バベルの図書館

書籍と雑誌の要約と解説

恐るべき食品添加物と問題児

イギリスのホールフード運動

装丁
恐るべき食品添加物と問題児 恐るべき食品添加物と問題児
津野志摩子(フリーランスライター)
青年書館
ISBN4-7918-0466-X
1989/10/25
¥1240
現在イギリスの教育関係者たちが、問題児に出会うと、
まず第一に調べることはその子たちが家庭で何を食べ、何を飲んでいるかということ。
問題児たちは一人の例外もなく、必ずハム・ソーセージ、キャンディ、
チョコレート、ガム、オレンジスカッシュ、
コーラなど添加物に毒されたものをたくさんとっているからだ。

そして食生活を変えることによって、彼らの行動もめきめきとよくなっていくのだ。

今はなんでもないごく普通の子でも、
添加物入りのジャンクフードをとり続けていくと、
いつ問題を起こす子になるかもしれない。
イギリスでは学校教育を通じて、「正しい食生活」指導にのり出した。

目次
  1. 問題児・ハイパァアクティブとは何か
    1. 超活動的…粗暴な“ワルガキ”
    2. 睡眠時間二~三時間のサリーの息子マイル
    3. 食品添加物を断って四日目に効きめが出た
    4. 「守る会」の広範囲な活動
  2. フェインゴールド博士の食事療法
    1. 食品添加物を食事から徹底的に取り除く
    2. 脳機能障害と混同されていたハイパァアクティブ
    3. 薬づけ医療は特に子供には危険だ
    4. 食べ物が人々の行動に影響を与える – 犯罪学と食物学
  3. 「安全な食べ物」運動の成果
    1. 一番の悪玉は着色料と保存料だった
    2. 無添加食品販売を推進するスーパーマーケット
    3. サリー・バンディの「安全買い物リスト」通信
    4. 薬にも添加物が含まれている!
    5. 飲食品内容物ラベル表示義務化は第一歩にすぎない
  4. 食事療法の手引きと危険な添加物
    1. 無添加のものなら何を食べてもいい…
    2. フードプログラム – 食事から取り除くものはこれだ
    3. 危険な食品添加物入りの食べ物と特徴をあげておこう
  5. 食事療法が子供たちを救った
    1. 若いほど効きめが早くあらわれる – 食事療法
    2. 第二児症候群と診断されたクリストファーの場合
    3. 「家庭でオレンジスカッシュを飲んでいませんか」
    4. 警察のお世話になったジョニー
    5. アランの場合 – もう甘い物は絶対に口にしない
    6. 今では成績も上位 – ダンの転機は母親スーの生き方も変える
    7. “ワルガキ”双子も無添加食事をはじめてたった二十四時間で豹変
    8. 「ディスレクシア」は治せるのに、誤解されていないか
  6. ハイパァアクティブの原因をさぐる
    1. 食品添加物ばかりではなく化学薬品の洪水
    2. もっとも不足しているのはミネラル
    3. 車の排気ガスからの「鉛」が人体をむしばむ
    4. アレルギー体質と人工栄養の関係
    5. 受胎と授乳期教育の大切さ – 防止対策1
    6. 離乳食はなるべく遅い方がいい – 防止対策2
    7. 牛乳は万能の飲み物ではない – 防止対策3
    8. 有機農法による穀物、野菜、果物の摂取 – 防止対策4
    9. 有機農法の実際をみてみよう
    10. 地球環境にも目を向ける – 防止対策5
    11. 世界的にも高く評価されているサリーの「フードプログラム」
  7. 学校で教える「健康な食事」
    1. TVミュージカル「健康的な食べ物」教育
    2. 信号機は“健康的な食事”に導く – 添加物はなるべく少なく
    3. サリー州公立小学校の試みは食べ物レインボーポスター
    4. 砂糖や添加物から家庭を守る食生活四つの目標
    5. 今や栄養学の中心は“カロリー”から“ファイバー”へ
    6. シュタイナースクールはホールフード教育の実践校
  8. ホールフード食生活のすすめ
    1. 赤身肉断ちした人が続々とふえている
    2. 菜食主義を処方にとり入れた十九世紀の医師
    3. ベジタリアン・キッチン
    4. ベジタリアン・クッキングのコツ – スープからセイバリィまで
  9. 日々の栄養管理はどうするか
    1. ビタミン剤とミネラル剤の服用で成績が上がった
    2. それぞれの栄養素が含まれている食べ物

