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書籍と雑誌の要約と解説

顔つぶれても輝いて

ステロイド軟膏禍訴訟6年の記録

装丁
顔つぶれても輝いて 顔つぶれても輝いて
江崎ひろこ(日本ステロイド軟膏禍第一原告)
一光社
ISBN4-7528-6012-0
1988/12/05
¥1200
目次
  1. 《ステロイド》が私を襲った
    1. 運命の分かれ道
    2. クスリ突然中止命令
    3. “ホームドクター”を頼りに
    4. 《ステロイド》剤だった
    5. 自殺未遂
    6. S総合病院
    7. 《医》に囚われた人
    8. “がんばりっ子” – 私の生いたち
  2. 楽しきかな裁判 – 二人三脚の陽気なたたかい
    1. 医師たちが訴訟を望んだ
    2. 「医者も人間やから、ミスくらいするよ!」
    3. 裁判が始まった
    4. 嘘で固められた供述
    5. 誠実=村井さん
    6. 完璧なる二人三脚
    7. 《ギンギラギン作戦》中止!
    8. ついに視力も侵されて
    9. ゴー・ファー・ザ・ビクトリー
    10. 失明の危機
    11. K医師、連用“ミス”を裏づけ
    12. やさしくけなげにたたかえば
    13. 鑑定
    14. わが青春のクライマックス
文献
  • 木村繁『医者からもらった薬がわかる本』[P.78]
  • 金原出版『皮膚科の臨床』[P.79]
  • 吉川孝三郎『患者のための医療裁判』[P.158]

内容

  • スキー焼け[P.16-17]
  • ステロイド皮膚症[P.29-31]
  • 薬毒[P.44-45]
  • 病院に飼い殺されている薬害老人[P.46-48]
  • 私は、“我れことにおいて後悔せず”という言葉を看板にした森田健作の生き方に、強く共鳴していた。[P.52]
  • 村井弁護士は私に、D総合病院でカルテのコピーをとってくるよう指示した。ところが、応対に出た大柄な医師は、「カルテは人には見せられない。弁護士だろうがなんだろうが関係ない。こっちには≪カルテをかくす権利≫がある」[P.60]
  • <いまこそ長年養ってきた根性と精神力がほんものかどうかが試される時だ、そしてこの試練を乗り越えた時、私は人間として必ずひと回り大きくなれるのだ>[P.87]
  • N医師は大学で、“一般教養として”少しだけ皮膚のことを学んだ。その後、皮膚科の専門分野に関しては二冊の本を読んだだけ。それも55年に入手したもの――私を治療したあと、あわてて入手したものである。皮膚薬については5年前が最後のお勉強。最近の文献は全く読んでいないという。[P.88]
  • “顔ぐらいのこと”でこんな大げさな裁判を起こすのは、独断と偏見以外のなにものでもないと、ぼくは思っている(S総合病院K医師)[P.142]
  • <――負けるもんか。死ぬもんか。私は生き証人。生きてることが義務なんだ。この顔を“見せて歩くのが仕事”なんだ。スポーツできたえぬいた確かな根性……見ろよ、ほんものさ。>[P.1]
  • <次代の人々を卑劣な医師から救おう。捨石となって生きよう>などと想念を転換するまでには、かなり長い時間がかかった。だが、その決意を済ませたあとで白内障の宣告を受けたことは幸せだった。さらに自分の使命を自覚できたから…。[P.154]
  • 「死にたい」と私が告白した時即座に叱る人は、人生“どん底”まで落ちたことがない人。苦しい人生を歩んだ人ほど、「そう思わなきゃ怪物だよ」と答える。[P.164]
  • 顔の状態・心の状態がともに最悪で、どうしても外出できなかったころ、私は手あたりしだいに障害者の手記を読んだ。自分より“不幸”な人を見て優越感を持ちたがる自分の心を、つくづく貧しいと思いながら……。人間ってふしぎだ。幸せな人を見ると自分を不幸に思い、不幸な人を見ると自分は幸せだと感じる。見ている自分が変わったというわけではないのに……。[P.165]
  • “不幸”を克服したそのことをねたむ人がいる。以前私に、最大級の同情をよせていた人が、いま私が前向きに生きようとしていることに気づいたとたん、≪思わくがはずれた≫とでもいう風な態度を見せることがある。[P.165-166]
  • 宗教勧誘、療法紹介……、さまざまの働きかけが、延えんと続いている。たいがい、≪ピタリと治る≫のが売物だ。[P.191]
  • 長いたたかいをおえたいま、神の声がきこえる。――あなたの顔はつぶれた。でも、人の心はまだ失っていないだろう。なくした物に対する執着はすてなさい。これから、あなたのみがくことができるのは心だけ。その顔のままで、どれだけ心を水晶玉のようにみがくことができるか、それがあなたの一生の課題だよ。[P.203-204]

