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書籍と雑誌の要約と解説

アトピーの女王

2002年版を加筆修正して文庫化

装丁
アトピーの女王 アトピーの女王
雨宮処凛(日本ジャーナリスト会議賞作家)
光文社(知恵の森文庫)
ISBN4-334-78545-1
2009/12/20
¥743
解説
巷に溢れるアトピー本には、私が欲しい情報が圧倒的に不足していた。
恋愛のこと、仕事のこと、精神的な問題などなど。
みんなどうしてるか知りたかった。
悩みを語り合いたかった。
そのために、この本を書いたようなものだ。
目次
  1. 呪われたアトピー一家
  2. アトピー患者の春夏秋冬
  3. ミズイボというトラウマ
  4. 憧れのポテトチップス
  5. コラム1 食事療法はガマン大会
  6. ゲテモノ味の漢方薬と母の努力
  7. コラム2 母親の悲劇
  8. 謎のピラミッドパワー訪問販売
  9. あだ名は「ゾンビ」「おばあさん」!?
  10. アトピー仕様のマイホーム
  11. 恐怖!!血まみれのバレーボール
  12. コラム3 アトピーとイジメ
  13. 初恋は一秒で強制終了
  14. 初めてのアトピー友達
  15. アレルギーマーチ
  16. コラム4 紆余曲折の薬、ステロイド
  17. ステロイド内服薬で円形脱毛症
  18. 好きなタイプ・目が悪い人
  19. アトピー患者はゴミ扱い
  20. 職業選択の不自由
  21. 水療法で瀕死状態
  22. まだまだ続くリバウンド地獄
  23. コラム5 アトピーの死亡例
  24. 重症アトピー患者の聖地・土佐清水
  25. ステロイドパニック
  26. 逆ギレアトピー人生
  27. アトピービジネスの怪
  28. コラム6 アトピービジネスの犠牲者たち
  29. 不毛なバトル
  30. コラム7 日本初のアトピービジネス裁判
  31. もしかして「ステロイド皮膚症」?
  32. 初めての優遇
  33. 悪夢のプロトピック・ナイト
  34. 北の「アトピー天国」
  35. 全身包帯ミイラ人間の成果
  36. 私はステロイドジャンキー!?
  37. 無駄無駄無駄無駄
  38. アトピーのコスト
文献
  • 橋本博史『ステロイドを使うといわれたとき』
  • アトピッ子地球の子ネットワーク『やさしくわかるアトピーの治し方』
  • 竹原和彦『アトピービジネス』
  • 竹原和彦『アトピービジネス私論 – 皮膚科医による検証』
  • 竹原和彦『続アトピービジネス私論 – その後の検証』
  • 藤澤重樹『ステロイドはもういらない アトピーの治し方』
  • 菊池新『アトピーはもう難病じゃない』
  • ねもと健『アトピー・ステロイド地獄脱却物語』
  • NHK『アトピー治療最前線』
  • 福冨雅康『アトピーはかいて治そう』
  • 江崎ひろこ『顔つぶれても輝いて』
  • 江崎ひろこ『そっと涙をぬぐってあげる』
  • カナリヤの会『オウムをやめた私たち』
  • 丹羽靭負『アトピーがぐんぐん良くなる本』
  • 丹羽靭負『丹羽博士の正しい「アトピー」の知識』
  • 三花『音楽ばんざい♪アトピーに勝った!』
  • 松居一代『アトピーがくれた生きる力』
  • 三宅健『アレルギーなんかこわくない!』
  • まついなつき『アトピー息子』
  • 大槻彰『家庭でできるアトピー治療』
  • 野村周作『驚異の「アトピー包囲治療」』
  • 小川秀夫『医者が教えないアトピー性皮膚炎の治し方』
  • 小川秀夫『アトピー性皮膚炎の治し方がわかる本2』
  • 上野紘郁『アトピー性皮膚炎・花粉症・アレルギー 我慢できない「痒み」が瞬時に止まる!治る!』
  • 林秀光・川村宗典『アトピーは「還元水」で治せる!』
  • 伊藤仁『アトピーが消える日 – 身体を蝕むステロイドからの脱出』
  • 向中野義雄『アトピー少食完治法』
  • 全国アトピー友の会『アトピーを治したい!決定版』
  • バウハウス『アトピー&アレルギー元気ケアBOOK』
校正
  • 「アトピーを治したければ体内に寄生虫を飼え」などという根拠もない勝手な療法を説く奴もいた。[P.256-257]
  • 処方されたのは薬は三種類。⇒処方されたのは三種類。[P.240]

内容

アトピーの痒さ[P.14]

私の場合は痒さがピークになると全身に鳥肌が立つほどに痒い。
思わず断末魔の叫びをあげてしまいそうなほどだ。
そしてそれは表面ではなく、皮膚の下一ミリくらいが猛烈に痒いのだ。
よって、思い切り爪を立てて掻きむしり、
気がついたら血だらけになっている、ということがよくある。
ちなみに私は痒いところを掻いているときが一番幸せであり、
そのときの私はまがうかたなき「無」の境地だ。

海水療法[P.17]

私たちが幼稚園の頃、家族で海水浴に行って海に入ったら、
そのあと何日間か私たちの肌がキレイになったのだ。
両親はそれに目をつけ、「もしかしたら海水ってアトピーに効くのかも」と、
片道三時間かけて一升瓶数本分の海水をゲット。
私たちにお風呂場でぶっかけてくれたり、水遊びの水に使わせてくれたりした。

母の話によると、海水を使っている間、私たちのアトピーは比較的良かったそうだ。
でも、そんなに時間をかけて何度も何度も海水を取りに行けるものじゃない。
結局不便さのため、この療法は断念。

プールとミズイボ[P.18-21]

あれは、小学三年生の夏のことだった。
体育の授業でプールに入った翌日くらいから、
私の身体にニキビのようなものができるようになった。

それは痛痒く、いつまで経っても治らないどころかどんどん全身に広がっていく。
恐れをなしていつもの皮膚科に行ったところ、「ミズイボ」と診断された。
ミズイボとは、軟属腫ウイルスによる感染のことで、
最初は光沢のあるプチッとしたニキビのようなものができて、
それがだんだん全身に増えていくのだ。
医者はただ「プールや温泉で感染することがある」とだけいった。

ミズイボの治療は非常に原始的だ。
全裸にされて身体中のミズイボを肉眼で探しあて、
ミズイボがあったらそれをひとつひとつピンセットで肉ごとちぎり取っていくのである。
もちろん麻酔なんてない。
今はシールで貼るタイプの局所麻酔があるらしいが、当時そんなものはなかった。
しかもミズイボは身体中に何十個とあるのだ。
ときどきミズイボと間違えて、全然違うところの肉をちぎられそうになったりする。