内容

グレイト・オーモンド・ストリート病院のADHD実験報告[P.44]

イギリスで最大規模をもつ小児病院、グレイト・オーモンド・ストリートでは
76名のハイパァアクティブの子供たちを対象に食事療法を試みた。
その結果、そのうち81%の子供たちはきわだった好反応を示した。
なんと最も悪影響を与えていたのは合成着色料、保存料だった。

ゴールデン・ワンダー社のBHT・BHA偽装表示[P.49-50]

これは1984年にあった例だ。
子供の大好きなスナック菓子のひとつに、ポテトチップスがある。
そのメーカーのひとつ、ゴールデン・ワンダー社のものには
ラベル表示に酸化防止剤のBHTとBHAが書かれていなかったので、
サリーはそれを安全な食べ物リストに分類していた。
しかし間もなく、彼女はある母親から連絡を受ける。
「ゴールデン・ワンダーのポテトチップスを食べた後、
うちの子は必ずソワソワと落ち着かなくなり、
その上暴れ出すのはどうしたわけでしょう」
早速調べた結果、BHTとBHAが含まれていることがわかった。
その母親をはじめサリーたちはさっそくメーカー側に抗議した。
メーカー側はついに完全な表示をしていなかったことを認めた。
そしてあやまりながら、以後完全なラベル表示をすることを約束した。
間もなくしてもっといいニュースがサリーのもとに届いた。
完全なラベル表示よりも、
ポテトチップスから酸化防止剤のBHA、BHTを完全に取り除くというのだ!
そして現在、約束通り酸化防止剤BHA、
BHTなしのゴールデン・ワンダーのポテトチップスを口にすることができる。

フードプログラム[P.66]

サリーは全国の母親たちから届いたいろいろな報告をまとめ、添加物の害を調べていくうちに、
フェインゴールド博士があげている着色料、調味料、風味料だけでなく、
合成保存料、酸化防止剤、発色剤なども悪影響を与えていることがわかった。
フェインゴールド食事療法をもとに「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」が
あみ出した「フードプログラム」は次のようなものだ。

▼次の二つのグループは食事から絶対に取り除かなくてはいけない

グループ1
すべての食べ物、飲み物で次の添加物を含んでいるもの。

  • 合成着色料、風味料(合成甘味料も含む)
  • 調味料(味の素、化学調味料など)
  • 亜硝酸塩、硝酸塩などをもとにした発色剤
  • 安息香酸(防腐剤、殺菌剤として用いられる
  • BHA、BHTなど酸化防止剤
グループ2
食事療法をはじめてから四~六週間は、次の果物、野菜はさけた方がいい。

  • アーモンド
  • りんご
  • 梅、プルーン
  • オレンジ、みかんなどのかんきつ類
  • いちご、ラズベリー、ブラックベリー、グズベリー
  • さくらんぼ
  • ぶどう(レーズンも含む)
  • トマト
  • キュウリ

これらには自然のサルチル酸がふくまれている。
それは基本的構造が化学的につくられたアスピリンと似ており、
多くのハイパァアクティブの子供たちはアスピリン薬害の傾向があるため。

食事療法で改善したADHDのモデルケース[P.87-108]

クリストファー[P.87-91]

クリストファーは三歳まではごく普通の男の子だった。
赤ちゃんの時はおっぱいもよく飲み、夜もよく寝た。
二歳違いの兄ともよく遊んだ。
母親のビバリーは手のかからない二番目の息子をいつも自慢していた。
ちょうどその頃、クリストファーの下に弟ができたので、それはとてもありがたいことだった。

それがある夜、ねぼけて部屋の中を歩きまわったその翌日から、
全く違ったクリストファーになってしまったとは!
それからというものはいつもイライラして落ち着かなくなった。
すぐおもちゃを投げとばしたり、たたきこわしたり遊びにも集中できなくなった。
それまで仲よく遊んでいたお兄ちゃんともすぐケンカ腰になった。
親のいうことには全部反対の態度を示した。よくぐずった。
反抗的になった。夜寝ぼけて歩くのはそれから毎日続くようになった。

