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書籍と雑誌の要約と解説

統合失調症を治す

栄養療法による驚異的回復

装丁
統合失調症を治す 統合失調症を治す
Orthomolecular Treatment for Schizophrenia
エイブラハム・ホッファー(分子整合医学誌編集長)
大沢博(岩手大学名誉教授)
第三文明社
ISBN4-476-03282-6
2005/10/20
¥1200
統合失調症とは、
知覚障害と思考障害という特徴をもつ病気であり、
症候群です。この症状はやがて衰弱につながっていきます。
原因は生化学的であることが分かっています。
この統合失調症に対して分子整合精神医学は、
急性のケースで九〇%の回復、慢性のケースでも五〇%の回復をなし遂げています。
その治療戦略は、正しい栄養と関連してビタミンBとCの大量投与を用います。
分子整合療法の共同開発者の手によるこの案内書は、
段階的に説明を進めているので、患者と家族にとって、
この治療法の最大限の効果を得られると思います。
目次
  1. ビタミンをめぐる考え方の闘い
    1. 予防としてのビタミン
    2. 治療としてのビタミン
  2. 統合失調症は知覚と思考の障害
    1. 症状は?
    2. 統合失調症の定義は?
    3. 診断は治療に影響するか
  3. 確かな診断と効果的な治療法
    1. 統合失調症を探るための診断テスト
    2. 統合失調症は症候群
    3. 食物アレルギー
    4. 脳アレルギーとビタミン依存症(B3とB6)
    5. 治療としての処方
    6. 診断の仕方
  4. 栄養歴を聞き取る
    1. 脳アレルギー
    2. 脳アレルギー患者の例
  5. ビタミン – 決定的に重要な栄養素
    1. ビタミンB3
    2. 安全性と副作用
    3. 服用量
    4. 治療の期間
    5. ビタミンB6(ピリドキシン)
    6. ビタミンC
    7. 葉酸とビタミンB12
    8. 必須脂肪酸(EFA)
  6. ミネラルの大事な役割
    1. 亜鉛と銅
    2. セレン
    3. マンガン
  7. 薬だけでは治せない
    1. 精神安定剤(トランキライザー)
    2. 精神安定剤と回復
    3. 薬物療法と分子整合療法の協力
    4. 抗うつ剤と分子整合処方
    5. 他の薬物療法と分子整合療法
  8. モデルケース – その治療歴
    1. 薬を服用している患者
    2. 薬物治療を受けていない患者の場合
  9. 成果があがる分子整合療法
    1. 急性患者の場合
  10. 慢性患者の回復の道
    1. 永続的に施設に収容され治療を受ける患者の場合
    2. 分子整合療法の未来
  11. 訳注
  12. 希望をもたせる分子整合精神医学 – 訳者解説にかえて
    1. アドレノクロムについて
    2. 治療方法の探究
    3. 精神医学界の反応
    4. アドレナリンと低血糖症
    5. 患者の親の悪戦苦闘
    6. 上院マクガバン委員会でのレッサー博士の証言
    7. 今村光一氏の卓見
文献
  • J・コノリー『狂気の指標』[P.24]
  • エイブラハム・ホッファー『幻覚物質』[P.42]
  • カール・ファイファー『心と栄養素』[P.66]
  • エイブラハム・ホッファー『ビタミンB3の効果』[P.144]
  • ヒュー・リオールダン『メディカル・マーベリックス – 分子整合栄養医学のパイオニアたちの肖像』[P.147]
  • 加藤伸勝『生化学的精神医学』[P.150]
  • メルビン・ウォーバック『精神疾患への栄養の影響』[P.152]
  • 西村健『臨床精神医学』[P.153]
  • 溝口徹『「私」に還る処方箋』[P.158]
  • 中川八郎『脳の栄養』[P.171]
  • 今村光一『アメリカ上院栄養問題特別委員会レポート』[P.194]
校正
  • アドレノクロムに変わるを難しくします。

内容

性犯罪を起こした牧師の症例[P.27-28]

何年も前のことですが、一人の牧師が精神科の病棟に入院させられました。
大都市の中心街で、少女をつけまわして追いかける、
という不適切な行動をしたために、逮捕されたからでした。
病院に連れてこられた時、その牧師は全くわけが分からないという様子でした。