私は看護師に押さえ付けられ、泣きながら肉をむしられた。
潮風に吹かれるとアトピーが良くなる私の従兄弟もミズイボで苦労しているのだが、
彼のミズイボは乳首周辺に集中しているため、乳首までちぎられそうになったそうだ。

しかし、いくらそんな拷問のような治療をしても、またプールに入ると感染してしまう。
そしてそのたびに、皮膚科に行ってピンセットで肉をちぎられるという憂き目に遭った。

他の人はいくらプールに入っても平気なのに、なんで私だけこんな目に? 
さすがにおかしいと思ったものの、生まれつきアトピーになるほど運が悪いので、
これもまた運が悪いからだと思うことにした。
ところがつい最近になって、
それがステロイドの非常にポピュラーな副作用と言われていることを知った。

<中略>

ちなみに最近沖縄に行って、約五分間、足だけ海水に浸かったら、
次の日から全身にミズイボらしきできものが広がった。
やってられない。

玄米菜食[P.22]

海水療法を断念したあと、次に「玄米菜食」をはじめた。

母親がどこからか「アトピーには玄米菜食がいい」と聞いてきたのだ。
これは一年以上続けたと思う。
だが、子供にとって玄米はマズく、
修行僧のような食生活に家族のストレスはたまるばかりだった。
また玄米だけならまだしも「菜食」なんて作る母親は大変である。
そのうえアトピーにちっとも効いてる感じがしないので、
玄米菜食はいつからか食卓からフェードアウトしていった。

漢方薬[P.31-32]

玄米菜食をやめたあと、医学的見地からすると少しはマトモといえるような療法にありついた。
アトピーなら誰もが通る通過儀礼・漢方薬だ。

弟が風邪をひいて小児科に行った際、母が小児科の医者にアトピーについて相談したところ、
医者が「アトピーに効く」といって処方してくれたものだった。
母はそれはそれは張り切って私の分まで購入。
その日から私たち姉弟は、大量の死ぬほどマズい漢方薬を毎食後飲まされた。

あのマズさをどう表現すればいいのだろう。
一言でいえば「ゴキブリ味」だ。
口に入れた瞬間、ゲテモノの味が口いっぱいに広がる。
しかも一回に飲む量が口の中から溢れるほどの多さである。

「幼児虐待」……。
マズさに涙ぐみながら、そんな言葉が脳裏をかすめるほどだった。

途中からどうしても飲めなくなり、市販のカプセルに詰めて飲むことになった。
それでも一日に飲む分量は三〇~四〇カプセル。
毎食後、私たちは家族総出で漢方薬をチビチビと小さなカプセルに詰める作業をした。
その姿は子供心にも圧倒的な貧乏臭さで、
私はアトピーという病気に心底嫌気がさしたのを覚えている。
しかし、医者の勧めた漢方薬。
母は「これでアトピーが治る」と信じている。
飲みたくなかったけれど、
いろいろやってくれている母のために「早く治さなくては」と思って飲んだ。
結局一年くらい飲み続けたが何の効果もなく、漢方薬もまた我が家から消えていった。

治らないことへの罪悪感[P.33-34]

自分のためにいろいろやってくれているお母さんのためにも早くアトピーを治さなきゃ。
子供の頃の私は、非常に素直にそう思っていた。
と同時に、何をやっても良くならない自分に対し、
どうにもならない後ろめたさを感じてもいた。

どうしてここまでやってくれてるのに良くならないんだろう?

「やっぱりダメだったね」

何かの療法を試して、
ちっとも良くならない私の姿を見て母が残念そうな顔をするとき、
この世から消えてしまいたいくらいの罪悪感を感じた。

お金だってバカにならない。

私たち姉妹は週に一度かニ週間に一度、
母から千円札をもらって皮膚科に行く。
ある日、もらったお金が診察費に足りないことがあった。
私は弟を病院に置いて、一人で走って家までお金を取りに行った。

「お母さん、病院代、あれじゃ足りなかったよ」

そういうと、母親は溜め息まじりにまた千円札を数枚、渡してくれた。
私はそれを持って病院に行き、お金を払った。

私が小さい頃、うちはあまり裕福ではなかった。
それを子供心に感じていたし、
それは私たちがアトピーだからではないかと本気で思っていた。
そうでなくとも、自分たちのアトピーが相当金銭的な負担をかけていることは子供心にわかっていた。
私たちが一度皮膚科に行けば、三〇〇〇円以上はかかり、それは子供にとっては大金だ。
皮膚科に通い続けなくてはならない自分に対し、またしても罪悪感は募るばかりだった。
だから母親が新しい民間慮法的なものを仕入れてくるたびに、私は一生懸命付き合った。
それがせめてもの罪滅ぼしだと思っていた。
アトピーを治したいというよりも、母親のために試していたといったほうが正しい。

母親はいつもアトピーの情報を集めていた。
そして何か良さそうなことがあればすぐに実行した。
何かせずにはいられないみたいだった。
母親もまた、私たちをアトピーに産んだことに罪悪感を感じていたのだ。
私が痛がったり痒がったりして泣くと、母親は「ごめんね」といってよく泣いた。

私たちは怒りをぶつける場所もなく、お互い罪悪感ばかり感じていた。

ピラミッドパワー宗派による誘拐事件[P.41-42]

私が小学校三年生のとき、小学校一年生だった弟がその手の人に引っかかった。
オカルト団体だった。

「ぼくアトピーなの? 大変だねー」

見知らぬ男はそういって、一人で道を歩いていた弟に近付いてきた。
そして弟はよくわからないままに「お兄さんがアトピーを治してあげる」といわれ、
男に手をひかれて道場のようなところへ連れ込まれたそうだ。
これはほとんど誘拐だ。
っていうか、普通小学一年生をオカルト団体に勧誘するか? 
またいくら子供だからって、
そんな怪しさ一〇〇パーセントの大人にどうしてついて行ったのか、我が弟よ。

その後弟はどうなったかというと、
その怪しい男に腐ったジャムと腐ってないジャムを見せられ、
「ピラミッドパワー」について延々と講釈を聞かされたうえ、
ピラミッドパワーでアトピーが治る、と力説されたそうだ。
小学一年生相手にピラミッドパワーについて熱弁をふるう大人、
とはなんともシュールな光景だが、
弟は無理矢理連絡先を書かされたのち、無事解放されている。

案の定、次の日からピラミッドパワーは連日我が家に通ってくるようになった。
「ピラミッドパワーでアトピーが治る」ということを得意気に主張しながら。

さすがに、いくらアトピーについての情報を集めまくっている母もこの男だけは「ヤバい」と判断、
おかげでピライッドパワーで治そう、なんてことにならなかったから良かったものの、
両親の心労は相当のものだっただろう。

アトピーいじめ[P.45-48]