幼稚園に入園して一ヵ月もたたないうちに、
ほかの子供に危害が及ぶおそれがあるので、もう来てはいけないと退園を命ぜられた。
なにしろ、ほかの子供をたたいたり、ひっかいたり、けとばしたりいじめが続いたのだ。
そのほかじっとしていることができないのでどこでも走りまわる。
幼稚園の先生が読んでくれる本もじっと聞いていたことが一度もなかった。
落ち着いて絵を描くことも工作することもできなかった。
そればかりではなくほかの子の絵をはぎとったり、工作をこわしたり邪魔ばかりもしたのだ。

「手に負えないクリストファー」をかかえたビバリーはほとほと困り果てた。
そして彼の手をひき家庭医の所に相談に行くことにした。
医者はいとも簡単にこういった。
「ああ、これはセカンド・チャイルド・シンドロームですね。
要するに今まで一番下の子として親の感心をいっぱい受けていたのに、
下に赤ちゃんができたためそれがなくなった。
そのためにこういう目立った態度をとってもう一度関心をひき戻そうとしているのですよ」
医者はカルテに「セカンド・チャイルド・シンドローム」
(第二児症候群)と書いただけで真剣にうけあってくれなかった。

クリストファーの行動は年とともにひどくなっていった。
夜寝ぼけて歩くほか、寝ている間の夜半中、かなきり声で叫び出すようになった。
日中はひどいかんしゃくを起こし、どこでも寝ころんで手足をバタバタさせるのが続いた。
そのほかこわいもの知らずで、どこでもとびこんで行きケガがたえなかった。
体力的にも強くなり、友だち、兄弟とのケンカももっとひどくなってきた。
きたないののしりの言葉を親、友だちの前ではくようになった。

その頃ビバリーは偶然、なにかの雑誌で
「ハイパァアクティブ・チルドレン」に関する記事を読んだ。
彼女はまさしく「これだ!」と叫んだ。
そこに書かれている子供の行動のひとつひとつが
クリストファーの行動と一致するからだ。
さっそくそこにのっていた
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」のサリー・バンディに手紙を書いた。
折り返し、返事とともにジャーナル、食事療法の手引きなどが送られてきた。

1984年、クリストファー5歳の時から食事療法が始まった。
それと前後して、かかりつけの医者に満足しなくなったビバリーは、
クリストファーをホメオパシィの療法のとっている医者の所に連れていった。
そこでホメオパシィ・ドクターは彼のアレルギー反応テストをした。
その結果、多くのものにアレルギーを示すことがわかった。
食品添加物の着色料、調味料はもちろんのこと、
アスピリン、水道の水、それから、小麦粉にもアレルギーを示した。

食事療法を始めて、1~2週間のうちに結果があらわれ出した。
まず寝ぼけて夜歩きまわるのが止まった。
友だちとも仲よく遊べるようになってきた。
人のいうこともよく聞くようになった。
落ち着いてすわることもできるようになってきた。
食事療法を始めてから学校でも問題を起こさなくなった。
しかし、まちがって添加物入りの食べ物を口にした時や、
彼が隠れてチョコレートなどを食べたときはまたすぐもとの調子に戻ってしまう。
ハイパァアクティブになると学校側も手に負えなくなり、すぐ家庭に連絡してくる。
ビバリーはそういう時事情を説明し、2~3日はおおめに見てもらうことにしている。
だいたい2~3日でまたもとの調子に戻ると確信しているからだ。

ブレット[P.91-94]

母親のデニーズが息子のブレットが何か普通とちがうと気がついたのは彼を生んだ直後のことだった。
五体満足で身体的には何の異常もなさそうだが、何か少し様子がちがっていた。
その二年前に長女を生んでいたのでそのちがいは容易にわかった。
よく泣いた。火のつくようによく泣いた。
夜も泣きすぐおっぱいを求めたが飲まなかった。
何しろ寝ている時間が少なすぎる。
生まれたての赤ちゃんなのに1日3時間しか寝ない!
抱きかかえても激しく泣いている。
夜泣きやまないブレットを乳母車にのせ、家の中をぐるぐる押しまわったこともあった。