私が担当し、「その時、何をしていたのですか?」と聞きました。
彼はこう言いました。
「夕暮れ時に下町を歩いていたら、突然天空が大きく光り、そこから神の声が聞こえてきたのです。
おまえは梅毒にかかっている。だからおまえは若い女とセ○○○をしなければならないと」
そこで彼はこの声を神のお告げと解釈し、それに従って少女を追いかけはじめたのでした。

彼が見たり聞いたりしたのは幻視と幻聴でした。
その言葉が神からだと決めたのは、彼の妄想でした。
彼の行動は、この二組の症状の組み合わせの結果だったのです。

この人は、私たちがナイアシンで治療した最初の患者の一人となりました。
彼は回復して、よい状態が続き、その教会の高い地位に就くまでになりました。

アドレノクロム仮説[P.33-39]

原因である要因が統合失調症を起こすのですが、
それぞれのケースに、知覚の変調と思考障害を起こす、
共通の最終的な径路があるにちがいありません。
アドレノクロム反応がその共通最終径路であるというのが、私の仮説なのです。

この仮説は、次の化学反応式で表せます。

(1)ノルアドレナリン+メチル基→アドレナリン
(2)アドレナリン+酸素→アドレノクロム

それより前に、オズモンド氏とスミティーズ氏は、アドレナリンと関係があり、
メスカリンが心理的に及ぼすのと同じ性質をもつ物質が、
統合失調症患者の体内にあるのではないか、という説を発表していました。
メスカリンというのは、幻覚物質の一つです。
この仮説が、精神医学で初めてのトランスメチレーション仮説でした。
トランスメチレーションというのは、メチル基が、ある物質から別の物質へ移る反応のことです。
反応式(1)が、トランスメチレーション反応の一例です。

その後、私たちの研究の中心は、アドレノクロムになりました。
アドレノクロムというのは、アドレナリンの最初の酸化派生物です。
反応式(2)で表しているように、純粋溶液の状態のアドレナリンが空気にさらされると、
酸化反応によって、色がまずピンクに変わり、
その後鮮やかさは失せて、灰色から黒に変わっていきます。

私たちは、統合失調症は酸化還元疾患の一つで、フリーラジカルが過剰にできたり、
反対に抗酸化物質の濃度が低くなりすぎることから起こる、という仮説を立てるようになりました。
したがって治療法は、過酸化反応を減らし、抗酸化物質の濃度を高めればいい、ということになります。

1954年、ロックフェラー財団から、このような見方を追及し、
私たちの研究を拡大するための、6年間に及ぶ豊かな研究資金を得て、
この仮説を中心にした研究が進みました。
アドレノクロムは体内でつくられる幻覚物質であることを示し、私たちの仮説を証明しました。
けれども、この研究は長年にわたって無視されたままでした。
今は、それが体内に存在することだけではなく、正確な測定方法まで知られています。

<中略>

当時私たちは、統合失調症はアドレナリンからアドレノクロムへの変換過程を遅くすることで、
うまく治療できそうだと期待しました。
それはつまり、メチル基受容体であるビタミンB3を大量に用いることで、
メチル基受容体のノルアドレナリンからアドレナリンへの変換を減少させることができる、
ということでした。
アドレナリンの量を減らすことは、アドレノクロムの量を減らすことになります。

そこで私たちは、患者たちに、このビタミンを大量投与することで、
それがメチル基を吸い上げ、アドレナリンが過剰にできなくする、と期待したのでした。
当時私たちは、ペラグラが統合失調症に似た症状を示すこと、
とくにペラグラの初期の段階では、統合失調症と区別できないほど似ているのを知っていました。

<中略>

この仮説はまた、アスコルビン酸など、他の物質にも広げて、考えることができます。
アスコルビン酸は水溶性で、人間の体にとっては、最上級の抗酸化物質です。
アスコルビン酸があるところでは、アドレナリンが酸化してアドレノクロムに変わるのを難しくします。
もしこの反応を体内で起こそうとするならば、大量に用いる必要があることが分かりました。
私が知っているかぎりでは、これが一連の抗酸化合成物のなかでの、最初の使用でした。
そのほか今日ではビタミンE、セレン、コエンザイムQ10、グルタチオンなどがよく知られています。

この1954年当時、私たちが知らなかったことがあります。
それは壊血病の症状が見られるかどうかで、精神病患者の鑑別診断をしていたということです。
二十世紀の初め頃からこの方法は使われていました。
壊血病であれば、統合失調症に似た症候群が現れるとされていました。

