらせながら、自分たちをふりかえってくれた。
それからクラスの友だちは、誰も、茉耶の手のことは言わなくなったという。

*   *   *

小学校に入学してから、やはり右手のことに気づいた友だちから、
「なぁ、なぁこの子の右手、爪ないんやで」と見せ物のようにされたことや
「わあー、手なしにんげんや」と逃げられたことがあった。
顔を歪め、「やめて!」と言っても、何度も言われたようだ。
先生に連絡して、話し合いをしてもらっても、
ほんとにいろんな子がいるもんで、言い続ける子は、言い続ける。
保育園とは違って、学校では、そうそうお互いわかりあえるまでの話し合いはむずかしいようなので、
家でじっくり茉耶自身の気持ちを聞き、励ますようにした。

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