家庭医に連れていっても、保健婦に相談しても満足のいくような答えは得られなかった。
「この子はこういう子なんだ」――デニースはあきらめて毎日の寝不足と戦った。
思いあたることといえば、胎教が悪すぎたことだった。
ブレットを身ごもっていた頃、彼女はアルコールや軽食を出す村の社交場、
ソーシャルクラブを切り盛りしていた。
妊娠にもかかわらずアルコール類をたしなんだ。
臨月近くになってその仕事から身をひくことにした。
引っ越しをした。
そしてその直後、彼女の父親が急死した。
その三日後にブレットが生まれた。
妊娠期間中、余りにも波乱に富みすぎていた。
そんなことが原因しているのではないだろうかと思った。

1歳になっても2歳、3歳になってもグズグズぐずり、よく泣くのは変わりなかった。
夜もよく寝ず睡眠時間Ⅲ~4時間がずっと続いた。
それでも日中よく動いた。
じっとしている時がないぐらい、あちこち走りまわった。
ときどき、姉のマンディと一緒に仲よく遊び、声をたてて笑っていたかと思うと、
急に怒り出して物を投げ出したりした。
一人で三輪車をこいでいても、突然怒り出し三輪車を地面にたたきつけたりする。
自分の要求が通らないと人をけっとばす、たたく、地たんだをふんで怒り出すことが毎日続いた。

近所に住む子たちもこわがって彼のそばに近寄らなかった。
4歳半で小学校に通いだしたが、デニーズや夫のメルビンが心配していたように、
学校でもすぐワルガキぶりを発揮して問題児になった。
しかし運命の神はブレットを見捨てなかった。
ブレットはクラス担任ブラウン先生にめぐり合っていたからだ。
担任のブラウン先生はデニーズにこういった。
「家庭でオレンジスカッシュを飲んでいませんか。
もし飲んでいたら、それをやめさせて下さい。
そのほか着色料をつかった飲み物、食べ物は全部やめさせて下さい。
チョコレートなどの甘い物もいけませんよ」

いわれた通りオレンジスカッシュ、コーラなどの清涼飲料、チョコレート、
アメ、チューインガムなどをおやつからはずしていった。
さらに先生はアレルギー専門の名医エドウィン・ハムリン先生を紹介してくれた。
ブレットをみてハムリン先生はいった。
「着色料とか甘い物ばかりでなく、合成保存料、調味料、殺菌剤、
酸化防止剤、発色剤などすべての化学的添加物の入ったものはだめです。
それからブレットは特にキュウリとチェリーにアレルギーなのであげないで下さい」

デニースはその時はじめて自分の息子が
「ハイパァアクティブ」であると知らされた。
ハムリン先生は「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」の
サリー・バンディに手紙を書いて食事療法の手引き書をもらうことをすすめた。
無添加の食事をはじめて、効果はてきめんにあらわれた。
いつもぐずってばかりいたブレットがニコニコ笑うようになったのだ。
落ち着き出した。読み書きも覚えられるようになった。

その効果に驚いたデニースはハイパァアクティブの子供をもって悩んでいる親たちのために
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」の地方支部をつくろうと思いたった。
1987年春、そのことを地方新聞でよびかけると、母親たちからの反響は予想外にあった。
間もなく新聞も“食べ物がかわいい子を子悪魔にかえる!”の見出しのもとに
ブレットのことをとりあげた。
地方テレビ局も取材に来た。
そこでもデニースはブレットとつきあって無添加食事をしてから、
家族全員がいかに健康になったかも話した。

ジョニー[P.94-98]

カレンは胎内にいる子がよく動き、
よくける子だとは思ったが妊娠中は何も問題もなく出産の日をむかえた。
2~3時間の陣痛の後、あっという間に生まれてきたのは男の子だった。
カレンは鼻水を出し、鼻をすすっている赤子を看護婦から手渡された。
重苦しい息をしていた。
おっぱいの出が悪いので人工母乳を与えたが気持ち悪がって飲まなかった。
ジョニーの鼻がグズグズし、鼻水に悩まされるのはずっと続いた。
風邪のひきやすい子だった。
しかし特別何がおかしいという状態でもなかった。

ハイハイ、歩き始めるのも標準よりずっと早かった。
順調に発育していく長男にカレンも夫も目を細めていた。
おもしろいことにハイハイは普通のそれではなく、
四つんばいになってまるで動物が歩くようにハイハイをした。
そのハイハイで部屋中をすごく早くはいずりまわった。
伝え立ちをしたかと思うと、もう近くのソファや椅子には自分からのぼれるようになった。
なんと歩ける前から台所の戸棚までよじのぼれるようになったのだ。
しかし、なかなかオムツがとれなかった。

