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書籍と雑誌の要約と解説

なぜ牛は狂ったのか

パスツール研究所長による「狂牛病の真実」

装丁
なぜ牛は狂ったのか なぜ牛は狂ったのか
マクシム・シュワルツ(パスツール研究所・元所長)
Maxime Schwartz
山内一也(東京大学名誉教授/日本生物化学研究所理事)
紀伊国屋書店
ISBN4-314-00913-6
2002/05/31
¥2000
目次
  1. 羊たちの奇妙なめまい
  2. 分子と細菌
  3. ミミズと狂犬
  4. 顕微鏡から見たスクレイピー
  5. クロイツフェルト、ヤコブ、そして、その他の研究者
  6. スクレイピーを実験的にうつす
  7. 山羊とマウスも
  8. スクレイピーは自然伝染する
  9. ファレ族のクールー
  10. 崩れ落ちた壁
  11. 真珠の首飾りから二重らせんへ
  12. 姿なきウイルス
  13. 悲劇の幕が上る
  14. 確率は百万分の一
  15. プリオン
  16. 一九八五年四月
  17. 死の接吻
  18. 自然発生説の仕返し
  19. 大きくなって死ぬ
  20. 悲劇の教訓
  21. 狂った、牛が?
  22. 牛から人間へ
  23. 牛から羊へ?人間から人間へ?
  24. 変装の秘密
  25. “敵”
  26. “敵”は打ち負かされたか?
  27. 二〇〇一年
文献
  • 01-02.Comber T.,Real improvements in agriculture(on the principles of A. Youn Esq.).Letter to Reade Peacock,Eaq.and to Dr Hunter,Physician in York,concerning the rickets in sheep,Nicoll,London,1772,p.73-83
  • 01-05.Schmalz,《Observations relatives au rapport de M. Lezius, sur levertige des moutons》, Bulletin des Science Agricoles et Economiques, vol.7, 1827, p.217-219
  • 03-02.Nocard E.,cite par Nicol L.in L’Epopee pastorienne et la medecine veterinaire,chez l’auteur,1974,p.429
  • 03-03.Bouley H.,Recueil de Medecine Veterinaire,vol.51,1874,p.5
  • 03-04.Tabourin F.,,Recueil de Medecine Vetrerinaire,vol.51,1874,p.263-291
  • 21-01.Siderius C.,L’Alimentation des animaux domestiques,formulaires de rations,Bailliere,Paris,1893,p.30
  • 27-04.Korth C.,May B.C.H.,Cohen F.E.et al.,,Proc.Natl.Acad.Sci.USA,vol.98,2001,p.9838-9841
  • 27-05.Peretz D.,Williamson R.A.,Kaneko K.et al.,,Nature,vol.412,2001,p.739-743
  • 27-06.Heppner F.L.,Musahl C.,Arrighi I.et al.,,Science,vol.294,2001,p.178-182
  • 27-09.bse.org.uk
  • 27-10.defra.gov.uk/animalh/bse/bseorigin
  • 27-12.Cousens S.,Smith P.G.,Ward H.,et al.,,The Lancet,vol.357,2001,p.1002-1005

内容

英国貴族コマーによる最古のスクレイピー報告(1772年)[P.13-14]

この病気の第一段階で見られる主な症状は、理性を失ったかのような行動をとることである。
飼主や羊飼い、あるいは見知らぬ人間が近づくと、羊がかなり荒々しいそぶりを見せる。
突然寝ぐらから飛び起き、犬に追いかけられたときのように疾走しはじめる。

…第二段階で見られる主な症状は、
体毛が抜け皮膚を傷つけるほど激しく木の幹や支柱に身体をこすりつけることである。
…病気にかかった羊は激しい痒みを覚えているらしい。
…だが、皮膚にはいかなる発疹も認められないのである。

…最後の第三段階になると、羊は自然にも見放されたかのように愚鈍になり、
群れを離れ、よろよろと歩き、…多くの場合、横たわったまま立ち上がろうともせず、
餌もほとんど口にしなくなる。これらの症状がしだいに悪化し、
やがて極度に痩せ細った状態となり、死にいたる。・・・