アトピーをめぐる状況は深刻ではなかったものの、
アトピーをめぐるイジメの問題は、それはそれは深刻だった。
要はとてもイジメられていたのである。

だいたい私はビジュアル的にマズかった。
両手に包帯をぐるぐる巻いたうえ、顔からはいつも粉をふき、
ウツロな目で常にどこかをボリボリ掻いている、というちょっとアレな子供だったのだ。
包帯や掻く、という行為は仕方ないことだが、
これだとキャラが限定されてしまうばかりか、私だってあまり友達になりたくない。
クラスメイトたちにとって、そんな私の姿はきっと「異民族」に映っていたのだろう。
そのうえ子供は正直で残酷な動物だ。
大人だったら気を使っていわないような
「汚い」「病気がうつる」「バイキン」「近くに寄るな」「死ね」
「ゾンビ」「おばあさん」などといった罵詈雑言ばりぞうごんを容赦なく浴びせてくれた。

<中略>

殴る、蹴る、パシリにされるなどは日常茶飯事で、
遠足に行けば、わざわざ持参したケシゴムのカスを頭からかけられ、
冬になれば雪の中に埋められた。
そのうち金品などもとられるようになり、
イジメはだんだんエスカレートしていった。
そして私はさらに卑屈になり、そのストレスからかアソピーはひどくなり、
イジメはもっとひどくなるという悪循環にハマっていった。

小学六年生の頃だと思う。

ある日、放課後にクラスの女の子たちと学校に残っていた。
みんなで喋っていると、誰からともなく私のアトピーを「確かめよう」ということになった。
私は数人の女の子に身体を押さえられ、着ていたトレーナーを脱がされはじめた。
大きな声で叫んで抵抗しても、みんなゲラゲラ笑いながら私の服を脱がせた。
その場には同じクラスの男の子もいて、
怖いもの見たさなのかニヤニヤしながら黙って見ていた。
あっという間に私は無理矢理上半身裸にされた。

「たいしたことないじゃん」

慰めか単なる感想かわからないけれど、女の子たちはそういった。

顔から火が出るほど恥ずかしくて涙が出そうになったけど、
私は慌てて服を着て、涙をこらえてただ曖昧に笑った。
笑わないと気が狂いそうだった。
一度でも自分の感情を出してしまうと、もう自分がとめられない気がした。
ずっとずっと我慢していた。
全然治らないアトピーへの怒り。イジメへの怒り。
なんで自分だけがこんな目に遭わなきゃいけないのかという怒り。
そういうものを、とにかく封印していたかった。
自分の感情を抑え続けなきゃ、
全部が爆発してもう取りかえしのつかないことになるような気がした。

それ以来、私はアトピーという言葉も自分の中で封印した。
自分がアトピーであることを、自分でも絶対に認めないようになった。

イジメのことは、家族には絶対にいわなかった。
いってしまったら、自分がもっと惨めになるような気がした。

いわない代わりに、私は勉強部屋で一人、アトピーの患部を無理矢理掻きむしった。
骨が出るんじゃないかというほど掻きむしった。
そのときだけが何も考えずにいられた。

シックハウスアトピー[P.50-51]

マイホームを新築したのは、私が中学生になる前だった。

その家にはカーテンは一枚もなく、すべての窓にはブラインドがつけられていた。
また布のソファは革のソファにかわり、床はほとんどフローリング、
そして家中の換気が良くなるようにと、すべての部屋のドアの上には窓が作られていた。
究極のアトピー仕様の家である。
私はまた申し訳ないような気持ちになりながらも、新築の家が嬉しかった。

ここまでやれば治ると思うのが人情だ。
しかし、敵はそこまで甘くなかった。
新築の家に入った途端、家族の努力を嘲笑うかのように私と弟のアトピーは悪化。
そのうえ疫病神からの新築祝いかのように、
家族全員がアレルギー性鼻炎を発症してしまったのだ。

最近ようやく話題になってきたホルムアルデヒドなどの化学物質や
気密性の高すぎる新築住宅というアレであろう。

ビジュアル系バンドの追っかけには問題児が多い[P.71]

ビジュアル系バンドの追っかけの子には、アトピーの子も多かった。
私は初めてアトピーの友達ができた。
当時のビジュアル系バンドの追っかけには、
家にも学校にも居場所がなく、何かと問題を抱えた子たちが多かった。
例えば家庭環境が複雑、イジメられっ子、人間関係が下手、
内向的、デブ、ウツ気味、そしてアトピーなどなど。

ストレス発散でアトピー解消[P.72]

初めてできたアトピーの友達と、学校やクラスメイトをバカにした。
アトピーの話なんか一度もしなかったけれど、お互いの苛立ちは手に取るようにわかった。
家では勉強のことしかいわれず、学校ではイジメられることしかできなかった私は、
そうやって初めて自分の居場所を見つけた。

それと同時に、私のアトピーは今までで一番いい状態になったのである。
これまでどれほどのストレスでアトピーを悪化させていたのだろう。

五秒診療[P.75-76]

弟のアトピーはどんどん悪化していった。
そしてついには学校にも行けない状態となってしまった。
驚いた母は、弟に付き添った病院に行った。

「いつもの薬じゃ全然効かないんです」

必死に訴える母に、
医者はいつも通りの五秒診療というスタンスを決して崩すことはなかった。

「アトピーにはこの薬しかないですから。ハイ次の方」

アトピーの原因は性格だと言い放つ総合病院の有名皮膚科医[P.76-78]

初めて行った総合病院の皮膚科の医者は、
看護師の話によるととても立派で有名な医者らしく、
親子の期待はいやがうえにも高まった。

何時間待ったのかはわからない。
弟の名が呼ばれ、親子は診察室に入っていった。

弟は顔の症状もひどく、喋ることも大変なため、
弟に代わって母が今までの顛末を話し出した。

「生後三~四ヶ月でアトピーと診断されまして、ずっと近所の皮膚科に通っていたのですが、
突然ひどくなってしまって、そこで出される薬も全然効かなくなってきたんです……。
今その病院に行ってきたんですけど、また同じ薬を出すだけで全然診てくれなくて……」

母がひとしきり話すと、医者はゆっくりと口を開き、威圧的な口調でいい放った。

「お母さんは黙っていてください。
話を聞いてだいたいのことはわかりましたが、
ようすを見ているとこの子はここに入ってきてから自分で喋ろうともしない。
自分で一言も喋らないで全部お母さんに任せっきりじゃないですか。
こういう性格だからアトピーが治らないんです。
こういう性格だからこういう症状が出るんです。
アトピーを治したかったら、まずその性格を直してください。
この性格を直さない限りアトピーなんて治りません」

<中略>

真っ白になった頭で、母はようやく一言発した。

「あの……どこにそんな証拠があるんですか?」

医者の答えは「証拠なんてない。だけど性格なんだ」の一点張りだった。
いや、証拠とまではいわなくても、一応こっちは西洋医学の治療を受けに来てるんだけど。
科学的根拠はこれ如何に?