ズルズルと鼻を出し、のどをいためてよく風邪をひきせきこんだ。
口の中によくできものができた。
医者の所に連れていくと、くれたのはいつも抗生物質の薬だった。
2~3歳になると、思いがけない行動をとるようになる。
例えば高い塀からとびおりたり、急な坂道を超スピードで三輪車をこいだり、
窓からころげ落ち、頭を打ったこともあった。
もう少しで命を失うような交通事故にあったこともあった。
病院とは縁が切れなかった。

そればかりではなく、ジョニーは少しもじっとしていなかった。
すべての手の届くもの、家具やおもちゃなどはたたきこわした。
アンティークの柱時計の針も全部はずしてこわしてしまった。
新聞、雑誌、カーテンまでもひきちぎり切りさいた。
戸棚にしまってあるマッチも、こっそりとり出してきて遊び、
何度も火をつけそうになったこともあった。

「手に負えないワルガキジョニー」、
それは小学校に入っても同じだった。
じっとしていなかった。
ほかの子どもをいじめた。
先生のいうことは全然聞かなかった。
そしてジョニーは何事にもウソをつくようになった。
その上、きたないののしりの言葉を誰にでもはいた。
友だちともすごいケンカをした。
すぐ暴力をふるい相手をケガさせた。
それは年とともに激しさを増すばかりだった。
鼻がズルズル出て、よく風邪をひくのはずっと続いていた。
いつもすごくよくのどがかわいていた。

夜も寝つきが悪く、寝ても悪夢に悩まされ夜中に叫び声をあげた。
寝言をよくいった。
そして毎晩のようにおねしょをした。
日中は皆の前でタンカを切り、
こわいもの知らずのジョニーもおねしょのことだけは、誰かに知られるのをこわがった。
おねしょは11歳まで続いた。

11歳。それはジョニーにとって忘れられない時になる。
その頃、すべて札つきの年上の悪友ばかりと夜遅くまで遊びにふけり出した。
学校もさぼりがちになる。
そして悪友仲間とシンナー遊びにのめりこんで行くようになった。

そしてある日、
ついに万引きを働き、警察につかまってしまったのだ。
カレンが心配していたことがついに現実となってあらわれたのだ。
親子ともども、警察、裁判所を何度も行き来しなければならなかった。
カレンは泣いた。本当にどうしていいのかわからなかった。

そんなある日、偶然に誰かから
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」のことを聞いたのだった。
彼女はとるものもとりあえず、サリー・バンディに問い合わせる。
折り返し食事療法の手引きが送られてきて、それを実行した。
それとともに栄養補給として、ビタミン、ミネラルの錠剤も併用した。

同時にジョニーは特別な医療機関で検査を受けることになった。
その結果、彼の頭脳に含まれている有害金属、鉛の量が標準よりも高いことがわかった。
食品添加物にもひどいアレルギー反応を起こした。

食事療法の効果は徐々にあらわれた。
まず鼻がズルズルしなくなった。おねしょが止まった。
風邪をひかなくなった。のどをいためせきこむことがなくなった。
そのため常用していた抗生物質はいっさい使用しなくてよくなった。
それよりも何よりもカレンを驚かせたのは、おとなしくなり、
よく気のきく、やさしい思いやりのある子に変わったのだ。
まるで人が変わったのだ。
弟と妹にも思いやりを示し、両親の愛情も素直に受ける。
そして彼は両親に対する愛情も素直にあらわせるようになった。
あの問題を起こしていた頃のジョニーと大ちがいなのだ。
その著しい変化を目の前に見て、カレンは今まで何の疑問も持たずに与えていた
添加物入りの食べ物がいかに災いしていたかがよくわかった。
今までは家族全員が無添加でホールフードの健康な食事をとっている。

アラン[P.98-101]

結婚して長年子供のできなかったアンナとジョン夫婦はついに養子をもらう手続きをした。
間もなく養子斡旋組織から連絡があった。
生後5週間の男の子が彼らのもとに来ることになったのである。
アンナはさっそくベビーベットを買いそろえオムツをそろえ、ベビードレスをそろえた。
待ちに待った母親となる日が来るのだ。
そして本当にコウノトリは色白で美しいブルー色の目をした男の子を連れて来てくれた。

