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書籍と雑誌の要約と解説

ドブロクをつくろう

密造禁止の違法性とドブロクの作り方

装丁
ドブロクをつくろう ドブロクをつくろう
前田俊彦(三里塚空港廃港宣言の会代表)
農山漁村文化協会
ISBN4-540-81002-2
1981/04/30
¥1267
目次
  1. どぶろくを民衆の手に
    1. 酒税法は憲法違反である
      1. 微税のための人民
      2. 酒税法の歴史と目的
      3. 酒税法と憲法の人権保障
      4. 違憲訴訟が起こらなかった不思議
    2. 自立、自醸、自給の思想
      1. 宴―家刀自―杜氏
      2. 酒造は農行為である
      3. 『東北六県種類密造矯正沿革誌』
      4. 自醸はこころの自立の根拠
    3. 清酒ばなれの防止はどぶろくの解禁で/清酒への薬品添加の実態………農文協編集部/里見宏
    4. 世界中で流行しだした酒づくり………津村 喬
      1. 自家醸造が違法なのは日本だけ
      2. クリエイティブなホビイ
      3. アルザス・ワインの歴史
      4. 手づくりワインのコンサルタント業
      5. ポルトで産湯をつかう
      6. “根源的独占”からの解放を
  2. どぶろくのある風景
    1. 酒と農耕文化――どぶろくに思う………玉城哲
      1. どぶろくとにごり酒
      2. 水と酒
      3. 用水慣行の儀礼性
      4. 酒と誓約
      5. ハレの再生とどぶろく
    2. 穏健的ドブロク復権論………阪本楠彦
      1. 強盗をして酒をおぼえた?
      2. 「地方」が復権したのなら
      3. ポーランドのワインもどき厚生省的観点に立って
      4. 商品化から始まる味の堕落
    3. 農の心とドブロクと――『農民私史』の作者・新山新太郎さんに聞く
      1. 神聖な感情でつくったドブロク
      2. 酒役人とのたたかい
      3. 伊藤永之介先生と「梟」
      4. 民主化時代のドブロク
      5. 農の心を売り渡さないために
    4. 南島人の心を支えた泡盛………いれい・たかし
      1. 枕酒と洗骨
      2. アワモリの風土
      3. 禁じられた民衆の酒
      4. 戦後生活と泡盛
      5. 試練に直面する泡盛
      6. 民衆のエネルギー
    5. 村に、湧きたつ哄笑と空想を!………川村 光夫
      1. 「どぶろく農民の墓」
      2. 「いんぺ」対「さがらため」
      3. 宮沢賢治「税務署長の冒険」
  3. ドブロクつくり全科………笹野好太郎
    <焼酎・ブドウ酒・ブランデーその他も詳述>
    1. 簡単なドブロクつくり
    2. 本格派のドブロクつくり
    3. その他のドブロクつくり
    4. 焼酎のつくり方
    5. 考究ブドウ酒のつくり方
    6. ブランデー製法の秘訣
    7. <付> 酢の作り方
文献
  • 野添憲治&真壁仁『どぶろくと抵抗』[P.29]
  • 仙台税務監督局『東北六県酒類密造矯正沿革誌』[P.47]
  • 『日本民族の自立と食生活』[P.63]
  • 『食品添加物公定書解説書』[P.65]
  • 『人民日報』1980年12月15日[P.119]
  • 平敷会治『蒼い海9号』「泡盛文化史抄」[P.146]
  • 八原博通『沖縄決戦』[P.152]
  • 山崎春成『村の歴史』[P.175]
  • 宮沢賢治『税務署長の冒険』[P.181]
  • 『実験秘録・酒の製法宝典』[P.196]

内容

酒を造り出して節酒するようになったアル中患者[P.1-2]

戦時中の私の経験であるが、
ある軍需工場ではたらいていた優秀な技術者が自分の仕事に疑問をもって酒びたりになり、
統制がきびしくて容易には手にはいらぬ酒をもとめてほとんど精神錯乱状態になり、
まさに典型的なアル中患者であった。
そこで私は彼に酒を自分でつくることをすすめ、
さすがは技術者である彼は小型の蒸留装置を制作して
果実酒からブランデーをつくることに成功したのである。
そして、まもなく彼はアルコール中毒から脱出した。
これはどういうことであるかというと、
彼は酒をのむことの悦楽をさらに酒をつくることの愉悦にまで拡大し、
酒をのむことは拡大された愉悦の部分にすぎないことの自覚に達し、
必然的に節酒にみちびかれたのである。

刑期満了に近づいた受刑者は粗暴になる[P.8-9]

一九三〇年代から四〇年代にかけて、
私は治安維持法違反のかどでかなり長期間の刑務所生活を余儀なくされたが、
その在獄中に経験したことである。
雑役的な作業をしていて私との接触が比較的頻繁であったある長期刑の受刑者が、
刑期をおえて釈放される日がちかづくにつれてしだいに気があらくなり、
いよいよ釈放される数日まえのある日、
ほんの些細なことで看守に暴行をくわえて懲罰に付せられてしまったのである。
受刑者の心理をしらない人はこの事実をしらされて、
永年の苦役がおわり自由の身となる日がちかづけば
受刑者は陽気になって仲間や看守にも愛想がよくなるはずだとおもうかもしれない。
ところが実際はその逆であって、とりわけ累犯者は刑期満了の日がちかづくと
しだいに粗暴になり故意に反則をして罰せられるものがすくなくないのを、
私はながい刑務所生活のあいだにしることができた。