そして医者は、ワケのわからない説教をベラベラと喋り出した。
母は、この説教さえ聞いていれば薬を出してもらえると判断し、黙って聞いていたという。
話の内容は母親が過保護だの子供の自立だとか、そういう良くあるモノだったらしい。

説教が終わった頃、母は念のため確認した。

「あの、でもいくら性格とかいっても薬は出してもらえるんですよね?」

するとその医者は、「いや、性格だから薬は出せない」といい放ったのである!!

ステロイド内服薬体験談[P.87-90]

九三年三月、美大の予備校に入るため、私は上京した。
上京して最初にしたことは、行きつけの皮膚科を探すことだった。
アトピー患者は引っ越しするとまず病院探しをしなくてはならないのだ。

ちょうどいいことに、近所に皮膚科の個人病院があった。
早速そこに行き、「アトピーなんですが」と受診した。

医者は「じゃあこの薬を飲んでください」と、白い錠剤を出してくれた。

アトピーで皮膚科を受診して飲み薬など出されたことのない私は驚いたが、家に帰って薬を飲んだ。
塗り薬も出ていたが、それは今までのステロイドと違い、
なんだかサラサラしたクリームみたいもので全然効き目がなさそうだったので塗らなかった。

そして次の朝、鏡の中にはばっちりアトピーが治っている私がいた。
とにかく全部があまりにもばっちりなのである。
私は感動した。
薬を塗らなくてもここまでキレイになるものなのか……。
北海道から上京したばかりの私にとって、
アトピー治療に飲み薬など都会の香りが漂うものであった。

「さすが東京だ……」

鏡を見ながら私は一人、感嘆の声をあげた。

それからもいわれた通り一日に三度薬を飲み、なくなると皮膚科に行った。
塗り薬も出ていたけれど、ほとんど使うことはなかった。
薬さえ飲んでいればアトピーは全然出なかったのである。

ある日、いつものように皮膚科に行くと医者にいわれた。

「この薬はいいですか?」

私はいつもその効き目に感動していたので目を輝かせながら「はい」と深く頷いた。

すると医者は、「でもひとつだけ副作用があるんです」といった。

「なんですか?」

「この薬は飲むと食欲旺盛になるんです。
この薬を飲んでいると太る人が多いんですよ。
でもあなた痩せてるからちょうどいいですね」

医者はニコニコしながらそういった。
その頃の私は今と違ってとても痩せていた。
はぁ、と返事をしながら、飲むと食欲旺盛になって太るなんて、
健康的な薬もあったものだな、と私は感心していた。

しかし、今考えると、あれはステロイドの内服薬だったのではないかと思う。
あの凄まじい効き方といい、食欲旺盛になるという副作用といい、
それ以外に考えられないのだ。

また、当時の私はなぜかいつも顔がパンパンに腫れていた。
急にまんまるの顔になっていたのだ。
ステロイド内服薬の副作用、ムーンフェイスが顕著に出ていたのである。
当時の写真を見ても、身体と比べて顔だけが異常な腫れ方なのだ。

<中略>

ステロイドの内服薬は、よほど重症のアトピー患者に短期で出すものだ。
しかも当時、私のアトピーはかなりいい状態だった。
それをあの医者は、一年近く、別に重症でもなんでもない私に出していたのだ。
しかも副作用のことなんて「食欲旺盛になる」としかいわずに。
どうしてくれよう……。

ちなみに顔のむくみ以外にも副作用は出ていた。
突然重症のヘルペスになって夜中に救急車で運ばれる羽目になったり、
頭に五百円玉くらいのハゲができるという円形脱毛症にもなったのだ。

アトピー患者に怒鳴り散らす皮膚科開業医[P.103-105]

その病院の医者の第一印象は最悪だった。
「アトピーなんですが」という私をその医者はジロリと睨むと、
酔っぱらいがクダを巻くような口調で薬の処方を看護師にいいつけた。
年老いた、カエルを引き潰したような顔した医者で、性格もものすごく悪そうだった。

そして、私にはステロイドの塗り薬とたくさんの錠剤が処方された。

窓口で薬をもらい会計するとき、あまりの飲み薬の量の多さに「なんの薬ですか?」と聞いた。
すると診察室にいた医者がダダダッと窓口まで走ってきて、
「ビタミン剤と痒み止めだっ!」とツバをまき散らしながら怒鳴った。

なぜ怒られたのかまったくわからないまま私は呆然としていた。
が、あとになって、皮膚科医には「何の薬ですか」と聞いただけで
猛烈に怒りまくる人が多いということを知った。
長引くステロイドバッシングによってすっかり悪者にされた皮膚科医は、
とことん疑心暗鬼になり、ちょっとしたことにも過剰反応してしまうようになったらしい。
が、そんなこと私には関係ない。
まったく怒鳴られる筋合いはないのだ、と気付いた頃にはすでに数年が経っていた。

どうして医者を替えないんだと思われるかもしれないが、
私は皮膚科医に怒鳴られるのには慣れているのだ。
小さい頃から怒られてばかりいたから、そういうもんだと思っていた。
それに、どんなに怒鳴られたって私は薬がなきゃ生きていけない。
いわば弱みを握られているようなものである。
私はその医者にいわれた通りビタミン剤と痒み止めを飲み、
そして処方されたステロイドを塗った。

ところが、ステロイドが合わないのか、
全然良くならないどころか肌がかぶれたようになってしまった。
慌てて例のカエルのような医者の皮膚科に駆け込んだ。

「なんかこの塗り薬効かないみたいなんですけど……」

すると医者は、
「なにっ! 一番強いステロイド出してるのに効かないとは何事だ!」
と猛然と怒り狂ったのだ。

そしてステロイドのランクが書いてある表を出し、
私に見せた後、さらに怒鳴った。

「いいか、この中で一番強い薬を使ってるんだ! 
これ以上強い薬なんてこの世にないんだ! 
それで効かないんだったらもう終わりだ! 
それにこんな強い薬使ってるとおかしくなるんだからな!」

「………」

いや、でも私、その薬出されてるんでしょ? 
なんだかいってることが矛盾してる気が……。

しかし、医者は自らの論理矛盾に気付くようすもなく怒鳴りまくるだけだった。
結局その日も、「こんな強いのを使っているとおかしくなる」
というその薬が処方され、以後、ずっとその薬が処方された。
あの、おかしくならないんでしょうか、私?