この病気が感染症であるとは思えないが、むしろ遺伝的な病気ではないかと不安を覚えている。
母羊、あるいは父羊から受け継がれる病気ではないのかと考えているのだ。

ほかの遺伝的な病気と同じく、一世代は完全に姿を隠し、…
そして、突然もとのような激しさで現れるようにみえる。…

たしかなことがひとつある。
それは、この病気にかかった羊が治癒することはありえない、ということだ。
もうひとつたしかなことは、幼い時期にこの病気を免れた羊は、
その後もこの病気にはかからない、ということである。…

一般に、この病気は40年ほどまえからイギリスに現れていたと考えられている。
この州の羊飼いたちは、この病気が隣州であるリンカーン州よりもたらされた病気であると主張している(2)

スクレイピーの語源[P.18]

英語での病名「スクレイピー」は、
「こする、すりつける」を意味する動詞「スクレイプ」を語源としており、
発病した羊が耐えがたい痒みに襲われ、
毛が抜けるほど激しくあちこちに身体をこすりつづける症状を示している。
それよりも以前にフランスでつけられた病名「腰部痒疹」に相当するものであろう。

もっとも、フランスでは
「痙攣症」「狂い病」「神経病」「蹌踉病」「腰部神経痛」「震え病」など、
むしろ神経学的な命令系統に異常が出る症状が強調された病名がつけられることが多く、
ようやく定着した病名も「痙攣病(トランブラント)」となっている。

神経系が冒されることが重視されてきたのである。
この観点は別の名称にもとりいれられ、
フランスではいささか詩情も加えられて「羊のめまい(病)」とも名づけられることになった。

また、ドイツで一般的に使われている「トラベルクランクハイト」という病名は、
速足を意味する「トラベル」を語源としており、発病した羊の動作から名づけられた名称である。

このように症状に対する受けとめかたが複数に別れていたために、
同一の病気であるという認識が生まれるまでに、少なからぬ時間が必要であった。

レツィウスのスクレイピー・フラストレーション説(1827年)[P.20-21]

伝染病説も遺伝病説も信じない者たちのなかに、レツィウスという人物がいた。
このレツィウスの見解が、一八二七年に報告されている。

レツィウス氏はそのきわめて正確な観察から以下のような結論を導き出した。
羊のめまいは交配の際に誤った方法がとられたことに起因する。
この病気にかかるのはもっぱら、気質の激しい雄羊を父とする羊だけである。
一般に、雄羊が過度の興奮状態にある場合、
その羊の生殖本能を満足させる行為は人間の手によって妨げられることが多い。
このような状態にある雄羊が、一日に一頭、
あるいはニ頭の雌としか交配できないということになれば、
その子孫の多くがめまい病を発病することになろう。
交配の相手となる雌羊の数が多くなれば、子孫の発病数は減少する。
すなわち、十分に頭数のいる群れのなかで、
競争相手のいない状態にしておくかぎり、
その雄羊の交配によって生まれた羊が発病することは皆無となると考えられよう(5)

獣医師エドモン・ノカールの炭そ・化学肥料説(1881年)[P.31]

パスツール門下の獣医師エドモンド・ノカールが一八八一年に報告したいくつかの例などは、
洞察力がなければ、自然発生説を裏づけるものととられかねなかった。
ここではその一例をあげておこう。
まさに現代の私たちに直接かかわる内容である。

熱意に満ちた新米の農夫の軽率な点は、
その土地では使われていなかった化学肥料を最初の年から大量に購入してしまったことである。
その年の麦の出来ばえはみごとであったが、翌年には、改良した土壌に羊を放牧するやいなや、
ネズミの血(炭そ)が出現し、その年の収入の4分の1を失うことになった。
それ以来、この病気による損害が続くのである(2)

問題の化学肥料は、大企業によって製造されたもので、
この企業はニ百キロ四方の家畜の遺骸いがいを回収しては、
そのまま化学肥料の材料にしていた。
そのことを踏まえてノカールは、
炭そ感染地域で死亡した家畜の遺骸から製造された化学肥料を使用したことによって、
深刻な影響がもたらされる可能性を指摘したのである。
このエピソードは、まるで一世紀のちの狂牛病における
肉骨粉の役割を予知しているようにも受けとれるではないか。

狂犬病は性的欲求不満によって自然発生すると考えられていた[P.31-33]