アランと名づけられた子は哺乳びんのミルクを飲み、すくすくと育っていった。夜もよく寝た。
8カ月でハイハイ、1歳ちょっとすぎから歩き出した。
いつもにこにこ笑うきげんのよい子だった。
ジョンの両親も初孫を見によく訪れるようになった。
その皆に幸せを与え、天使のような笑みをふりまいていた
アランが2歳の誕生日をすぎた頃から、突然変わりだしたのだ。

きっかけはまずひどいひきつけを起こしたことに始まる。
余りにひどいひきつけだったので、救急車で病院に運ばれた。病院から戻ると、
今まで夜はぐっすり寝ていたのに寝なくなった。
寝ても3時間ぐらいになった。
そしてかなきり声をあげ、泣きわめき夜でもいっしょに遊んでほしがった。
要求が通らないと、ひどいかんしゃくを起こし、手足をバタバタさせた。
アンナもジョンも夜おちおちと寝ていられなくなった。

食事の時も今まではきちんとベビーチェアにすわって食べていたのに、
じっと落ち着いてすわることができなくなってしまった。
テーブルほどの高さもあるベビーチェアから床に落ちることもひんぱんに起こり出した。
食事のベビーチェアだけでなく、
自家用車の中にとりつけてあるベビーチェアにもじっとしてすわっていることができなくなった。
そのベビーチェアに頭を激しくぶつけ、しめているシートベルトをもがき取り、
床にころげ落ちることもひんぱんに起こった。
そのたびにひどい打ち身とケガをした。

遊びにも集中できなくなった。
おもちゃをちょっとさわるだけで次から次へと興味の対象が移った。
そして室内を走りまわったり、椅子からとびおりたり、じっとしていることがなかった。
すごく怒りっぽくなり、すぐ物を投げとばしたりするようになった。

ある日、アンナとジョンは二人そろって出かけなくてはいけないことがあり、
ベビーシッターをジョンの母親にたのんだ。
二人が戻ったとき、母親はぐったりとしてソファに横たわっていた。
そして弱々しくいった。
「私はこの子のめんどうをみることはできないわ。
たった2歳半なのにもう手に負えないわ」

母親のすすめもあってアランを家庭医の所に連れて行くことにした。
アンナはアランの身体中にあるケガと打ち身の跡を見せて、いかに手に負えないか説明した。
アランを見、そしてアンナを見て医者はいった。
「あなたが神経質すぎるんですよ。
これは別に心配することではありません」
アンナがなかば気違い扱いされただけで帰されてしまった。

しかし翌日、保健婦とソーシャルワーカーが家を訪れた。
彼らはアランの身体中のケガ、打ち身は彼自身がしたものではなく、
もらいっ子を虐待している親がしでかしたものではないか
という疑いをただすために送られてきたのだった。
保健婦もソーシャルワーカーも家庭でのアランの様子をみて、
これは幼児虐待から来るものではないということがわかった。

アンナはアランを連れて色々な病院をまわった。
そしてついに彼は精神科医の所に送られることになる。
そこで下された言葉は「ハイパァアクティブ」だった。
間もなく薬療法が始まった。リタリンの服用がすすめられた。

しかし、その頃アンナは偶然に
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」のことを知る。
アラン3歳の時から食事療法が始まった。
彼はいたって健康で、ほかになんの病気もない。
アレルギー反応を示すのは食品添加物だけで、
ほかの食べ物はなんでもとることができる。
食事療法を始めると効果はめきめきとあらわれはじめた。
笑顔が戻ってきた。
そして今は13歳。明朗闊達な少年だ。
いまだに、チョコレートなどの甘い物は絶対に口にしない。

ダン[P.101-104]

生まれて3週間の赤子がまるでどこかに痛みでもあるかのように、
火のついたように1日中泣きじゃくり出した。
水をこわがり、お風呂に入るのをいやがった。
昼寝もせず、夜も余り七寝なくなった。
ハイハイも歩きもおしゃべりも何をするのもおそかった。
なんとダンが歩き出したのは2歳半をすぎてからのことだった。