統合失調症患者の身体的特徴[P.37]

統合失調症の患者をそうでない人と比べると、
身体的に恵まれていることが多く、高齢の人でさえ若くみえます。
白髪になるのもずっと遅く、痛みに対してもとても我慢強く、
関節炎やがんの発生率は高くなく、バクテリアなどの菌にも抵抗力が強く、感染しにくい。

ビタミンCの治療効果[P.39-41]

乳がんにかかった中年女性患者が、私たちの精神科病棟に入院しました。
乳房を切除する手術を受けることになっていたのですが、
その部分が感染して化膿し、治っていませんでした。
彼女は精神病でもありました。
精神科の診断は統合失調症で、電気けいれいん法(ECT)を翌週から始めることになりました
(この頃はまだ精神安定剤が使われず、ECTがほとんど唯一の治療法とされていました)。

どういう理由だったか、忘れてしまいましたが、
この患者にビタミンCの大量投与を行なうことにしました。
そこで担当医に、ビタミンCの投与期間が終わるまで、
二、三週間ECTを遅らせてもらえないか頼みました。

彼は数日ならばECTを遅らせると同意してくれました。
そこで私は、「昼夜を問わず一時間ごとに、ビタミンC1gを投与すること」を指示しました。
睡眠中はビタミンC投与はしませんが、目が覚めたら、その分も合わせて投与させました。
結局、その週の土曜日の朝から翌週の月曜日の朝まで、45gが与えられました。

担当医がECTを行なうために病室に入ったところ、彼女は精神的に正常になっていました。
そしてECTは受けず、一週間後には退院して家に帰ることができました。
驚いたことに、胸の潰瘍部分には、新しい肉芽組織ができていて、治りはじめていたのでした。

この時以来、できるだけたくさんの患者に、ビタミンC投与を行なっています。

アスピリンアレルギーによるパラノイアの症例[P.47-49]

1970年のことでした。二人の姉妹が、私の診察を受けに来ました。
一人はこの町に住んでいて、もう一人はトロントに在住の人でした。
その人はすでに三年間も病んでいて、その間に三回の精神病院入院を経験していました。
症状としてはパラノイアで、彼女が言うには、夫が自分に毒を飲ませている、
だからとても怖くなって夫から逃げ出し、この地にいる姉のところに来た、というのです。
この女性は明らかに統合失調症でしたが、
私の意見を尊重してくれる病院に入院させることができなかったので、
二人に対して「四日間水以外断食」を勧めてみました。

<中略>

患者は翌日から、朝食をとらないことから、断食を始めました。
一日当たり八杯の水以外は、四日間何も食べないのです。

<中略>

断食を完了し、食べ物をテストしはじめましたが、
どれ一つとして“犯人”ではなく、状態はよくなっていました。

五日目にはもうすっかり回復したので、患者はトロントにいる夫に電話をかけて、
「私です、ごめんなさいね。私がバカだったわ。家に帰っていいかしら?」と話したようでした。
彼女は、食べ物テストを続けている間、ずっと腰に痛みを感じていたので、
鎮痛剤としてアスピリンを飲みました。
すると二、三時間でまた、パラノイアの症状が出てきました。
そうなのです、この女性に統合失調症のような症状を起こさせていたのは、
アスピリンのアレルギーだったのです。
過去二年間にわたって、ずっと腰の痛みを感じていて、
そのたびにアスピリンを飲んでいた、というのでした。
精神病院に入院していた時も、アスピリンを飲んでいたそうです。
私のところで断食する時には、どんな薬でも飲まないようにと指示していたので、
その間だけはアスピリンを飲んでいなかったそうです。

タバコアレルギーによる鬱病の症例[P.49-50]

もう四年間もうつ状態にある中年の男性でした。
彼は数カ月前に精神病院で、統合失調症と診断され治療されていた、といいます。
妻は、彼の異常な行動にがまんできないという理由で、家を出てしまいました。
退院した後、彼は伯母さんに面倒を見てもらっていました。
私はまず、「四日間水以外断食」をやること、タバコと薬はやめることを指示しました。
私はほんとうのところ、この療法によい反応をしない患者を探していたのです!
しかし、彼の症状はきれいに消え、うつ状態を起こす食べ物はみつからなかったのです。
彼は、この断食が完了して一週間後、またタバコを吸い始めました。
するとたちまち、うつの症状が現れたのです。
そこでまたタバコをやめたら、よい状態が続きました。
治療して一カ月後、彼は職場である高校に戻ることができました。
高校の校長でした。
彼に保険金を払ってきた保険会社は、こんなに短期間でこの人が社会復帰できたのはどういうわけか、
私が何をしたのか調査するため、バンクーバーからこのサスカチワンまで調査員を派遣しました。
その時聞いて、皮肉なことと思ったのは、患者の兄がタバコ会社の重役で、
そのため彼のところに無料のタバコをどんどん送ってきていたのでした。