スキー焼け[P.16-17]

一回生の冬、短大でスキー教室が開かれ、私も参加した。
ところが、楽しい思い出を胸に「教室」から帰って二ヵ月後の昭和五二年四月二一日朝、
それまでは健康な日焼けとしか見えなかった顔が、熱をもち、とつぜん真赤に腫れあがった。
ザラついてそのうえ粉をふき、まるで岩のようにゴワゴワの皮膚になってしまったのである。
スキーで焼けた両頬だけのことだった。
この時はかゆみもつっぱり感もなかったので、肉体的にはがまんできる状態だった。
が、毎日顔を合わせずにはいられぬ学友のことを思うと、
精神的にとても辛抱できることではなかった。

私はどうしてもキャンパスに向かう気になれず、鏡に映る顔を観察しつづけた。

だんだん赤味が増してきて、
正常な皮膚と岩のようにゴワゴワした皮膚とが、はっきりと分かれてくる。
私は、<もう化粧程度ではかくせない。病院へ行くしかないんだ>と決意した
(この病院行きが、のちに裁判沙汰になろうとは、この時夢にも思わなかったのである)。

ステロイド皮膚症[P.29-31]

五六年になった。

この年、年初から、私の“かゆみ地獄”が始まった。
そう、まさに“地獄”の形容がふさわしいかゆみの襲来に、
私は連日転げまわった。長い長いたたかいの始まりだった。

同じころ、またも顔が硬化し、薬が浸透しないほどになった私の顔は醜状を増した。
顔中が、パリンパリンのカサブタにおおわれてしまったのである。
三ミリメートルほどの厚さがあっただろうか。
とにかく、顔中にごはん粒をはりつけて乾かした
ような状態だと思ってもらえばいい。

当然、顔を横に向けることさえできなくなった。
クシャミ、あくび、歯みがき、食事、会話……
顔面の皮膚にかかわる所作が、いっさい不可能になったのである。
無理に動くとお面のような顔にき裂が生じ、今度は膿が流れ出す。
乾いた膿はさらにぶ厚いカサブタとなるのであった。

自転車にも乗れなくなった。
風をきると、いちだんとかゆみが増す。
ソロソロとしか歩けない。

普段でもかゆいのに、
なにかが引き金になって顔中を蟻がはいまわるようなひどさに見舞われると、
私にできるのは泣くことだけだった。
膿ほどの粘り気がない涙は、カサブタの上を次つぎと、しみ通ることもなく落ちていった。

この状態は約一ヵ月で小康をえた。

知人から伝えきいた《光線療法》なるもののおかげで、
半日ほどの間ならかゆみが柔らぐようになったからである。
なんでも戦前、皇室などで行われた治療法らしい。
体内の悪いものを排泄させる働きがあるという光線を受けると、
見る見る顔中から膿が流れ出す。
受光後うつむいて新聞を読もうとすると膿がポトポト落ちた。