一八七〇年代は、「伝染病説派」を率いる「化学分析家」パスツールと、
当時の医師と獣医師を結集した「自然学派」との論争の舞台となった。
自然発生派のなかには当初、アルフォール獣医学校の校長であるアンリ・ブレーの姿があった。
ブレーは家畜がかかる病気の原因であるウイルスが
自然発生したものであるとの説をくりかえし擁護ようごしていた。
だが、一八七四年になり、ブレーは疑問をいだきはじめる。
だが、彼が狂犬病について述べた箇所に触れてみよう。

狂犬病は自然発生的に起こるのだろうか?
仮にそうだとすれば、狂犬病拡散の主要な条件とは、いくつかの例外はあるものの、
さかりのついた雌犬の臭いによって強度の生殖欲に駆られながらも、
満たされることがない状況なのだろうか(3)

このような説が納得しがたいことをほのめかしながらも、ブレーはその説を棄てさることができずにいた。
それでも彼は不測の事態にそなえ、予防的な措置そちをとる必要があるとも考えていた。

たとえば、さかりのついた雌犬を街中に放すことを禁止し、
雄犬が欲望を燃え立たせるのを防ぐようにすることならば可能ではないか?
気が短く血の気の多い犬が一頭でもいれば、その犬の情熱が、
狂おしいほどの愛情が狂犬病へと変化することも考えられるのだから。

あるいは、こうも述べている。

たとえば、さかりが来ている雌犬のそばに雄犬を放さないようにする、
というのも慎重な予防措置といえるだろう。
いかなる理由があろうとも、親密になりすぎるほどの接近を許すべきではない。

神経系の病気の発生をめぐって、生殖活動にその原因を求めるという考えは、
スクレイピーの例でも見られた考え方であり、
まさにジグムント・フロイトの仕事を予示するような思考の流れであろう。
とはいえ、狂犬病の例では説得力もない。
そこで、リヨン獣医師学校の物理化学教授であるフランソワ・タブランが、
ブレーの説に対して反論を述べた。

狂犬病の自然発生説とやらを説明するために、今まで引き合いに出されなかったものがあるだろうか!
寒さに暑さ、乾期に湿気、冬に夏、春に秋、太陽に月、もちろん星までも引き合いに出された。
だが、想像力を欠く統計は、
自然発生した狂犬病とやらを説明するこれらの原因をすべて無効にしてしまった。
接種以外に狂犬病の発生を説明できるものが考えられるのだろうか。
そうだ!あれを忘れていた。口論だ!
編集長殿、口論が狂犬病の発生をうながすことになるというのであろう!
だが、狂犬病自然発生説の支持者たちが口にすることはいつでも同じなのだ。
興奮しながらも満たされることのない激しい生殖本能、そういうではないか(4)

パティソンのスクレイピー胎盤感染説(1972年)[P.76-79]

スクレイピーの伝染性が示された実験が終了してから一年からニ年後、
実験をおこなった研究者たちは発症ないし潜伏期間に
ある雌羊の胎盤が汚染の媒体となりうることを確認した。
出産時の羊が排出する胎盤はその後ほかの羊によって食われるのがつねである。
さらに、出産期においては羊の群れがひじょうに狭いスペースに集められることが多く、
病気が感染する基本条件がそろう。
ただし、すでに確認されたように感染が口をへてなされることと、
この時点では未確認であるが、胎盤が感染力をもっていることが条件となる。
むろん、この確認もすぐにおこなわれることになった。
三年後の一九七二年、発病した雌羊から採取した胎盤膜の乳剤を経口投与したところ、
羊と山羊にスクレイピーの発病が見られたのである。

<中略>

パティソンによれば、胎盤から感染すると考えれば、
アイスランドのウイルス学者ビョルン・シーグルドソンによって一九五四年に発表され、
その後別の研究者によっても確認された奇妙な現象についても説明することができる。
シーグルドソンによれば、健康な家畜が発病した家畜と直接接触せずとも、
発病した家畜がいたことのある場所に頻繁に出入りしているだけで感染することがあるという。