肉アレルギーによる緊張病の症例[P.50-51]

緊張病の若い女性で、緊張のためひどく硬直するので、歩くこともできませんでした。
私は初め、彼女の家で診察したのですが、すぐに病院に連れていくよう救急車を手配しました。
しかし彼女は、私の栄養療法にはよい反応を示しませんでした。
私は、親しくなっていたアラン・コット博士がモスクワに行った時、
慢性統合失調症たちへの断食療法を見てきたというので、
この患者に「ロシア方式を試してみませんか」と尋ねたところ、
やってみたいということになりました。
驚いたことに、始めてからわずか五日目に、彼女は正常になっていました。
おそらく私は食物アレルギーという概念をよく知らなかったためでしょう、
予定どおりの期間が終わるまで断食を続けさせました。
その時には彼女はよい状態だったので、食事をもとに戻しました。
二、三日後にはすぐに、緊張病が再発しました。

<中略>

分かったことは、彼女はどんな肉にもアレルギーを起こすことでした。
肉を食べないでいると正常で、それが続きました。
彼女の状態は、動物性タンパク質に対する、
重いアレルギー反応を例証するものでした。

ナイアシンの副作用[P.55-56]

ナイアシンの型の一つに、ゆっくり解けるものがあります。
紅潮は少ないか、全くないくらいですが、
ごくまれにはこの製品を用いて、重い肝臓障害合併症が起きたことがあります。
しかしその副作用の原因は分かっていません。

<中略>

ナイアシンアミドを過剰にとると、副作用として吐き気と嘔吐が起きます。
これが最適量の判定に役立ちます。
いくらか吐き気が出るまで、服用量を増やし、
その患者にとって効果が最大になる量のところまで減らします。

このほか副作用として、まれではあっても重大なものとして、閉塞性黄疸があります。
これはナイアシンをやめると消えます。

ビタミンB療法[P.58-59]

統合失調症の治療のためにナイアシンを使う場合、
一日量は三gから六g、それを食後に三回に分けて服用させます。
最初は一日三gから始めて、改善が遅ければ、
数カ月かけてだんだんと六gまで増やしていきます。
ナイアシンの服用量は、人によってずいぶん差があります。
一日三〇gを服用させたこともありますが、不快感はありませんでした。
統合失調症のある女の子は、自分で一日六〇gまで増やしていました。
この量を服用するようになって、いつも聞こえていた声がやっと消えたと言いました。
その後は三gの服用で、よい状態を維持するようになりました。

このような大量服用は、医師の指導のもとでなくてはいけません。
ナイアシンアミドの場合ですと、
もっと少ない量で吐き気が起きてしまいますから、大量服用はできません。
結局、一日三gから四・五gというのが、よく使われている量です。
患者が改善してきたら、もっと少ない量で維持できる適量まで減らします。
私の患者のほとんどは、こうやって自分がよい状態を維持できる量を、
自分で見つけだしているように思います。

クリプトピロール[P.60_65-66]

1960年から67年まで、私はカナダのサスカチワンにある精神医学研究所で所長を務めていました。
研究所では患者たちにいろいろな検査をおこなうのですが、私たちはあることに注目しました。
統合失調症の初期の患者たちの尿検査で、ペーパークロマトグラムに藤色のしみがあり、
それがクリプトピロールを含んでいるのを見つけたのです。

*   *   *

今はない脳生化学センター(ニュージャージー州)の所長、
カール・ファイファー博士は、集中的に研究を深め、それをピロールと名付けました。

ピロールはビタミンB6(ピリドキシン)と亜鉛を結びつけて排出させるため、
二重の欠乏を起こすことを発見し、その欠乏がどのような症状を起こすかを説明し、
ピロールがある状態をピロルリアと名付けました。
ファイファー博士は、ピロルリアを統合失調症の三つの変形の一つと考えました。
ほかの二つは、高ヒスタミンと低ヒスタミンです。