かゆみのためについ、指が頬にむかう。
そこで“膿の川”は、一日中その流れを止めない。
上を向いて寝ると耳に流れ込み、朝方には耳のなかが、
乾いた膿でゴワゴワになってしまう。
逆にうつ伏せで寝ると、枕と顔が膿でくっついてしまう。
まつげも眠っているうちに固まってしまい、
容易には目を開けられないのが、毎朝の苦痛となった。

薬毒[P.44-45]

S総合病院は、アンダーム軟こうを塗布させるほか、抗生物質の投与、
皮膚の色素沈着をとり去るためのインターセリン注射などの治療を施した。
効果はほとんどなかった。

それどころか私は、胃重、異常な眠気と不眠症との同居、
頭痛、全身の倦怠感、無力感に悩まされるようになっていった。

そんな時、K医師は好転しない私の顔の治療にサジを投げたのか、
「あなたの顔は一生治りません」と冷酷に見通しを述べた。

私は、あらゆる望みを断たれたと感じ、いっさいの薬物、いっさいの病院と縁をきった。
同じ頃、Mという宗教に入信した私は、
体はダメでも心は健康になってやるのだという新たな意欲に燃えていたのである。

ところが、薬をやめて数か月後のこと。
突如、全身から薬のにおいが吹き出すとともに、
尿や生理血に混じって濁毒がほとばしったのである。

そしてその後、固くしこったリンパ腺の腫れがひく――
猪のように太くなった首が細く元にもどる――
消えていた指紋が甦る、もろくなっていた爪が甦る――
(顔面の傷とかゆみ以外の)すべての症状が、ほとんど同時に消失してしまった。

薬づけから脱け出し、徐々に健康が取り戻せたことは嬉しい。
だが、同時に新たな疑問も生まれた。
<しかし、それならいったい、なんのための投薬だったのか。 あれだけいろんな薬を試しても、肝心の顔はちっとも良くならず、 かえって別の病が拡がっていったではないか。 自分はわざわざ、病気になるために薬を飲んでいたのか。 まるで“笑い話”ではないか>

“笑い話”ついでに書いておきたいことがある。
ある日、なんと私の顔のカサブタをかじったゴキブリが、
きりもみをしながら死んでしまったのである。
しかもその死に方の速かったこと……。

病院に飼い殺されている薬害老人[P.46-48]

昭和58年―すでに私が裁判を始めてからのことである。
ちょっとしたことから私は、ある病院に入院中のおじいさんと親しくなった。
打ち明け話によると、彼はもう40年以上病院とつき合っていて、
なんと、昭和30年頃から入院しっ放しだという。

一見元気そうなのだが、体中の皮膚がカサついているので気になった私が、
「どこがお悪いのですか?」とたずねると、「全部ですよ」と、彼は笑いながら答えた。

「もともとは皮膚病で、20になるころから薬をつけたり入院したりしていました。
そうですね…あれは、たしか昭和28年ごろ、
医師にすすめられて外国の新薬だという薬を塗り始めました。
言われるままに数年塗りつづけたのですが、
いつのまにか皮膚がひび割れてきたんですよ。
汗腺もつぶれてしまって皮膚呼吸ができないようになっちゃったんです」

「もしかして、いまもその薬を?」
「いいえ、もう塗ってはいません。ここんところはただ、
油薬を塗って包帯を巻けば、それで終わり…。
全身がひび割れるのを防ぐだけです。
でも、やっかいなことに、“新薬”の“ご利益”がなかなか離れようとしてくれませんでね。
糖尿、心臓、肝臓、胃、腎臓、……体中にガタがきて、
もうこれ以上悪くなるとこなど、どこにもありませんワ」

<中略>

彼はもう二度と家へ帰ることができないらしい。
病院側が、構内から外へは出してくれないというのだ。
「そのかわり、衣食住の面倒は、一生病院がみる。つまり、≪飼い殺し≫ですよ」

おじいさんは窓外に目をやりながらつぶやいた。
「副作用のせいだということは、私にもわかっています。
このことが世間に知れて面倒になると困るから、私を外へ出したくないんでしょうね」

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