<中略>

羊のなかには、リダに感染したものも含まれていた。
リダはアイスランドでスクレイピーを指す呼称である。
数ヵ月後、あるいは数年後に、リダの存在しない地域で育成された羊が連れてこられた。
そして、その新しい羊たちが、ことごとくリダに感染したのである。
だが、同じ地域で育成された羊でも、
リダが現れなかった地区へ連れてこられた羊はリダに感染することはなかった。
まさに、牧場、あるいは羊小屋そのものがリダの病原体によって汚染されていたとしか考えられなかった。
そしてその病原体は、新たな羊が到着するまでその場所に残り、
新たな羊たちに感染することになったのであろう。

パティソンによれば、スクレイピーの病原体は頑強な抵抗性をもっているため、
胎盤を媒介にして牧場や羊小屋に落ちつくと、いつもでも残存する可能性があるという。
たしかに、一九九一年に報告された別の研究者による実験では、
スクレイピーを発病した家畜の脳からの抽出物を三年間、
地表近くに埋めても、その感染性が失われることはなかった。
つまり、以前に胎盤によって汚染された牧草を口にすることで、
家畜が感染することが十分に考えられるということである。

ワイルスミスの狂牛病・肉骨粉有機溶剤説[P.202-203]

最初の疫学研究のとき、ワイルスミスらは、牛海面状脳症は一九八一年から一九八二年にかけて、
イギリス中の牛が何か未知の出来事にさらされた結果だとのべていた。
たしかに病気にかかった牛は、すべてこの時期よりあとに生まれていた。
わずかニ歳で発病した牛もいたが、大半は四歳か五歳で発病していた。
したがって原因は、一九八一年か一九八二年に起った何かの出来事に違いないと思われた。

<中略>

汚染のはじまりと時期的に一致するもうひとつの変化は、
有機溶剤を使って脂肪分を抽出するのをやめたということだった。
この工程では抽出のあと、百度以上の蒸気による加熱処理がおこなわれていた。
有機溶剤の仕様中止が決まったのは、経済的理由や生産の合理化といった理由にもよるが、
従業員の健康を守るためでもあった。
ほとんどの工場では、一九八〇年から一九八二年までに有機溶剤が使われなくなっていた。
この時期的一致をみれば、
当然この変更が牛海面状脳症発生の引き金になったのではないかと疑いたくなる。
ワイルドスミスらはつぎのような説明を考えた。
すなわち、牛海面状脳症の病原体は、脂肪のおかげで熱による破壊から守られていたのではないか。
大部分の脂肪が有機溶剤に溶け出してはじめて、
熱い蒸気に感受性を示すようになっていたのではないか。
つまり、有機溶剤による脂肪の抽出と熱い蒸気による処理の組み合わせが、
肉骨粉の製造過程で牛海綿状脳症の病原体を効率よく破壊していたのだが、
この工程が削除されたために病原体が不活性化されず、
そのまま家畜の餌のなかに入ってしまったのだろうというのである。

新型クロイツフェルト・ヤコブ病のベビーフード説[P.220-221]

新型クロイツフェルト・ヤコブ病では、患者の若さがよく話題になる。
あらゆる年齢層の人が一九八五年ないし一九九〇年頃から、
つまり十年ないし十五年前から同じように危険にさらされていたはずなのだから、
単純に考えれば、どの年齢層の人も同じように新型クロイツフェルト・ヤコブ病にかかるはずだ。
ところがほとんどの患者は十五歳から四十五歳までで、三分のニは三十五歳にも満たない。
これは若い人のほうが大きい危険にさらされていたか、
より感染しやすいためだろう。あるいはその両方かもしれない。
若い人のほうが大きい危険にさらされていた例としてひとつ考えられるのは、
乳児用の加工食品、いわゆる「ベビーフード」である。
じっさいベビーフードのなかには牛の脳からとった原料がつかわれていたものもあったという。
犠牲者のなかに何人かきわめて若い人がいたことはこれで説明できるだろう。
若い人のほうが感染しやすいということについては、羊のスクレイピーで観察されたことが思い出される。

羊は昔から肉骨粉を食べさせられていた[P.200-201]

一八九三年に出版された家畜の餌をテーマにした本に、つぎのように書かれている。

飼料用肉粉。畜産業で使われているもっとも濃縮された餌。
リービヒの肉エキスをつくるときにでたかすである
[訳注 リービヒは肉エキス、つまり固形スープの素の製造販売会社の名前。
考案者である化学者リービヒにちなむ]。
…乳牛も肉牛もはじめは食べたがらないが、
ほかの飼葉かいばとよく混ぜて少しずつあたえていくと、まもなく受け入れるようになる。
一日に一・五キログラムまでは食べられるだろう。
羊のほうが抵抗するが、それでもしまいには慣れてくる(1)