この研究は、亜鉛と銅の役割に注意を向けさせることになりました。
この二つのミネラルは体内で、逆の関係があるからでした。
銅を低下させると、亜鉛値が増えてきます。
『心と栄養素』という著書には、統合失調症において亜鉛と銅がはたしている役割が、
詳しく書かれています。

ファイファー博士は、銅をマイナス因子、亜鉛をプラス因子と考えました。
研究所で相当数の患者を検査した結果では、
銅が少なすぎる患者はほとんどなく、それどころか銅過剰でした。
博士は、10%硫化亜鉛と0.5%塩化マンガンの溶液を一日当たり10滴くらい患者に与えることにしました。
私も実際にやってみて分かったのですが、遅発性ジスキネジアの患者にとても効果的でした。
現在では50mgの亜鉛を含む錠剤を一日に一錠、使用しています。

ビタミン欠乏型と必須脂肪酸欠乏型[P.64]

ルーディン氏は亜麻仁油が、統合失調症患者に治療効果があることを見つけました。
彼は二つのタイプのペラグラ(統合失調症症候群の一つ)を説明しています。
それがビタミンB3の欠乏が原因であることは、きわめてよく知られています。
EFAがプロスタグランジンに変わるには、ビタミンB3が不可欠です。

しかし、たとえビタミンB3の量が十分あったとしても、
EFAが不足していたら、プロスタグランジンは欠乏したままです。
ルーディン氏は前者のペラグラを「ビタミン欠乏型」、後者を「EFA欠乏型」と呼んでいます。
このように、統合失調症の治療には、EFAsを含めて、
すべての必須栄養素が正しく取り入れられるよう、考えなければならないのです。

統合失調症セレン欠乏説[P.67-68]

フォスター氏は、いろいろな疾患と土壌のミネラル量との関係について、
大規模な調査を行ってきました。
その調査の結果、セレンが欠乏している穀物を飼料としている地域では、
統合失調症が多いことが分かりました。
相関係数が0.58でしたが、これは自然界ではとても高い関係といえます。
低いセレン値と統合失調症発生率の高さに関係があるという仮説は、
最近のデータでさらに支持されています。

フォスター氏はまた、水銀の値と統合失調症の間には
負の相関があるということも、見いだしました。
セレンは水銀の解毒剤です。セレンが欠乏している食事は、
体内でプロスタグランジンをつくるのを難しくさせます。
抗酸化グルタチオン・ペルオキシダーゼ(セレン酵素)には、セレンが含まれています。
こうした研究成果から、セレンを統合失調症の治療に使うべきだという流れが生まれて、
私は一日当たり200から600マイクログラムのセレンを使っています。

遅発性ジスキネジア[P.69_118]

クニン氏は、マンガンの補給だけで、ほとんどの患者の遅発性ジスキネジアをなくせること、
さらにマンガンをナイアシンと組み合わせて使えば、効果はもっと大きいということを報告しました。
私はクニンの観察の正しいことを確かめたので、初診面接でみる患者が、
すでに遅発性ジスキネジアになっている時には、私はいつも処方にマンガンを加えることにしています。

<中略>

私は、30mgのキレート・マンガンか、カール・ファイファー博士の処方
(10%硫化亜鉛と0.5%塩化マンガンを含む水溶液を、一日に5ないし10滴)を用いています。

*   *   *

ホッファーは、唯一の効果的治療法は分子整合療法であるとして、
まずレシチンの大量投与がこのケースの40%に有効だったと述べている。

分子整合療法で回復した統合失調症の症例[P.83-88]

1927年生まれの男性、マイケルは、1993年6月に、妻と兄に付き添われて来院しました。
体格はかなりの肥満で、身長1.77mに体重113kg、錯乱していて、知恵遅れのようにみえました。
感情的反応は示さず、問いに対する答えは簡単のものでした。
彼の病歴を知るためには、付き添っている家族に聞くしかありませんでした。
来院する前の10年間は、全く仕事についていなかったようです。

27歳のとき結婚しましたが、その直後に最初の精神的な落ち込みのため、
精神科の診察を受け、入院治療を受けました。
46歳の時、また落ち込みました。
59歳で再び入院しましたが、このときは三週間の投薬治療で改善がみられました。
しかし来院する一年前くらいから、目にみえて悪化してきて、
自動車の運転ができないくらい錯乱するようになりました。
ここに至るまで、少なくとも5回の入院と5回の電気けいれん法を、受けたということでした。