しかもこの医者は、私が病院に行くたびにものすごい勢いで怒るのだ。

「なんでちっとも良くならないんだ! 
どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!」

「………」

別に放っておいたわけじゃなく、普段からその状態なのだ。

雨宮処凛の弟のリバウンド[P.125-127]

水療法をはじめてニ~三ヶ月後、弟のアトピーは爆発的に悪化した。
いわゆるリバウンドである。
ステロイド断ち体験談によくある「全身ズルズル」「リンパ液ダラダラ」
「身体中から粉がボロボロ」「痒くて一睡もできない」
「今までアトピーが出ていなかったところまで劇的に発症」
というものすごい状態になってしまったのだ。

<中略>

この年の年末、私はお盆以来初めて実家に帰り、ことの重大さをようやく認識した。

「どうしたの!!」

目の前には変わり果てた姿の弟がいた。
とにかく、アトピーが爆発的に全身を覆っているのだ。
リバウンドというには凄まじすぎた。
とにかく痛そうで痒そうで辛そうで、一瞬たりともじっとしていられないようすだ。
弟はこの数ヶ月間、ほとんど眠っていないという。母と父は困り果て、そして疲れ果てていた。

アトピー天国土佐清水[P.147-149]

土佐清水に行った弟はニ週間ほどの滞在ののちに、別人のようにアトピーが良くなった。
もう本当に、見違えるほど良くなったのである。
これには心底驚いた。
土佐清水病院についてはいろいろと批判もあるが、うちの弟にとってはまさに「命の恩人」だった。

土佐清水の治療法は、軟膏をいくつも重ね塗りして包帯をぐるぐる巻きにする
軟膏重曹なんこうじゅうそう療法」というものらしい。
軟膏にはステロイドも含まれているが、
「副作用が出ないように濃度を薄めている」
との説明があったことが親子を納得させたそうだ。
っていうかこの頃はもうそんなこといってられる状態じゃなかった。
副作用のない濃度のステロイドとはどのようなものかわからないが、
今までの皮膚科はただチューブ入りの最強ステロイドを出すだけだったのだ。
そんな状態と比べれば、土佐清水の治療は健康食品のようなものもあるし、
軟膏の種類も充実しているしで納得できたという。

とにかく母と弟は、
そういうステロイドのみの医者が怖くてステロイド断ちをする羽目になってしまったのであり、
どんなにひどくなっても普通の皮膚科にだけは行けない、と思いつめていたのである。

土佐清水病院は、各自が民宿に泊まり、そこでアトピー仕様の食事を摂り、
毎日迎えのバスに乗ってみんなで病院に通うというスタイルをとっているらしい。
病院には、連日全国各地から重症のアトピー患者たちがほとんど瀕死の状態で大挙して押し寄せた。
弟と母は、その数の多さ、そして重症度に本当に驚いたという。
訪れる患者はまさに老若男女を問わず、子供から大人まで本当にたくさんの人たちがいた。
北海道の病院で四ヶ月待ち、青森の病院で一年待ちという言葉の意味を親子は改めて理解した。
アトピーで苦しんでいる人は本当にたくさんいるのだ。
そしてみんな、いろいろな治療法を試し、何度も挫折した末にここに訪れていたのだ。
苦しんでいたのは自分たちだけではない。
弟と母はそのことに初めて気付き、おおいに救われたのだった。

土佐清水に行って、母と弟はみるみるうちに性格まで明るくなっていった。
母からは毎日のように民宿から電話が来たのだが、
アトピーの子供を持つ母同士、いろいろな話ができるのが嬉しいらしく、いつもテンションが高かった。
弟のほうも、同世代のアトピーの人たちと苦しみをわかちあい、
みんなも自分もみるみるうちに良くなっていくのを実感し、とても楽しそうだった。
民宿の食事も、医者の指示で肉、乳製品、背の青い魚などは一切使わないものだが、
すごくおいしかったという。
そのうえ土佐清水には全国から押し寄せるアトピー患者用のメニューがある喫茶店なんかもあるらしい。
土佐清水、まさに「アトピー天国」そのものだ。

そして二週間後、すっかり良くなった弟は、
この一〇ヶ月ほとんど外に出られなかった日々を取り戻すように、
何日間か国内をブラブラして北海道に戻った。
そしてもう一度、大学三年生をやり直した。

土佐清水病院は自由診療で保険がきかないので、ニ週間ほどで五〇万円以上の治療費がかかった。
また、帰ってからも薬を送ってもらうのだが、その費用は弟の場合、月に一万円くらいらしい。

諦念と憎悪[P.152-155]

ステロイドはまがうかたなき私の敵だった。
ステロイドを憎むことによって、私は初めて怒りの矛先を見つけた。
私はずっと明確な理由もわからずに苦しめられていた。
ステロイド悪玉論は、初めて私にもたらされた明確な憎しみへの解答だった。
そしてステロイドへの憎しみは、いつしかステロイドを処方した皮膚科医への憎しみに変わっていった。

とにかく腹が立った。
私にひどいことをいい続け、絶望させ、傷つけまくってきたうえに
「悪魔の薬」まで処方し続けた皮膚科医が憎くて仕方なかった。

<中略>

皮膚科への火炎瓶ゲリラ攻撃も考えた。
が、考えただけで何もしなかった。
そして私は自分の人生に起こったすべての悪いことを、全部アトピーのせいにした。

私がアトピーじゃなかったら……。
毎日それとばかり考えるようになり、アトピー以外の人間全員を恨むようになった。
ずっと我慢してきた。ずっと裏切られてきた。
心の中は、いつも不信感と不満でいっぱいだった。
もうアトピーが憎いのかステロイドが憎いのか皮膚科医が憎いのか全然わからなかった。
そして人に対して積極的になれなかったりすると、「どうせ私はアトピーなんだから」とひねくれた。
「アトピー」を理由にして、何ヶ月も働かずに家にひきこもっているだけの日々を過ごした。
そんなふうにしていると、まずます怒りが込み上げてきた。
ステロイドが怖くて塗ったり塗らなかったりしているとアトピーはどんどん悪化して、
人形も作れなくなってしまった。
私は人形作家になることを諦め、人形作りもすっぱりとやめてしまった。
何もかもどうでも良かった。
今までのすべての努力は無駄なんだし、
これから先アトピーの私には絶望的な人生しかないのだ、と諦めた。
自分が生きたって死んだってそれさえもどうでもいい。
そう思って無理矢理ニヒルに構えていないと気が狂いそうだった。
『にっぽん零年』という映画で、広島で被爆し、それが理由で差別され、
夫と離婚させられた女の人が戦争反対の学生活動家に文句をいうシーンがある。
女性は広島とは無関係な活動家たちの欺瞞的な集会がムカつくのだ。
学生運動家はその女性に
「それでも声をあげなければ再び原爆が落ちてしまうではないか!」
と反論する。すると女性は叫ぶのだ。
「もう一度原爆が落ちればいい! みんな被爆者になればいいんだ!!」。
そうすればその女性が差別されることはない。