マラリア治療薬キナクリンでプリオンを激減させられる[P.253-254]

プルシナーの研究室は数年前から、
プリオン病の治療薬として使える分子を探すという試みをおこなっている。
二〇〇一年八月、この研究室から有望な結果が発表された(4)
それによると彼らは、脳に到達できる、
つまり血液・脳関門の障壁を越えられる分子にしぼって探索をおこなっていたが、
そのなかでもマラリアの治療薬、とくにキナクリンに、
培養感染細胞のプリオンの量を急激に減らす働きがあることがわかったという。
現在の私たちの知識では、なぜキナクリンにこのような働きがあるのかを説明することはできないが、
クロイツフェルト・ヤコブ病の患者に対してさっそくこの薬の投与が試みられた。
希望がふくらんだのは、投与の対象となった新型クロイツフェルト・ヤコブ病のイギリス人女性患者が、
開始時にくらべ、症状が大幅に改善したと報道されたときである。
だがその希望は、十二月のはじめ、この女性が亡くなったという知らせにみるみるしぼんでしまった。
おそらく希望を抱くのが早すぎたのだろうが、失望するのもまた早すぎたのではないだろうか?
もしかしたら病気がそこまで進んでいない患者で
これらの分子の効果を研究したほうがいいのかもしれない。

抗正常プリオンタンパク質抗体により異常プリオンの増殖を阻止できる[P.254-255]

二〇〇一年にはプルシナーのチームによって有望な結果がひとつ発表された。
培養細胞に異常プリオンタンパク質を入れるとき、
同時に抗正常プリオンタンパク質抗体を入れてやると、
異常プリオンタンパク質の「増殖」が阻止されるというのだ(5)
その理由としては、異常プリオンタンパク質と
正常プリオンタンパク質の相互作用が抗体によって妨げられ、
そのために正常プリオンタンパク質が異常化しないのだろうという説明がもっとも本当らしく思われる。
もうひとつ、アグッチの研究室からも興味深い結果が発表された。
動物の体に抗正常プリオン抗体があると異常プリオンタンパク質が増えにくくなることが、
彼らの論文にはじめて報告されているのである(6)
実験方法はいささか込み入っている。
ある系統のマウスに、遺伝子組み換え技術を使って、
抗正常プリオン抗体が暗号化された遺伝子を組み込むのだ。
こうしてつくられたマウスたちは、
腹腔内注射で異常プリオンタンパク質を注入されても病気にかからなかった。
ということは抗体に守られたのである。
しかも、これらのマウスたちはいかなる自己免疫の兆候も示さなかった。

英国調査員会が狂牛病・肉骨粉説を否定[P.258]

一九七〇年代、畜産業の集約化にともなって肉骨粉の使用量が大幅に増えたのは事実だが、
これはすべての工業国に共通していた。
また、肉骨粉の製法の変化は、たしかに時期的には牛海面状脳症の出現と一致しているが、
イギリスだけに起った変化ではない。
フランスやアメリカ合衆国のような国々でも同じ変化が起っていたのだ。
一方、スクレイピーはといえば、西ヨーロッパ全域とアメリカ合衆国に存在していた。

ということは、もし牛が羊のスクレイピーに汚染されたために牛海綿状脳症が出現したのなら、
その汚染はもっと早い時期に、複数の国で起こっていたはずだということになる。

以上はイギリスで、判事のフィリップス卿を委員長とする調査委員会が、
大がかりな調査の末に到達した結論である。
調査の結果は二〇〇〇年十一月に公表された(9)

英国学術委員会の狂牛病・肉骨粉子牛説[P.259]