この人には明らかに、統合失調症に特有の知覚変調と思考障害が起きていました。
幻聴で声が聞こえていたし、周囲の人々が自分を凝視するように感じられ、
そして強いパラノイアで、他の人々が自分に対して何か企みを持っているように感じ、
電話が盗聴されていると信じて、何度も妻に訴えたそうです。
記憶する能力も集中力も落ち、錯乱していました。
ときどき激しく興奮することはありましたが、躁うつの気分変調ではありませんでした。
薬は一日にクロルプロマジン800mg、リチウム900mg、
それにペルフェナジンも32mgを投与されていました。
これらの薬の副作用を押さえるための薬も服用していました。
これらの薬は非常に多量で、私の45年の精神医療経験からみて、驚くほどの量でした。

マイケルは、統合失調症についての私の診断基準に合っていました。
そこで私は、彼および家族と話し合い、統合失調症は生化学的生涯が原因であることを話し、
正しい栄養素を、彼が当時とっていた薬と組み合わせて使うことで治療されると話しました。
さらに食事についてアドバイスしたのは、
砂糖なしの食事に変えること、毎食後1gのナイアシンと
1gのアスコルビン酸(ビタミンC)をとることでした。
ビタミンCは、大量に服用していた薬が体に与えているストレスを、軽減させるために加えました。
そして、食事から添加物のほとんどを除くこと、
体重を減らすために果物以外の甘いものを除くよう話しました。
彼には食物アレルギーらしい兆候はみられませんでした。

それから1カ月後、彼はややよくなったようでした。
家族はクロルプロマジン(CPZ、米国ではセオラジン)の量を、1日700mgまで減らしました。
その年の末には、体重は約6kg落とすことができ、
CPZは300mg、ペルフェナジンは16mgになっていました。
家族は、目に見える回復に驚き、病気になる前の人格が戻ってきている、と喜びました。

ところが1カ月後、ひどい悪寒、発熱、錯乱、膀胱感染症が起き、ほとんど昏睡状態に陥りました。
急いで入院させたのですが、その病院の担当医は、ビタミンをとることを許可しなかったので、
入院している間にも彼は次第に衰弱していき、レスペリダールが使われはじめました。
退院後、家族はこの新しい薬をやめて、ようやく私の処方を再スタートさせることができました。

その時彼が飲んでいたのは、リチウム600mg、ペルフェナジン16mg、CPZが200mgでした。
1994年3月22日になって、ナイアシンを毎食後2gにまで増やしたところ、彼の気分はよくなりました。
四月末には体重は101.1kgまで減量し、歩くことがずっと多くなりました。
幻聴の声は遠ざかり、パラノイアはなくなりました。
CPZを150mgまで減らし、6月9日にはビタミンE1200IU(国際単位)を加えて、
CPZを100mgまで減らしました。
ところが1カ月後、吐き気が生じたので、再び125mgまで増やしました。
この段階で幻聴は消えたので、葉酸を5mgずつ1日3回投与しました。

1994年10月には、マイケルは正常になりました。
同年12月には、CPZは50mgまで減らしました。
体重は98.4kgになっていました。
この後も改善は続いて、1995年6月には、幻聴の声は消え去り、
記憶も好転、投薬は全く必要なくなりました。
95年9月に、睡眠障害を訴えたので、床につく直前の空っぽの胃にもよいように、
トリプトファンを2g加えました。

1996年の初頭には時々CPZを50mgとっていました。
97年7月にもマイケルは正常でした。
それ以後つい最近会った時にも、マイケルは十分覚醒していて、くつろいだ様子で、
話すにも困難な様子はなく、奥さんにジョークまで言うようになっていました。

分子整合療法で回復したパラノイアの症例[P.105-108]

レナが父親に連れられて、私のところにやって来たのは、1988年の10月のことでした。
二人で私の診療室に入ってきた時の私の第一印象は、発達がひどく遅れているか、
あるいは慢性の悪化した統合失調症患者だろう、ということでした。
彼女は私に何も話すことができませんでした。
そっぽを向いて座ったままで、私に向かい合うのが怖いようでした。