私もそう思った。みんなアトピーになればいいのに。
しかもみんな私より重症なのだ。
そうすれば、胸をはって歩ける気がする。

ステロイド皮膚症[P.205-206]

それまで小康状態を保っていた私のアトピーが突然悪化したのは、二〇〇〇年後半の頃だった。
いくらステロイドを塗ってもちっとも良くならず、
顔から首にかけて、そして手や肘、膝の裏がみるみるうちにボロボロになってしまったのだ。

顔はまるでクレーターのようになり、とにかく何もしなくても身体全体が熱を持ち、
暖房などの空気がほんの少しあたっただけでも飛び上がるほどに痛い。
人がすれ違うときにおこる微かな空気の動きでさえ痛く、
思わず私の近くを通った人を殴り殺してしまいそうなほどだ。

もちろん水なんかに触れるともと痛い。
なので、私は泣きながらシャワーを浴びたり髪を洗ったりした。
炊事、洗濯もとてもできる状態ではないので一緒に住んでいた彼氏に全部やらせた。
首の皮膚は、何かを飲み込むために喉が少し動いただけで激痛が走り、
鏡で見てみれば血がダラダラと流れていた。
ムチウチのように横を向くこともできず、
顔も痛いので笑ったり怒ったりもできなくなった。
こうなると食事だって大変だ。
私はガビガビな肌のうえに無表情、
という暗い夜道で絶対に遭遇したくないタイプの人間になってしまったのである。
思わずお化け屋敷への就職を考えたほどだ。

そんな状態は、二〇歳を超えてからは一度もなかった。
しかも荒れ方が、今までのアトピーの悪化の仕方とは全然違った。
ステロイドを塗れば塗るほどかぶれたように炎症はひどくなるばかりで、
精神的にもどんどん追い詰められていった。
家で仕事をしていたからまだ良かったものの、
これが会社員なんかだったら絶対にやめていただろう。
それくらい、外に出られない顔だったのだ。

プロトピック[P.217-222]

その晩、私とプロトピックとの一騎討ち対決のときは訪れた。

小さなチューブに入った半透明の塗り薬を指先に載せる。
感触はステロイドみたいで、まったく痛みはない。
あ、全然平気かも。
そう思い、とりあえず顔の右半分にたくさん塗ってみた。
彼氏は固唾を呑んでそのようすを見つめている。
塗り終えたあと、「痛くなるのは三〇分~ニ時間後」
という薬剤師の言葉を思い出した。

しまった……。私は激しく後悔した。

「どうしよう……。間違ってたくさん塗っちゃった……。
痛くなるのは後からだった……」

「落としたほうがいいんじゃない?」

彼氏はそういったが、わざわざ塗ったプロトピックを洗って落とすのはもったいない。
私は貧乏性なのだ。覚悟を決めた。
ここは最初から賭けに出てみよう!!

そして就寝。酔っぱらっていたのですぐに寝た。
しかしきっちり二時間後、猛烈な痛みと痒さで眠りから強制的にひき戻された私がいた。

「痛ーッ!!」

近所中に響き渡るほどの声で叫ぶと、彼氏も飛び起きた。

「どうしたの??」

「痛いのっ!!」

とにかく痛い。そして経験したことのない変な痒さが襲ってくる。
顔の皮膚をそのままもぎ取りたいくらいに痒くて、
血が出そうなほど掻きむしると今度は突き刺すような痛みとほてりが襲ってくる。
とにかく熱い、顔右半分が燃えるように熱いのだ!!
しかも内側から!! 爆発しそう!!

「熱いーっ!! 助けてーっ!!」

のたうちまわる私を前に、彼氏はひたすらオロオロしていた。
なんたって別に火傷とか傷とかじゃなく、もとから痛くなるとわかっている薬である。
手の施しようがないのだ。
そこで私は薬剤師の言葉を思い出した。
「寝るときは布団の周りにアイスノンとかたくさん置いて寝てください」
といっていたのだ。

「アイスノン持ってきてぇーっ!!」

私は叫んだ。彼氏は慌てて冷蔵庫に走り、氷をたくさん持ってきた。
うちにはアイスノンなんてない。

氷を火照る顔にあてた。痛い。
しかも氷が溶けて水になるとそれが肌に染みてもっと痛い。
だけど、氷をあててないととてもじゃないけどじっとしていられない。
私は一人、布団の上でのたうちまわっていた。

「どうして私だけがこんな目に?」

結局それから二時間くらい苦しみ、
そのあと、痛みが少しひいたのか、それとも痛みに慣れたのか、
私はなんとか眠りにつくことができた。

次の朝起きると、顔はまだヒリヒリしていた。
鏡を見ると、顔にあったクレーターのようなデコボコが、
随分目立たなくなっていた。
心なしか、赤みも大分ひいているような気がした。
これは効いている……。
あまりの効き目に少し怖くなったけど、嬉しくなって、お風呂に入った。

「ギャーッ!!」

シャワーのお湯を浴びた途端、私は前夜よりももっともっとデカい声で叫んだ。

とにかく痛い。
お湯に触れるとプロトピックを塗った顔面右半分が昨日の夜よりももっともっと痛いのだ。
シャワーの水が数千本の針になって突き刺さってくるような痛み。
そういえばプロトピックの説明書には
「刺激感は入浴時に増強することがあります」とも書いてあった。

確かに「刺激感」は思いきり「増強」されていた。
単なるお湯が、凶器のように私に襲いかかってくる。
私は顔を洗うことを断念。
絶対に顔にお湯がかからないように長時間かけて入浴した。
が、湯気が顔にかかるだけでそこはヒリヒリと痛かった。
歯を食いしばりながら、私のプロトピック以降初めての入浴は終わった。

それから三日間、痛みに耐え、痒さに耐え、そして眠れないことに耐え、
顔を洗えないことに耐えながらプロトピックを使った。
私も彼氏も毎日睡眠不足でヘロヘロだった。
なにしろ寝てきっちり二時間後に起こされ、
それからきっちり二時間は眠れないのだ。
レム睡眠とかノンレム睡眠とかそういうこととはまったく関係なく、
痛みと痒さによって起こされてしまうのである。
私が痛くて暴れると彼氏が起きてしまうこともあったし、
人がこんなに苦しんでるのにいい気持ちで寝ている彼氏にムカついて叩き起こすこともあった。

プロトピックの痛みは、薬が効いて、
皮膚の状態がよくなるにつれて通常一週間くらいでおさまるという。
また痛みには個人差があり、少しヒリヒリするだけであまり痛みを感じないという人もいる。
私の場合、毎日塗る部分を少しずつ増やしていったので、連日が新鮮な痛みとの格闘だった。
いっそのこと、この痛みを快感に変えられないだろうかと思ったりもしたが、それは無理だった。