羊のスクレイピーが牛にうつったという仮説を支持する人々は今でもいる。
これについては、イギリス政府の委託を受けた、
ケンブリッジ大学のガブリエル・ホーンを委員長とする学術委員会が、
二〇〇一年七月に発表した結論をあげなければならない(10)
それによると、スクレイピーが牛にうつったという仮説を退けることはできず、
イギリスだけでおこなわれていたあることが牛海面状脳症の原因となったとも考えられるという。
それは一九七〇年に肉骨粉を子牛にあたえていたことで、
子牛は成牛よりもプリオンに感染しやすいのである。
委員会によると、ヨーロッパのほかの国々やアメリカ合衆国の畜産家は、
肉骨粉を成牛、とくに授乳期の牝牛のためにとっておき、
子牛の餌にはあまり使わなかったらしい。
もしそれが事実なら、この仮説も簡単には捨てられない。

レスター州クェニバラ村における新型CJDの大発生[P.264-265]

牛海面状脳症がいかにして人間へ伝わったかを知るために、二つのタイプの疫学研究がおこなわれた。
ひとつはイギリス中央部のクェニバラという小さな村に集中発生した症例の分析、
もうひとつはイギリス人一般の食習慣の研究である(12)

レスター州の平和な農村クェニバラは、
その名がとつぜん新聞の一面に躍り出て以来、すっかり有名になってしまった。
というのも、一九九八年八月から二〇〇〇年十月までのあいだに、
村の近くに住む十九歳から二十四歳までの若者が五人、
新型クロイツフェルト・ヤコブ病で死亡したからである。

五人というと、イギリス全土におけるこの病気の死亡者総数の約五パーセントにあたる。
これほど小さな地域にそれだけの症例が偶然に集中発生する確率は〇・四パーセントにも満たないので、
疫学用語で「クラスター(かたまり)」と呼ばれるこの症例群がなぜ生じたかを説明する必要があった。
そこで調査が実施され、二〇〇一年三月末に結果が発表されたのだが、
それによるとこの地域には昔ながらの手作業で屠畜・解体をおこなっていた肉屋がニ軒あり、
五人の犠牲者は全員、そのニ軒のいずれかで買った肉を食べていたという。
とくに注目すべき点は、どちらの肉屋も自分で頭蓋を切りひらいて脳を取り出したときに道具が汚染され、
それを介して別の多くの部位に病原体が付着した可能性があった。
牛海綿状脳症はこうして牛から人間へとうつされたのではないかと考えられたのである。

ただ、この説明はクェニバラの症例群には当てはまっても、
イギリスで起こったすべての症例に一般化することはできないだろう。
イギリスでもヨーロッパのほかの国々でも、
たいていの肉屋はニ軒の肉屋がおこなっていた方法を何年もまえに廃止していたからである。
クェニバラの症例群分析からわかった興味深い事実は、
新型クロイツフェルト・ヤコブ病の潜伏期間に関係していた。
つまり、例の肉屋が廃業した時期をみると、
潜伏期間は十年から十六年あたりになるはずで、
これはフォレ族のクールーの平均潜伏期間と同じレベルなのである。

新型クロイツフェルト・ヤコブ病と食習慣の相関関係は不明[P.265-266]

イギリス全体でみたとき、この病気の罹患率は地方によって異なっていた。
二〇〇〇年の終わり頃でいえば、イギリス北部とスコットランドの罹患率は、
イギリス南東部やウェールズ地方のほぼニ倍で、中央部の罹患率はそれらの中間にあたっていた。
こうした罹患率の違いを、やはり地方によって異なる食習慣と関係づけることはできるだろうか? 
これらの地方の食習慣を調べたある研究によると、
確かに新型クロイツフェルト・ヤコブ病の罹患率と食習慣のあいだには相関関係がみとめられ、
罹患率の高い地方ではハンバーグや、ソーセージや、パテのような、
挽肉をもちいた食品が比較的好まれていたという。
挽肉には脊柱や神経系から機械で切り離した肉の端のほうが使われるので、
確かにほかの部分よりプリオンに汚染されている確率が高いと考えられる。
ところが別の研究によると、異なる地方でどのような牛由来食品が食べられているかを調査した結果、
きわだった違いはみとめられなかったという。
もちろん私たちとしては、予想どおりの結果が出ている前者のほうを信用したくなるが、
その結論にいたるまでに十分議論が尽くされたとはいいがたい。

したがって今日でも、
具体的にどういう食習慣のせいで牛海面状脳症に感染したかを明示することは不可能である。
しかも、もっとも可能性が高いとはいえ、
食品が汚染の原因であることさえ確かな裏づけは存在しないのだ!

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