そこで病歴は父親から聞きました。
小学6年生の時、両親はこの子は学習ができない、と言われました。
それ以来、レナは特殊学級に入れられてきました。
私のところに来る1カ月前、椅子で眠り込んでしまって、そのまま一晩過ごしました。
両親が彼女を起こしたところ、レナは「あたしを溺れさせようとする」と親たちを責め、
逃げ出してしまったといいます。
やがて警察官が彼女を見つけ、両親に電話をよこしたので、家に連れ帰ったそうです。
父親は、彼女のその時の様子を、
「皮膚が汚れてしみのようになり、興奮すると手がひどく汗ばみました」と話してくれました。

精神状態を調べてみると、パラノイアであること、
他の人が自分についてみだらなことを言っている、
と思い込んでいること、この二つが分かりました。
私の診断は、レナは子どもの時から学習障害だったということです。
「毎食後ナイアシンアミド1g、ビタミンCも1g、
ピリドキシン250mg、グルコン酸亜鉛50mgを毎日服用させました。
すると6ヵ月後には、レナの肌は普通に戻り、うつでなくなり、
自身がついてきて、人と話しやすくなったようです。
もはやパラノイアではなくなりました。

1988年の7月になって、レナは入院しなければなくなりました。
親がその場にないのに、親の声が聞こえると訴えたからでした。
そこで私は、統合失調症と再診断しました。
まず少量のシオリダジンを与えははじめたところ、何日か後には退院できました。
1990年3月にまた入院しましたが、
それは母親が精神安定剤をやめたらとアドバイスした後にあたります。
最後に入院したのは、その同じ月に7日間だけでした。
退院後も同じビタミン計画に、シオリダジンを1日300mg加えました。
この量はこの精神安定剤の平均投与量です。
親の声の幻聴はなくなりました。

1990年末にはシオリダジンを、1日100mgに減らすことができました。
91年の末までにはレナは回復をみせ、パートタイムで働けるようになりました。
あの幻聴からはずっと解放されています。
翌92年4月には、精神安定剤は75mgに減り、元気で陽気で、
前からの仕事をずっと続け、仕事仲間とうまくやっています。

翌93年1月には、精神安定剤は25mg、それに同じビタミン投与を続けていました。
眠気を訴えることもなく、快活で、人と話し合うことが苦にならない様子でした。
その後も薬の量は減らせましたが、途中で一度、94年の末に50mgに戻すことがありました。
その後、96年の初めにはとうとう25mgまで減らすことができました。

1996年の7月、レナは私に会いに来ました。
とても興奮していました。
どうしたのか聞いてみると、すべての症状が消えていました。
数学のテスト結果を持って来て見せてくれたのですが、
なんと満点の100点でした。
誇らしげに、成績証明書も見せてくれました。
同じクラスの誰よりも上手に本を読めると言いました。
みんなの前で読むことが平気になったと言いました。
また、折り合いが悪かった両親が和解したので、
とても幸せになったし、互いにうちとけて楽しんでいますが、
何年ぶりかのことです、と話していました。

分子整合療法に転向した西洋医学者[P.111-113]

今から10年ほど前(1989年)、米国の南部、ニューオリーンズで、
ハクスレー生物社会研究所の会合があり、
医師のための一日半の研修セッションを担当したことがあります。
休憩時間に、私は一人の精神香医に、
「分子整合療法処方を一年間でも用いたら、
それをやめることはできなくなりますよ」と意見を言いました。
その後6ヵ月たって、その人から長い手紙が届きました。
「ホッファー先生、あなたはこの治療法を一年間続けたら、
やめることはできなくなる、とおっしゃいましたが、
それは間違いでした。私は半年で、そうなりました」

続けてこう書いてありました。
彼は州立のクリニックに勤務していて、1200人の統合失調症患者を診ているそうです。
職務は薬の注射を監督することでしたが、彼はだんだん不満が募り、やる気を失ってきていました。
なぜなら患者たちが回復するのをさっぱりみなかったからです。
そこでもうクリニックを辞めようと考えていたのだそうです。
ところが分子整合療法を始めてから、世界が変わったのでした。
興味がわき、毎朝クリニックに出勤して、今日はどの患者が目に見える回復を遂げているか、
確認するのが楽しみになったというのです。
結局、そのクリニックは辞めて、自分の医院を開きました。
そして分子整合療法のインストラクターにもなって、活躍しています。

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