精密検査の結果、首の骨が少しねじまがっていることがわかった。
それと前後して、ものすごい強度のひきつけを起こし病院に運ばれた。
それからひきつけの抑制剤を服用したが、それ以後6カ月ごとにいつもひきつけを起こした。
夜も寝ないで泣き叫ぶのはずっと続いていた。
中耳炎を起こしたり、のどをいためたりするのもよく続いた。
何とダンは生後3週間から4歳まで、
ほとんど毎日のように抗生物質の薬を服用していたのだった。
手に負えないほどのものすごいかんしゃくも、
「この子は病弱だから」と母親のスーはおおめに見ていた。

ダンが3歳半のとき、医療関係者、教育関係者たちは彼の口のおそいこと、
一人で服を着たり、くつをはいたりできないこと、
一人でトイレで用を足すことができないことなどの様子をみて、
特殊学校に入れることをすすめた。
でもスーはその忠告に従わなかった。
手足のコーディネーションが悪いのも
首の骨がねじまがっていることからくる障害だろうと思っていたからだ。

ダンの転機は4歳半の時に訪れた。それはスーがダンを
ホメオパシィ・ドクターの所に連れていったことにはじまる。
家庭医がくれる抗生物質をいくら与えても
何の効果もないことに業をにやした末の彼女の決断だった。
アレルギーテストをした結果、乳製品、着色料、調味料、風味料に悪反応を示した。
髪の毛からミネラル栄養素ズィンク(亜鉛)の含有量も調べた。
その結果、体内に必要としているズィンクの量が異常に少ないこともわかった。

そこで食事療法を提唱するサリー・バンディのことを知った。
スーはとるものもとりあえず、
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」に手紙を書いた。
サリーから送られてきた食事療法の手引きに従い、それを実行した結果、
それまでよく起こっていたひきつけが陰をひそめた。
かんしゃくも起こさなくなった。
夜もよく寝るようになった。
食事療法の効果に気づいた彼女はさっそく
「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」のメンバーになった。
そしてその地方支部のオーガナイザーとして積極的に活動しだしたのだった。

メンバーになってかれこれ十年の月日が流れようとしている。
特殊学校を推せんされたダンも今では14歳。
普通の学校に通い、成績も上位。
特に数学が得意。彼は高校にむけての受験勉強に励んでいるが、
そのあい間をみて、テニス、空手などのスポーツにも余念がない。
幸いなことにダンの首の骨ねじまがりも成長とともに、自然になおってきた。
今ではまさに健康で明朗な好少年だ。

マイケル&スティーブン[P.104-108]

スーザンが一卵性双生児を身ごもっていること
を医者から知らされたのは、妊娠8ヵ月後半のことだった。
前回の長女妊娠の時に比べて、
おなかがずい分大きくなっていくのには気がついていたが、
まさか双子が入っていようとはつゆとも思わなかった。
それからあわててもう一組のベビー用品を買いそろえた。

生まれ出てきたのは健康な男の子だった。
マイケル、スティーブンと名づけられた男の子は母乳ですくすくと育っていった。
しかし彼らが4ヵ月半のとき、スーザンは乳腺炎をわずらい、
なくなく母乳を与えるのをあきらめなくてはいけなくなった。
彼女はなるべく長く母乳を与えようと思っていたので
それが実行できないのが非常に残念だった。
母乳からきりかえたミルクもごくごく飲み、二人は毎日すくすくと育っていった。

それが生後6カ月を境に、まるで申し合わせたように二人は突然かわってしまったのだ。
全然寝なくなった。寝ても24時間中1時間。
起きている時は泣いてばかりいた。
スーザンは二人を両腕にかかえて一生懸命なだめた。
しかしいっこうに効果はなく激しく泣きじゃくるばかりだった。

その頃から二人ともハイハイをしだした。
身体を動かせるようになっても彼らは決して笑顔をみせることはなかった。
一日中二人ともグズグズぐずってばかりいたのだ。
泣いてばかりいて、手に負えない双子のことはすぐ近所でもうわさになった。
母親が双子のため忙しすぎて充分手をかけていないので、
あんな子になったという非難めいたうわさもスーザンの耳に届いた。

途方にくれた彼女は二人を連れて医者のもとを訪れた。
くれたのは鎮静剤だった。与えたがいっこうに効きめがなかった。

一歳の誕生日に二人は歩き出した。
すると間もなく二人はダンス、ドレッサー、テーブルなどどこでものぼりはじめた。
じっとしていることはいっときもなかった。

夜一時間の睡眠パターンはずっと続いていた。
夜ウトウトしていたスーザンがめざめて悲鳴をあげたことがある。
マイケルとスティーブンはお互いのオムツをはぎとり、
その中のウンチを壁にぬったくっていたのだ……!