合成酒の占有率[P.60]

国税庁によると、昔通りのつくり方をする「純米酒」は、全体のわずか一・二%しかない。
清酒といえるものを私たちはほとんど飲むことができないのである。
その他インチキ清酒の割合は、アルコールを三割添加したものが全生産量の六六・二パーセント。
アルコールを添加した分、水を入れるわけだから文字通り「水っぽい酒」を飲ませられているわけである。
それを「普通酒」といっているのだから、清酒も堕落したものだ。
次に「三倍増醸清酒」が三二・六%。七割近くも水で割った酒が三分の一も出回っている。

廃糖蜜の平均価格[P.61]

「朝日新聞」(56・1・17)によると、
清酒に添加される醸造用アルコールはトウキビのしぼりかす「廃糖蜜」からつくられるが、
そのほとんどが東南アジアやブラジルから輸入され、
五十四年度の平均価格は一トン三万一六〇〇円(五十三年度は一万九〇〇〇円)で、
コメの約三〇万円に比べて、十分の一だという。

酒造りと放射線照射[P.67-68]

日本原子力文化振興財団が出している資料(昭和五十年十二月二十七日付、第五十一号)に
「酒造りに放射線をつかう……短時間でおり下げができる」とうのが出ました(以下抜粋)。
「……これまでのおり下げ剤としてつかわれていたのは、
小麦粉、卵白、種実より精製抽出したグルテン、海藻から抽出したアルギン酸ソーダ(中略)
これを柿渋といっしょに加えてやると酒類中に含まれているにごりのタネを包みこみ、
澄んだ清酒ができます。
しかし、自然のままでは非常に時間がかかるので補助剤として、
けいそう土、活性炭素などを使い、沈降を早めるのが常法です。
ところが市販の清澄剤では二十二時間から長いものでは何日もかかり、
ふつうは四十八時間ぐらいとされていました。
放射線を照射した清澄剤をつかうと、これが八時間から二十四時間に短縮できるばかりでなく、
酒類の品質管理のうえでも大変有効であることが明らかにされています。(後略)」

秤をごまかす中国人[P.109-110]

収容所のそばの酒屋でおもしろかったのは、一斤のパイチュウの値段が、
一両(一斤の一六分の一)の値段の一七倍か一八倍ぐらいだったことだ。
まとめて買うほうが損とは妙だと感心し、一両のパイチュウを一六杯くれと注文してみた。
酒屋の親父はいわれたとおりに一六杯を、一斤入りの空き瓶に入れてみせ、ニヤリと笑った。
二〇杯ぐらい入れぬと一斤にはならぬ仕掛けになっているのである。

「日本の兵隊さんは、中国の貧乏人と同じ。
秤にはごまかしがあるもの、ということを考えない。
日本兵が中国の貧乏人とちがうのは、値切りたがることだが、
値切ったときは、そのぶんは秤でごまかしてやるから結局、もうかる」という話だった。

バクダン[P.110]

昭和二十一年七月、復員した頃の東京は、あのガソリン臭いバクダン
――からだの中がパッと熱くなるからそういった――の時代である。
警察の眼を盗み、ドラム缶に詰めてガソリンに見せかけて運ぶから、
ガソリンの匂いがするのだという説明だったが、真相は知らぬ。

酒役人と酒屋の癒着[P.126-127]

糀屋ですが、ドブロク禁止令の前にはどこの村にも二、三軒あったもので、
私の住む旧幡野村に三軒、隣りの岩崎町に二軒、弁天村に三軒ありました。
ところがだんだん需要が減って(というのは、ドブロク用に糀を買うとすぐにわかってしまうのです。
つまり糀屋では各家あての通帳かよいちょうを発行していたから、
酒役人がそれを見ると一目でドブロクをつくっているなと判断がつくわけです)、
大正初期には早くも業者の自主的統廃合をきめ、
一町村一軒として合同の有限合資会社をつくり、岩崎町の糀屋が社長になりました。
ドブロク禁止令の思わぬ波及でしたね。

酒役人が取締りを強化すれば、それだけ酒屋の酒が売れる道理だから、
酒役人は酒屋とはグルになっていたらしいですな。
酒屋へ造石高を調べに来た酒役人が帰りにたらふく馳走になり、顔を赤らめ、
手土産を持って帰るというのはいわば公然の秘密で、
あるとき、順三さんという酒屋の若勢わかせにそのことを言ったら
(彼は若いとき私の家に山内村から秋若勢に来た人で、
成年になってから杜氏として酒屋に住み込んでいた)、
「当り前だよ、六尺一本落とせば、ビン詰めにして四〇〇〇本の酒が無税になるんだ」
と即座に言ったのを今でもよく憶えていますよ。

それで、取締りがきびしくなればなるほど酒屋が繁盛するということで、
湯沢の酒屋はたいがい大地主になっていきます。
私の家も酒屋の小作人で、これは年貢を曳いていった時に順三さんが話してくれたものです。

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