プロトピックを塗りはじめて一週間後くらいだったろうか。

朝、鏡を見るともう完璧な、まるで陶器のような肌の私がいた。
それはそれは驚いた。生まれて初めて見る自分だった。
今まで、こんなにキレイな肌の自分は見たことはない。
肌でこんなに人の顔は変わるものかとひたすら驚いた。
デコボコになってむくんでいた私の顔は、
すっきりと白くキレイな肌に生まれ変わっていたのである。

彼氏は大層驚いた。周りの人たちも驚いた。
みんな信じられない、という顔をした。
あまりの効き目に「その薬ヤバいんじゃない?」と怖がる人もいた。
そのうえ顔が全然変わったことから「整形疑惑」まで持ち上がった。
今まで悩んでいたことがバカらしくなるほど、私の肌は完璧だった。
嬉しくてたまらなかった。

こうなると、顔にはどこを探してももうプロトピックを塗る場所なんてない。
完璧になったこの肌のどこに薬が必要だというのだろう。
それから私はまだ少し症状が出ていた首だけに塗り、
顔にはプロトピックを塗らなかった。

しかし、数日後、復讐のときは訪れた。
まさにドバーッ、という感じで私の肌は荒れ果てたのである。
きっちりプロトピックを塗ったところだけが真っ赤に腫れ上がり、
プロトピックを塗る前のひどい状態に逆戻りしてしまったのだ。

私は焦った。焦ってすぐにプロトピックを塗った。
すると三日くらいで肌は戻る。
が、戻るともう塗る場所がない。
塗らないでいるとひどくなる。
そんなことを何度も繰り返しているうちに、どんどん悪化の度合いは激しくなっていった。

まるで顔の上に地図ができたように、
プロトピックを塗った場所と塗らなかった場所がくっきりと分かれ、
塗った場所だけが真っ赤に腫れあがってしまうのだ。
そのあまりにもはっきりした症状の出方は、
まるで自分の身体で化学の実験をしてるみたいだった。
それくらい、顔の上で化学変化が起こっているとう感じだったのだ。

同時に副作用のヘルペスもよく出たのだが、
ある日、プロトピックを塗っていると塗ってから三〇秒後くらいで
みるみるうちにヘルペスが出てきたのには驚いた。
皮膚の上か下かは知らないけれど、
なんだか私の身体にトンデモないことが起こっているような気がした。

「なんか変……」

彼氏にいった。

「うん、なんかおかしいよこの薬……」

薄場皮膚科[P.226-242]

電話で予約するよりも直接窓口で予約したほうが早いかもしれないという母の作戦で、
予約には森岡に住む親戚の人がわざわざ行ってくれた。なにやら一大事である。
こうして晴れて二〇〇一年の二月に私の予約が取れた。

そして二月、私は青森に向かった。目指すは八戸の薄場皮膚科だ。

薄場皮膚科は普通の皮膚科に行くのとは少しやり方が違う。
まず、初診日の予約をして、滞在期間をだいたい決め、
その後自分で旅館などを手配するのだ。
病院にはベッドが一五床くらいしかないため、ほとんどの人は入院できない。
なので毎日旅館から病院に通うのだ。

<中略>

八戸に着いた次の日が私の初診日だった。

<中略>

何時間か待ち、私の名前が呼ばれた。
処置室のような部屋に入ると、だだっ広い空間にまたしてもアトピー患者が溢れ返っていた。
小さな子供は裸にされて全身に青や紫のグロテスクな色の軟膏を塗られている。
また、全身に包帯を巻いた大人たちは看護師に顔や手に薬を塗られている。
その中央には、一五〇種類以上もの自家製軟膏が入った入れ物が並んでいる。
まるで野戦病院のような凄まじい光景だ。
窓際の椅子に座るよう促され、看護師に今までの症状などを話した。

その次は院長との面談である。
診察室に案内され、以前テレビで見た医者と対面する。
なんだか医者というより立ち飲み屋が似合いそうな雰囲気の人である。
服を脱ぐようにいわれ、症状を見せると院長は無言でカルテに何か書き込みながら一言、いった。

「……その髪がクサイな」

「は??」

意味がわからず呆然としていると、
看護師が「その髪の毛がアトピーを悪化させている原因のひとつかもしれません、
ということです」と「通訳」してくれた。
極度の東北弁は外部から来たものには理解不能なので、
看護師は通訳までもをこなさねばならないのだ。
院長は看護師に何やら薬について指示し、面談はすぐに終わった。

その次は看護師に連れられ個室に入る。
とにかくハンパじゃなく患者数が多いのですべては流れ作業のように進んでいく。
個室に入ると、看護師に服を脱ぐようにいわれた。

「どこまでですか?」

マヌケな質問をすると、パンツ一丁まで、とのこと。
とりあえずパンツ一丁になり、看護師二人がかりで全身にくまなく軟膏を塗りまくられる。

まず最初に全身に紫の液体をたっぷり塗り、
その上から次々といろいろな色の軟膏を何種類も重ね塗りしていくのだ。
軟膏は場所によって種類が違う。
下に塗った軟膏とその上から塗った軟膏の色が混じり合い、
私は身体中まだらにカラフルな状態になってしまった。
だけど、なんだか非常に気持ちよく、されるがまま身体中にくまなく軟膏をすりこまれる。

「長袖の肌着とももひきとガーゼ一反、持って来ましたね?」

看護師にいわれ、持って来た袋を差し出した。
ここでは、全身軟膏まみれになるため、
各自がそれぞれ長袖の肌着と「ももひき」とガーゼ一反(一〇メートル)を持参しなければならないのだ。
そうしてまたたくまに全身軟膏まみれにされた私は、
その上からガーゼをぐるぐるに巻かれ、その上から長袖の肌着と「ももひき」をはかされた。
かなりマヌケな姿である。
その上から服を着るのだが、全身がもぞもぞして気落ち悪い。

身体が終わると、今度は顔面や頭にもたっぷり軟膏や薬をつけられる。
もうなすがままだ。
そして首から顎にかけても包帯を巻かれたうえ、
顔の周りまで包帯でぐるぐる巻きにされてしまった。

私は今どんな状態になってるんだろう??