彼らは自分たちのベビーベット
(コットと呼び、二歳ぐらいまで使用するのが通例)をこわした。
プラスチックのおもちゃなどこわせるものは何でもこわした。

夜一時間の睡眠パターンは三歳まで続いた。
幼稚園に行くようになって、睡眠時間は少し長くなったが、
スーザンは夜5~6回いつも起こされていた。
幼稚園ではほかの子をぶったり、けとばしたり、
二人はだんだん成長するにつれて暴力的になり出してきた。
スーザンはかさ、包丁などなんでも武器になりそうなものは彼らの手の届かない所に隠し始めた。

「ワルガキ双子のマイケルとスティーブン」はそれでも退園を命ぜられることもなく、
なんとか幼稚園を終え、小学校に入学した。
学校でもじっとしていることはなかった。
いつも皆の邪魔をして授業をさえぎってばかりいた。

危険な思いがけない遊びは度を越していった。
ものすごい急な坂を超スピードで自転車をこぎ、
坂の下にころげ落ち、脳震とうを起こしたこともあった。
そのとき二人とも何針かぬわなくてはいけないほどのケガをした。
それでも二人はこりなかった。
高い壁からとび降りたり、高い屋根にのぼったりするのは日常茶飯事。
走っている車の後ろにぶらさがってついていったこともある。

二人は本当に血のしたたるケガをさせようと思って、
なぐり合いのケンカをした。それはひんぱんに起こった。
両親や教師がいくら厳しくしかっても、どんなにいいきかせても無理だった。
まずじっとして人のいうことを聞くことがなかった。
ケンカを止めに入ったスーザン自身、ケガをすることが何度かあった。

見も心もクタクタに疲れはじめた彼女が
モーリス・ハンセン著『Eナンバーは添加物』に出会ったのは1987年の春のことだった。
マイケルとスティーブンが7歳の時だった。
そこに書かれてあるハイパァアクティブ・チルドレンに
関するページを読み、彼女は「これだ!」と叫んだ。
医者も学校の先生も彼らのことを「ハイパァアクティブ」といったことはない。
学校では手に負えないワルガキとして扱われていたのだ。

その本を読み、スーザンはまず台所から添加物入りの食品を追放する決心をした。
スーザンはフェインゴールド食事療法、
またはサリーのつくった「フードプログラム」ではなく、
自分独自の食事療法に従うことにした。
それは自然のサルチル酸のことは考慮せず、ただ無添加の食べ物を導入することだった。
それとマイケルが乳製品アレルギーなので、牛乳をやめヤギの乳または豆乳を入れることにした。

無添加食事をはじめてから、たった24時間のうちにてきめんにその効果があらわれ出した。
彼らは落ち着き出したのだ。
人のいうことにもじっと耳を傾けることができるようになった。
スーザンは経験から黄色、赤色、茶色の着色料が含まれているものが最も悪いこともわかった。
チョコレートを与えるとすぐケンカ腰になり、ものすごく攻撃的になることもわかった。

しかし子供たちは甘い物をほしがるので、
添加物入りのチョコレートのかわりに健康食品店で売っているキャロブチョコレートを買い、
ときどき「よい子」のごほうびにあげている。
ごぼうびはそれだけでなく、豆乳でできたアイスクリームになることもある。

また学校の勉強の方では、マイケルが「ディスレクシア」ということがわかり、
特別授業を受けているが、その矯正の効果も日に日にあがってきている。
スティーブンは落ち着きができてきたおかげで、読み書きも早く覚えられるようになった。
二人につけられた「手に負えないワルガキ」のレッテルはもうすでに返上した。

ヤギミルクは注意欠陥多動性障害に適している[P.128]

「ハイパァアクティブの子供たちを守る会」の調べによると、
牛乳にアレルギー反応を示す子供でも、ヤギの乳には反応を起こさない例が多いことがわかった。
ヤギの乳に含まれているタンパクとミネラルの成分は母乳のそれに近い。
ヤギの乳のタンパク質は牛乳のそれよりもはるかによく、また脂肪も消化しやすい。
ヤギの乳同様にすすめられるのが豆乳だ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です