処置室を出て、鏡を見た私は愕然とした。
そこにいたのは待ち合い室で見た「全身包帯のアトピー患者」そのものだったのである。
顔面は暗黒舞踏のように白塗りのうえ、その周りを包帯が囲んでいる。
それは出来損ないの山海塾か全身火傷患者か中途半端なミイラ男か、という姿であった。
とにかくここに来た以上、有無をいわさずみんなこのスタイルにならざるを得ないのだ。

それを裏付けるように、待ち合い室を出ると全身包帯の人々の数は明らかに増えていた。
みんな恥ずかしそうに下を向いている。逆に私は開き直った。
こうなったら個人の個性もクソもない。みんな平等になってしまったのだ。
私は全身包帯の人々に対し、親近感と奇妙な連帯意識さえ感じていた。
そのうえ私はコスプレ好きである。自分を綾波レイだと思うことにした。

<中略>

病院から旅館に戻る帰り道、頭まで包帯を巻いて顔も白塗りという、
人生はじまって以来の大冒険姿を晒して歩いている私を、誰も変な目で見なかった。

「八戸の人はね、ここに来る患者さんに慣れてるから誰も変な目で見たりしないから」

帰り際、看護師はそういって慰めてくれた。
その言葉通り、見事なほど誰も私のカッコを気にしてくれない。
こんな格好してるんだからもうちょっとジロジロ見てくれてもいいのに。
束の間の被差別体験を味わおうとしても、みんなの慣れには勝てなかった。
悔しいので、わざと服を買いに行ったりオシャレな店でお茶したりしたのだが、
やはり誰も変な目で見てくれなかった。ちょっとだけ空しかった……。

<中略>

昨日と同様病院へ行き、また全身に軟膏を塗りまくられた。

考えてみれば、昨日軟膏を塗ってからお風呂にも入ってはいけない、
顔も洗ってはいけないといわれて入浴も洗顔もしなかったのに、ほとんど痒くなかった。
今日はその上から軟膏を塗られたのに、やはり痒みはない。
身体はガーゼと何層にも塗られた軟膏で密封状態だ。
なのに、なぜ全然痒くないんだろう? 不思議だった。

<中略>

そして三日目、この日が八戸滞在最後の日である。

<中略>

看護師に症状などをチェックされたあと、
「今日が最後の人は集まってください」と呼び出しがかかった。
かけつけると数十人の全身包帯の人たちが椅子に座っている。私も座った。

「それでは、最後の日のみなさんのために院長先生から話があります」

看護師の案内で、院長が現れ、東北訛りで話しはじめた。
が、やっぱりよくわからない。
そして院長の話が終わると看護師が突然一列に整列し、「蛍の光」を歌いだしたのだ(!!)。
どうやらプチ卒業式を執り行なってくれているらしい。

静かな病室の中、全身包帯のアトピー患者数十人に向かって、
一〇人以上の看護師たちが大声で「蛍の光」を熱唱。
みんな下を向いて無言で聞いている。
人生の中で本当にどうしようもない瞬間というのが何度かあるが、
これほどリアクションに困る瞬間というものを私は経験したことがない。
それはそれは、あまりにも善意に満ちているからこそ、シュール過ぎる光景であった。
とにかく私も下を向いて、必死で込み上げてくる笑いをこらえ、
どうにか「蛍の光」をやり過ごした。

最後に一人一人院長に挨拶したのだが、
そのとき院長は「これあげます」といって私に封筒を渡してくれた。
卒魚証書だったらどうしようと思いながら中身を見ると、
院長が撮影した風景の写真と院長本人がヴァイオリンを弾いているスナップ写真が同封されていた、
いったい、どうしろというのだこれを?

このように、薄場皮膚科は非常に天然すぎる魅力に溢れている。
ちなみにこの病院では診察のときに長く話ができないため、
アトピーについての注意点などを書いたものをコピーした紙が
それはもうたくさん配布されるのだが、
手書きのそれはなんとなく電波文書じみた魅力を帯びてもいた。

仕上げはシャワーだ。このままミイラ姿で帰るわけにはいかない。
三日ぶりにシャワーを浴びることができるのだ。
喜びいさんでシャワー室に入る。
三日ぶりに身体にばっちり張り付き、しみついた軟膏を落としていく。
炎症がひどい部分は軟膏がはりついてカサブタのようになっていて、それがボロボロと剥がれてくる。
が、まったく痛みはない。

「おお!!」

確かな手ごたえがあった。
カサブタのようになった軟膏の下には、キレイになった肌があったのだ!! 
急いで他の部分も剥がしにかかる。
おお!! どこもかしこも軟膏を取ると、やはり柔らかい肌が顔を覗かせた。
顔についている真っ白い軟膏も落とす。
すると、肌が前より随分しっとりとしていることに気付いた。
私は嬉しくなって無我夢中で全身の軟膏を洗い流した。
最初に塗った紫の液体だけは色が落ちず、
それから数日間は青い首、青い身体で過ごしたが、本当に嬉しかった。
三日間の密封軟膏療法の威力を本当に身体で実感することができたのだ。

そうして私は喜ばしい気持ちで薄場皮膚科での治療を終えた。
治療費は保険診療なので一万円しなかったと思う。
また、帰り際、それはたくさんの塗り薬と飲み薬が処方された。
薬代も一万円前後だったはずだ。
塗り薬は、一〇種類以上の自家製軟膏で、
これは朝と夜、または場所によって使い分けなくてはならないうえ、
ひどい場合とそうでない場合の塗り薬も変わってくるので
看護師にいちいちメモしてもらって塗り方を教わった。
薬はなくなったら郵送してくれるという。
一年以内であれば薬代は保険も効くそうだ。

しかし、次の飲み薬に思わぬ落とし穴があった。

処方されたのは薬は三種類。
ひとつは抗プラスミン剤のトランサミンカプセル250mg錠。
これは出血や炎症を抑える薬である。

そしてふたつめは消化性潰瘍、胃炎の治療薬のマーズレンS。
調べてみると炎症を抑え、粘膜にできた潰瘍の治癒を促進する薬で胃炎、
胃・十二指腸潰瘍の治療に用いられる薬だそうだ。なんでこんな薬が?

そう不思議に思いながら三つ目の薬を見ると、名前が書いてなかった。
白く丸い錠剤で、「220」としか書いていない。
他のふたつが八日目から一日一錠なのに対し、
この薬は七日分出ていて、一日二錠と書いてある。

そこで私はピンと来た。
病院からもらったアトピーについての説明書きには、
「重症アトピーにはステロイドを短期内服をさせる」という内容の文章があったのだ。
もしかして……。
調べてみたところ、この薬は合成副腎皮質ホルモン剤(ステロイド)の
「コルソン」(武田薬品)という薬だったのである!! 
「コルソン」の一般名はデキサメタゾン。
炎症やアレルギー性の病気の炎症を抑え、
さらにリウマチの症状を抑制する作用もあるというステロイド内服薬の定番だ。
もちろん副作用は多い。
そこで私はやっと「マーズレンS」という消化性潰瘍の薬も
一緒に処方されていた理由がわかった。
消化性潰瘍は非常にポピュラーなステロイド内服薬の副作用だ。
この薬は副作用対策として出されていたのではないだろうか。

またしてもステロイド内服をしそうになった私は、ひたすら驚いていた。
薬を出すとき、看護師は何もいわなかった。
せっかくいい印象だった蕩場皮膚科なのに、
最後の最後に何もいわずにステロイド内服薬を出すことに、がっかりしていた。

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